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神の招く山  作者: 日戸 暁
第2章 妖しい彼との怪異な夏
3/15

嵐の夜は秘密の時間

「あれ、まだ学生さん居たのか」

研究室のアルバイトの後、研究室ではなくて校舎のラウンジで課題をしていたら、警備員さんに声をかけられた。

「あちゃー、()の南玄関、閉じてきたばかりだよ。研究室の鍵全部戻って来てたし、誰もいないと思ってたわ、この天気だし。君はまだ、校舎に残るのかい?」

外は大雨。いつもより早めに見回りをして、校舎玄関の鍵を施錠してきたらしい。

この嵐じゃ市バスや電車も遅れたり運休したりするかもしれない。スマホで運行情報を調べると、幸い、今のところは通常運行。しかもあと10分で次のバスが来るようだ。今のうちにさっさと帰っちゃったほうが良いかもしれない。

僕が急いで帰り支度をしていると、警備員さんは

「渡り廊下の先に研究棟があるでしょ。そこのエレベーターで4階に上がって左に行くと隣の新棟に繋がっててね。新棟からなら北門にすぐ出られるよ」と教えてくれた。

理系の実験室ばかりがあるらしい研究棟に、僕は行ったことがない。あのいつも電気が暗くて狭い廊下とかがなんとなく嫌で、近寄りたくないんだ。だからいつもは、この校舎の表側(﹅﹅)の南玄関から出て、大学正門を通って帰っている。

でも、今夜はこの大雨だ。少しでも屋外を歩くのは避けたい。大通り沿いの市バスの停留所に一番近い北門に出やすいならと、僕は教えてもらった通り、エレベーターを目指して薄暗い渡り廊下を進んだ。

暴風に叩きつけられた雨水が窓ガラスを勢いよく流れ下っているのが見える。でも渡り廊下の外はちょうど街灯が無く、窓の向こうは真っ暗で、ラウンジの電気だけが頼りだ。

 廊下の中ほどでラウンジの灯りも届かなくなる。その先の研究棟も、この階にはもう誰もいないようで、電気が消えている。建物の中も外も暗くて、足元がよく見えない。

スマホのライトを手探りで点けようとしたけれど、あれ? スマホはうんともすんとも言わないし画面は真っ暗だ。どうしよう、電池が切れちゃったのかな、まだ充電は40%くらいあったはずなのに。

闇の中で非常用出口の緑の灯りだけが等間隔に天井でぼんやりと光っている。足元を照らすほどの明るさはなく、来慣れない渡り廊下を歩くのが何となく怖い。

どうしよう、遠回りでも良いからいつもの玄関から出ようか? あぁ、でも、もう鍵が閉まってるんだっけ。このまま進むか戻るか悩む僕の背後で、ラウンジの電気がふつりと消えた。しかもこの暗闇の奥、研究棟のほうから、かつん、かつんと微かに靴音が近づいてくる。前も後ろも見えない暗闇の中、靴音は真っ直ぐに僕の方へ向かってくる。

なんでこっちに来るの? 怖いよ、こっちに来ないでよ、いったい誰なの、どうしてこんな時に、停電しちゃうの。

窓際に寄って必死に息を殺していると、靴音は僕の数歩前で、ぴたりと止まった。

「……丹波」

と闇の中から、呼びかけられた。

「こんな時間に、どこに行く」

「その声、津田さん?」

「あぁ。……キミには灯りが要るのか」

ちょっと待て。津田さん、此処に居るのが僕だとどうして分かるの?この暗い中で見えてるの? いったいどんな目をしているんだこの人は。

津田さんがスマホのライトをつけてくれる。ふわふわ天パ頭に黒縁丸眼鏡。見慣れた容姿がそこに居て、僕はほっとした。津田さんは黒い服ばかり着ているイメージだったけど、今日は淡いグレーのブルゾンを着ている。襟と両袖がアイボリーで、何かちょっと可愛い。

「キミはどこへ向かっている?」

「エレベーターまで行きたかったんです、研究棟の」

「ふぅん?」

少し語尾を上げて相槌をうち、津田さんは少し考える素振りをした。

「僕も一緒に行こう。……この先は迷いやすいから」

 いや、津田さんは今、研究棟の方から来たじゃないか。僕が断ったら、

「この明かり無しで、キミはどこにも行けないだろ」

 あ、はい。そうでした。すみません。一緒に来て下さい、お願いします。

「津田さんは、どこに行くつもりだったんです?」

「……研究室に泊まろうと」

「合鍵で?」

僕が短く問うと、津田さんは喉の奥でくっくと笑った。

 停電していてはエレベーターが使えないので、エレベーターホールのさらに奥の階段へと向かう。僕らはスマホの明かりだけを頼りに、飼料と薬品の臭いがする廊下を進む。

ちょうどエレベーターホールに差し掛かった時だった。突然、周囲の電気が点いた。天井を見上げると、蛍光灯じゃなくて、小さな常夜灯みたいなが電球がいくつか灯っている。非常電源って奴がやっと作動したのかな、でもこれでエレベーターが使えるぞ、と僕は内心喜んだ。津田さんもスマホのライトをさっさと消してポケットにしまっている。

エレベーターの大きな両開きの、黒い扉が、僕らの正面にある。黒いドアって、ちょっと不気味だなぁ。

津田さんも、気味悪く思ったみたいで、「やっぱり、これに乗るの、さないか」なんて言っている。

でも、ボタンを押してみたら、空のかごはこの階に止まっていて、待つことなく乗れた。

 たぶん荷物を運ぶためのエレベーターなのだろう、かごの中はとっても広い。電気も点いていて、ほっとする。広くて明るいって最高だ。

「えーっと、」

③と⑤の間に、何も書かれていないボタンがある。数字は消えちゃってるけど、並びからしてこれが④のボタンだろう。そう思って僕がそれを押すなり、すっと津田さんが横合いから2度押しして4階に止まるのをキャンセルした。

「え、4階じゃないんですか? 警備員さんが、」

「解剖室に何の用がある」

解剖室……? 僕、そんなところに行こうとしてない。昼間でも近づきたくないよ。警備員さんも意地悪……いや、ただの言い間違いだと思おう。

津田さんが5階のボタンを押し、エレベーターが動き出す。

「本来、このエレベーターは4階には止まらない。北門に行くなら、5階から渡り廊下で……」

ふと津田さんは口を噤んだ。

がたりと大きくかごが揺れて、止まった。

扉は開かない。階数表示のランプは4階を指したまま動かない。そして、かごの中の電気が全て消えた。

「津田さん、早く明かりつけて!!」

と僕は半泣きで叫んだ。

こういう、出口のない暗いところ、大嫌いなんだよぉ、怖いよぉ。

「落ち着いて、丹波」

津田さんが真っ暗な中で声をかけてくれる。

「外部通報ができないな」

津田さんは呟いている。

暗闇の恐怖に僕はがたがた震えてしゃがみ込んだ。広いかごの中、手を伸ばしても壁に手が触れなくて、ますます不安になる。

「……丹波、ここに座って」

声とともに、ふっと向こうで灯りがついた。津田さんのスマホだ。いつの間にか津田さんは、奥の隅っこで自分の鞄を椅子代わりにして座っていて、膝をぽんぽんと叩いて僕を呼んでいる。

もう足腰に力が入らなくて、四つん這いで近づいたら、津田さんは僕を横抱きにして膝に乗せてくれた。そして、震える僕にブルゾンを貸してくれた。

「電話も繋がらないな」

ため息交じりに津田さんは言った。

エレベーターの管理室にも外にも連絡が取れないなんて。

どうにかなりませんか?と僕が訊いたら

「どうにもならない」

ちょっと、津田さん!! 嘘でもどうにかなるって言ってよ。

「どうにかなれと願うほど思惑期待を外れるものだ。何事もなるべくしてなる」

淡々と続けてから、津田さんはひょいと肩を竦めた。それから、スマホを少しいじり、電源を切ってしまったようだ。画面が暗くなり、灯りが全くなくなってしまった。

やだやだ、暗いのやだってば。

「すまない。僕のスマホもバッテリーが切れそうなんだ」

「そんなぁ……」

情けない声を上げる僕を宥めるように、頭をぐりぐり撫でてくれる。

きぃ、かたん。

不意に、外で物音がした。何の音……?

ますます怖くなり、僕は思わず津田さんにしがみついた。ぎゅうぎゅうとそのシャツを握りしめ、身体を寄せる。津田さんの体温が伝わってくる。柔らかい綿のシャツの胸に頭を預けると、津田さんの鼓動がどっくんどっくんと聴こえる。

津田さんの鼓動と体温に、恐怖に昂ぶっていた気持ちが鎮まっていく。

「まぁ、どうにかなると信じるのなら、事態も動くだろうさ」

言って津田さんは僕の背をとんとんと優しく叩き

「しばらく、おやすみ」

僕に囁いた。津田さんが何か歌を口ずさみ、僕はほどなくして眠ってしまった。


******

「大丈夫ですか!?」

人の大きな声に目が覚めた。ぱっと光が射し込んで、眩しさに僕は思わず、手に触れていた布を顔に被った。ふわっと甘い匂いがする。

何だこの布……と思ってよくよく見たら、津田さんの黒いロングコートだ。

……あれ? そういえば津田さんは?

顔を上げて辺りを見回す。あ、津田さん、居た。

扉側の、僕から一番遠い隅に座り込み、ぐっすりと眠っている。

「一晩中、ここで起きてまっていたんだ。疲れもするだろう」

言ったのは、佐倉ゼミの向かいの部屋の渡会教授だ。

「……これは、何かの儀式ですか?」

エレベーターの管理会社の作業員さんが、手元のタブレットを見ながら訊いた。僕も起き上がってその画面を覗き込んだ。そこに映っているのは、監視カメラの録画映像だ。

停電したのにカメラ、動いていたの?

「あれは、停電ではなかったからな」

いや、あの、渡会教授。どういう意味?

 映像のなかで、津田さんは眠った僕を隅に座らせ、鞄から出したロングコートを僕の体に毛布みたいにかけてくれている。そして、白い扇を持ち、僕の周りを何回か歩いた。それから入り口に向けて、閉じた扇をびしりと指し、そのまま摺り足で舞い始めた。

起きて、待って たんじゃなくて、舞って たのか……。

「……よくまぁ、ここで舞おうと思ったな」

と感心している渡会教授に、

「現界と繋げておくために、できる限りの手は打とうかと」

津田さんが答えている。

……いつの間に起きてきたの、津田さん。気配消さないでよ。あぁ、吃驚した。

「もう夜は明けた」

渡会教授が言い、津田さんも肯いた。

「えぇ。もう大丈夫。帰りましょう……わざわざ来てくださって有難うございます」

エレベーターを降りたらそこは4階でも5階でもなく、ラウンジと同じ階だった。皆それぞれ荷物を手に、エレベーターホールを後にする。渡会教授は作業員さんに、「さっきのカメラ映像、俺にも寄越せ」なんて言っている。「映像、何に使うんですか?」 と僕が聞いたら、「あ? 前半部分を佐倉に渡す。お前が津田に抱きつき、胸を[[rb:弄>まさぐ]]っていた証拠映像」

……ちょっと。その言い方、僕が津田さんにいけないことをしてるみたいじゃないか。

「ほーぅ」

津田さんが目をすがめて僕を見た。

 いやいやいや、断じて変な意図などありませんから!

術式はいずれまた、お伝えします。と津田さんが渡会教授に言うと、教授は作業員さんに今度は「あの映像、今すぐ消せ」なんて命じている。いったい何がしたいんだ。作業員さんも、事故の後だからすぐには映像を消せないとかなんとか言って、渡会教授と押し問答している。

僕らの後ろで、ぎゃおぎゃおと言い争う作業員さんと渡会教授を、津田さんは面白そうに眺め、ふと真顔になった。

「祓え給え清め給え」

津田さんがぼそっと呟いて柏手を打つと、どこからかちりちりと澄んだ鈴の音がした。

「丹波、……今日は帰って休みなさい」

津田さんに優しく肩を押された。

促されるままに歩きだし……僕はそっと後ろを振り返った。


エレベーターの扉は、白かった。


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