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神の招く山  作者: 日戸 暁
第3章 その最奥に潜むもの
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過ぎゆく夏に遺すもの


 卓袱台の上に津田さんの字で不思議な詞と星のような印が書かれた紙が置いてある。その上に、あの名前と血の紙がぱさりと落ちてきた。いつの間にか、教授と僕の名前も、書き足されている。そして、2枚とも、僕らの目の前で灰となった。

役目を終えたと言わんばかりに。

「お客さんたち、あっちに居なさったか」

旅館のお婆さんが入ってきた。

神棚から下ろしたものだと言って、皆に水を配ってくれた。

「龍神様がお目覚めなさったからには、もう心配ねぇ」

お婆さんはふっと姿を消した。

白いうろこが落ちていた。


*********


僕らは旅館を出て、津田さんを探して歩き回った。整備された登山道を何度登り降りしただろう。

けれど、いくら探しても、津田さんは見つからず、あの“異界側の旅館”にも、あの大きな鳥居にも、霧深い階段にすら、辿り着けなかった。

空は清々しいほどに晴れていて、山頂からの景色はのどかな田園風景で、綺麗だった。


僕らは諦めて、皆で下山せざるを得なかった。

無事に山を下りられたのは、僕と、二木兄弟、十郷さん、三堀さん、四方田さん、八戸さん、教授、そして、加賀美さんと漆原さん。

 漆原さんは、佐倉ゼミのOBで、皆の一学年上の先輩だそうだ。お盆で、この県に住む親戚の家に遊びに来ていたところ、幸虎くんの件を教授から聞いて、皆よりも一足先に山に入っていたのだという。

「お盆に山に入るなと大叔父から言われたんですけどね。まさかこんなことになるとは」と頭を掻いている。

そんな漆原さんを、親戚の方が車で迎えに来た。佐倉教授がその漆原さんの親戚の方々に謝りに行った。離れたところで待っていた僕らのところにも、漆原さんの親戚の皆さんが幸虎くんを罵るのが聞こえてきた。二木さんと幸虎くんは、じっと押し黙って、それを聴いていた。

 

 帰りのバスの運転手は亀井さんだった。僕を見て、そっと津田さんの名刺を差し出してきた。今バスに乗った僕ら全員の名前が書いてあった。

「ここに……名前のあるみんなが、揃ったんだね」

亀井さんは言った。塗りつぶされた名刺の持ち主の名前を亀井さんがなぞる。

「彼の……名前は?」

僕は、定期入れから一枚の名刺を取り出した。


僕と初めて顔を合わせた時。彼は無言のまま、僕をじっと見下ろしていた。僕がきちんと名乗って挨拶して、佐倉教授の下でアルバイトを始めたことを伝えても、黒い丸眼鏡の奥から僕を見つめるばかりで、名前すら教えてくれなかった。そのくせ彼は、自分の手を僕の眼前にかざして何か呟いた。

いや、本当に変な人だと思った。

後日、佐倉教授にその変な人の話をしたら、やれやれと苦笑しながら、この一枚の名刺をくれた。

それで僕は初めて津田さんの名前を知ったのだ。


亀井さんから返された、津田さんの名前の消された名刺。それを握りしめ、僕はバスの中で泣いた。


八月も末の頃。ネットで一つのニュースを見つけた。

あの山に古くから伝わりながら、百年ほど前からその所在が分からなくなっていた現龍 (みたつ)神社。それが突如として登山道の外れ、流れの絶えたシロミツチの滝の傍に見つかった。数日前の落雷によって、何らかの地形の変形が生じたため云々……。

行方不明者のことはどこにも載っていなかった。

僕らの遭難のことも、書かれていなかった。

初めから、遭難者など居ないかのように。


**********

 僕は今も、津田さんの定位置の掃除を欠かさない。預かったリュックはチェストの上。

新しいマットレスも買った。

津田さんがいつ帰ってきても良いように。


佐倉教授に、津田さんの連絡先も聞いた。

津田さんとの関係ははっきりとは教えてもらえなかったけど

「俺にとっちゃ彼奴は息子で、……へへ、彼奴にとっても俺ァ、親らしいぜ」と佐倉さんは照れたように右薬指の指輪を撫でつつ笑っていた。

 

津田さんの過去に何があって、その心の最も奥深くに何を潜ませていようとも。

僕は津田さんが大好きだ。


僕の赤いリュックの鈴が、ちりんと鳴った。



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