01:皇帝
「けん、けん、ぱっ! けん、けん、ぱっ!」
柔らかな陽光が降り注ぐ春の日、一人の少女が遊んでいた。けん、のタイミングで片足でジャンプし、ぱっの部分で大の字で両足を着きバランスを取る、小さな子供がやる遊びだ。
その少女の年頃は十四、五歳ほどで、着古した白色のワンピースに素足という、なんとも地味な恰好だ。
その年齢にしてはふさわしくない子供じみた遊びだったが、心底楽しんでいるように見えたし、その様子は姿は驚くほど絵になっていた。
少女の服装はみすぼらしいが、その肉体は少し変わっていた。頭の先からつま先に至るまで新雪のような純白だが、その瞳は真紅のバラのような色をしている。
最上級のシルクのような滑らかな髪は、邪魔にならないようにボブカットに纏められている。ジャンプをするたびに、その美しい髪がふわりと宙に舞う。日の光を浴びると、全身が光り輝いているように見えた。
顔立ちはあどけないが、驚くほど整っている。あと数年もすれば傾国の美姫となると言われたら、誰もが納得するであろう。
「よしっ! 中間地点まで来られた!」
一切バランスを崩すことなく目的の半分を達成したことで、少女はご満悦だ。それだけなら微笑ましいが、問題はその遊びが行われている場所だった。なにせ、高さ五十メートルは超える巨木の蔦の上なのだから。
当然、命綱など付けていない。眼下に広がるのは鬱蒼と茂る大森林。そこには、凶暴な獣や毒物がうようよとうごめいている。一流の曲芸師でも泣いて断るだろう。だが、少女にとって、これはごくごく普通のお遊びだった。
「ミカド、ちょっといいですか?」
「うわっ!? ちょ! ちょっちょっ!?」
突然後ろから声を掛けられ、少女――ミカドはたまらずバランスを崩して落下――しなかった。落ちる寸前に片足の二本の指で蔦を挟んだのだ、彼女は足の指だけで全身を逆さ吊りにしたまま、不満げに声の主を見上げた。
「アレックス、急に声掛けられたらびっくりするじゃん!」
「これは失礼。気配を消すのが基本なもので。ですが、足音に気付かないミカドも悪いのですよ」
「猫の足音なんか分かるわけないじゃないか」
ミカドは頬を膨らませながら反論した、彼女の言う通り、蔦の上にはいつの間にか一匹の猫がバランスを取って立っていた。アレックスと呼ばれたその猫は、実にいい声だった。
耳元で囁かれたら青銅で出来た女性ですらとろけてしまうような、魅力的な男性の声だった。幻聴でもテレパシーでもなく、彼自身の口から出ている言葉である。
なぜ彼が喋れるかという理由はいずれ分かるだろう。
「それで何か用? 今日は特に何も言いつけられてないけれど」
「じじいがミカドに用があるそうですよ。とても大切な話があるのだとか」
「父さんが?」
ミカドは全身を振り子のように揺らして勢いを付けると、足を起点にくるりと蔦の上に戻った。父に呼んでいると言われ、ミカドは遊びを中断し、アレックスに付いていく。
アレックスは平然と細い蔦の上を歩いていくが、ミカドも同じペースで歩く。体幹が一切ブレない驚異的なバランス感覚だ。
五十メートルほどの長さの蔦を渡り切り、さらに断崖絶壁をぴょんぴょん飛び跳ねるように降りていく、巨木を降りた先は大森林となっていて、飼育放棄されたライオンなどは序の口で、場所によっては猛毒が溜まっている危険地帯もある。
まさに人外魔境だが、ここは数千年前に『エノシマ』と呼ばれていた場所で、今では『魔の島』と呼ばれている。
かつては風光明媚な観光地だったらしいが、それは『旧人類』の世代の話だ。わずかに残った文明の残骸をかき分けるように進むと、森の奥に苔むした家が見えた。
「師匠、ミカドを連れてきましたよ」
「ご苦労」
かつての文明の遺産で、なんとか形が残っていた旅館だった場所。ミカドたちはそこを補修して住んでいた。古代の日本家屋の残骸の奥には、一人の幼女があぐらをかいて座っていた。ミカドとは対照的に、腰まである長い金髪を結って纏めていて、七五三で着るような着物を身にまとっていた。
ちなみに先ほどまでアレックスはじじいと呼んでいたが、さりげなく師匠呼びになっていた。
「体の具合はどう? 父さん」
「悪くないが、歳には勝てんのう」
幼女は、外見にふさわしくない落ち着いた口調でそう答えた。声は間違いなく子供なのだが、態度は老練そのものだ。それもそのはず、彼女は実年齢で言えば二百歳近いのだ。
「わしの事などどうでもいい。いや、どうでもよくは無いか、今から話すことはわしの行いが絡んでくるからの」
そう言って金髪の幼女が古びた椅子の方を向く、座れという事だろう。ミカドはそれに従い、幼女の姿の父と向き合う形になる。アレックスもその横で丸くなった。
「今日でお前は十五歳になる。わしが育てた年月と、お前を拾ったときの状態からそう決めただけだがな」
「ええと、犯罪を犯した母さんを父さんが捕まえて、その後で身寄りのない私を拾ってくれたんだよね?」
父の言葉にミカドはそう答えた。ミカドの母は国家に対して重大な反逆罪を企てたらしく、それを父が取り締まった。その後、一人残されたミカドを引き取り、犯罪者の娘を連れて暮らすために、誰も近寄らないこの魔境に移り住んだ。
ミカドはそう聞いているのだが、今日の父はいつもと違っていた。いつもは何をするにしても即断即決なのだが、今日はなんだか言いづらそうにそわそわとしている。
「大体はその通りだが、わしはお前に嘘を吐いていた。細かいことはこれから話すが、これだけは先に言っておこう。実は、お前は男なんじゃよ」
「ええっ!? お、男!? 男ってもう絶滅したはずじゃ!?」
ミカドは心底驚いたし、アレックスも目を丸くした。『男』というのは、かつてこの地球上に存在していた人間の一種だ。現代において人間と言えば『女』そのものである。
「ネットや図鑑では見たことはありますが、あれは絶滅した種族では? 今の時代、恐竜ですら復元できるのです、もはや伝説上の生き物ですよ」
アレックスは師匠相手にツッコミを入れた。彼の言っていることは間違っていない。文明が進んだ近代人類は、あらゆる病気や災害を克服し、かつて絶滅した動物さえも大多数を現代に蘇らせた。
その中で、唯一禁忌とされて復元が許されず、また不可能とされる種族が一つだけある。それこそが『男』という生物だった。
「でも、私はどこからどう見ても女の子だよ? あの突起みたいなのも無いし」
ミカドは立ち上がり、全身をぺたぺたと触る。最近、だんだん体が丸みと柔らかさを帯びてきているが、寝る時に父が話してくれたおとぎ話で聞いたことのある男の特徴はまるで無かった。
「お前はこの世界で唯一、男の遺伝子を持っているのだ。それこそがお前の母である皇博士の犯した罪だ」
「すめらぎ……? それが私のお母さんなんですか?」
「うむ、この話をするためには、わしの過去の罪も話さねばならない。少し長い話になるが、大事な事だからな」
そう言って、ミカドの『父』は、過去に出会った『母』ついて語り出した。