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神の招く山  作者: 日戸 暁
番外編
15/15

妖精不在の給湯室ー二木の語りー

語り手、交代。


丹波の、歩くマットレス事件の話に始まって、十郷と俺が津田との想い出話をした。

十郷は、

院の合格発表の日の話(『あの日、桜の木の下で』)

去年のゼミ旅行の時の紅葉の怪異の話(『いろは紅葉に染められて』)

津田の学部の時の知人と遭遇した話(『他生の縁に袖を振れ』)

佐倉教授の弁当の話(『膨るる胃の腑に足らぬもの』)

などを披露した。

正直、こうして津田の想い出話をするのは、弔いのようで気乗りしない。

それに、津田が山に囚われて今なお戻らないのは、俺の弟とその友人の遭難、ひいては、山のことを弟に話した俺のせいだ。

誰も俺と弟を詰らないのが、有り難い以上につらい。

でも、丹波には想い出話をせがまれ、渡会教授にまで

「津田との話があれば、他にも聞かせろ」と命じられてしまったら、黙り続けているわけにもいかなかった。

仕方なく俺は、

このゼミ室でやった津田の誕生日会の話(『甘いひととき、溶けて消え』)

一緒に釣り堀に行った話(『釣られたものは』)

などを語った。

丹波が「いいなぁ、皆さんは津田さんと長く一緒にいて!」と羨ましがり、渡会教授は俺達といるときの津田の様子を知って少し嬉しそうだった。


その後も誰となしに、津田とどこへ行っただの、津田と何を食っただのと、とりとめもなく話をして時間が過ぎ、気づけば夕暮れになっていた。さすがにお喋りもお開きになる。皆が帰り、渡会教授と佐倉教授も、夕方の職員会議に出るというのでゼミ室を出て行き、部屋には俺と幸虎だけが残った。

 俺と幸虎は今月、九月末から十一月末まで、表向きは停学・謹慎処分になった。雑誌記者や行方不明の大学生の親からの追及を避けるために登校を見合わせたほうが良いという学長判断によるものだ。警察の捜査も入り、一連の事件については俺らに責任はないとの判断が下ったにも関わらず、未だに俺と幸虎につきまとう人の気配があるのだ。正直、外へ出るのにも慎重になる。だからこの処分は逆に有り難い。俺は修士2年の後期に必修科目は残していないので登校の必要もない。家にこもって真面目に修士論文に取り組むつもりだ。論文を書くのに必要な資料をできる限り集めて家に持って帰ろうと、俺が作業に集中していると

「あの、兄ちゃん」と幸虎が躊躇いがちに声をかけてきた。

「さっきさ、渡会教授さ、……」


 皆が帰りはじめる前に、渡会教授は言ったのだ。

津田(あれ)の行方は未だ分からず、その生死も分からん。確実に言えるのは、この世にいないということだけだ」と。そしてあの“鰻の寝床”の三段チェストに向かって手を合わせていた。まるで、それが津田の仏壇か墓石であるかのように。それを見て、丹波が顔をクシャクシャにして書庫に駆け込み、荷物をまとめて真っ先に帰ってしまった。それを皮切りに皆、ぽつぽつと帰っていった。


 幸虎は何度も口籠り、やがて、「津田さん、死んじゃったの」とチェストを見ながら呟いた。

「まだ、そうとは限らないけど、生きてる保証はない。覚悟は要るってことだろ」

俺は努めて淡々と言った。

「でも、渡会教授が以前俺らに言ってくださっただろ。津田の生死は俺らとは無関係だと」

幸虎は俺をじっと見て黙っている。

「大学の決定に従って、大人しくしてること。それが俺らが受ける罰だ、いいな、幸虎?」

実の甥、それも亡き弟の忘れ形見である津田を喪った渡会教授の悲しみは、俺らの想像を絶しているはずだ。それを一切おもてに出さず、俺らを詰ることもせず、ただひたすらに、事態の収拾に向けて奔走してくださっている。

今の俺らにできることは、渡会家の負担を増やさないことだけだ。そう幸虎に諭していると。

「おい、鶴、虎。まだいたのか」と呆れたような声がした。渡会教授だ。

「うちの車で送ってやる、とっとと荷物まとめろ」

投げやりに言って、給湯室の出入り口に凭れて待っていてくださる。

「すみません、資料の印刷にもう少し……」

かかります、と言おうとして、俺は言葉を飲み込んだ。

誰もいない給湯室を黙って見つめるその横顔に、雫がこぼれ……。


初秋の夕暮れ、風が冷たく吹いていた。





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