第1章 第3話 バレーボールという競技
「お、一年は二人とも電車組か」
あたしたちが暮らしている地域は田舎だけあって学校の数が少ない。そのため名前を書けば誰でも受かるレベルの高校なのに電車で通学をしている生徒は多く、あたしもその一人だ。まぁあたしの場合近所に別の高校があったのにわざわざ花美高校を選んだので普通の人とは事情が違うんだけど。
電車組はあたし、翠川さん、一ノ瀬さん。徒歩組は小野塚さん、扇さん、部長さんの組み合わせ。明らかに敵意のある二年生組とは別のようで一安心。
「水空さんはバレー上手なんですか?」
まだ見慣れないこの辺りを見渡していると、隣を歩いている翠川さんが口を開いた。駅前と言っても過疎ってるせいでまともな光なんてないから暗くて表情は見づらいけど、たぶん笑顔なんだろうな。それにしてもこの子、同級生のあたしにも敬語なんだ。
「うーん、まぁ……そこそこ?」
「おいおい謙遜すんなよ。軽く見た感じ全国レベルだったぞ」
謙虚に答えたあたしの言葉に、前を歩く一ノ瀬さんが振り返ってツッコミを入れてくる。角が立たないように言ったんだけど、気遣い無用って感じかな。
「全国っ!? すごいですっ!」
全国という言葉に反応して翠川ちゃんが大きな声を上げる。表情は見えないのに、その輝いた瞳だけはやけにはっきりと見えた。翠川さんはそのまま興奮した様子で言葉を続ける。
「じゃあ花美高校のバレー部も全国レベルなんですかっ!?」
「…………」
どうしよう、なんて返そう。一ノ瀬さんの前で正直なことは言えないよなぁ……。
「いや、うちは最底辺だよ。去年の大会は全部一回戦負けだ」
なにも言えないでいると、先を歩いていた一ノ瀬さんが少し悔しげに答えた。
確かに結果はその通りかもしれないけど、部員自体のレベルは実績ほど低くないと思う。
まだ一日しか見てないから何とも言えないけど、一ノ瀬さんのサーブ、スパイクは中堅レベルではあるし、扇さんも150cm中盤と身長は話にならないけどレシーブに関しては目を見張るものがあった。そしてその扇さんを軽く凌駕するほど、小野塚さんのレシーブは神懸かっていた。部長さんは置いておくにしても、一回戦負けするような人材ばかりかというと、首を捻る余地はある。
じゃあなにが悪いかっていうと、たぶん環境が悪いんだと思う。
「それならなんで水空さんは花美高校に入ったんですか?」
それにしてもこの子は答えづらいことをずけずけと訊いてくるなぁ。でももう小野塚さんには言っちゃってるし、チームに入った以上伝えておかなければならないことだ。
「あたし、勝ち負けに興味ないんだよ」
四月とはいえ東北の夜は寒く、冷たい風が肌を打つ。それとは別に、あたしの発言で気温が一気に下がったような気がした。
「あたしがバレーをやってるのはただ楽しいから。バレーがやりたいからバレーをやってる。でもみんなは違う。勝つために、上手くなるためにバレーをやってる。強豪校だとそこの落差が激しくてね。地元の高校が強豪校だったから、そこまで強くない……楽しくバレーができそうな花美高校を選んだんだ」
言いながら一ノ瀬さんの後ろ姿をじっと見つめる。こういうことを言ったらだいたいの人は怒るか呆れるかの二択の反応をとる。せめてすぐに謝れるようにはしておきたい。
「それ、梨々花の前では言わないでくれるか?」
しかし一ノ瀬さんの反応はいたって静かなものだった。表情は見えないが、今までの一ノ瀬さんの声とはまったく違う小さな、それでいて強い口調であたしに言う。
「環奈の考えは間違ってない。むしろ勝ち負けを超えて楽しめるなんてスポーツ選手としてなによりも正しいと思う」
一ノ瀬さんの頭がゆっくりと上を向く。つられてあたしも見上げてみると、雲一つない夜空に光り輝く星がいくつも踊っていた。
「でもさ、あいつはリベロとして絵里にボールをつなげたいからバレーをやってるんだ。まぁスポーツをやる動機としては間違ってると思うけど、とにかくあいつはただそれだけのためにバレーを続けてる」
小野塚さん……そんな理由があったんだ。だったら素直にあたしの申し出を受ければよかったのに。ほんとにわからない人だなぁ。
「去年はたいして上手くもない当時の3年が正リベロになったし、引退してからは人数の関係でリベロにはなれなかった。中学でも似たような感じで、絵里がいる間は一度もリベロになれなかったらしい。あいつはそういう不遇の時代を生きてるんだよ。そして今年も……たぶんリベロになれない」
あたしの方が、上手いから。一ノ瀬さんは口には出さないものの、語りでそうあたしに伝えてきた。
「去年までのうちは年功序列制だったけど、今年は違う。勝つために必要ならたとえ一年だろうが、初心者だろうがレギュラーにする。だから梨々花は……」
「それは違いますよ」
先輩の言葉を遮るなんて怒られそうなことはしたくないけど、それだけは違う。
バレーボールは、そうじゃないんだ。
「バレーボールはつなぐ競技です。レシーブでつないで、トスでつないで、チーム全員でボールを、想いをつなぐ。一人だけが上手いんじゃ勝てない。チーム全員がつながらないと勝てないんです」
だから去年の花美高校は一回戦負けだったんだと思う。練習に参加しない下手な人が一人いるだけで、他のメンバーがどれだけ上手くても絶対に勝てなくなる。バレーボールはそういう競技だ。
「だから新入部員のあたしよりも、チームで長く一緒にバレーをしてきた小野塚さんがリベロをやるべきです」
これは謙遜でも気遣いでもない。あたしの心からの気持ちだ。
あたし自身は勝ち負けには興味ないけど、いや興味がないからこそ、チームのためのバレーをするべきだと思う。あたしは楽しくバレーができれば他にはなにもいらないから。
それに小野塚さんは上手い。中途半端な人だったらあたしの方がいいと思うけど、小野塚さんはチームに必要な人だ。それだけは間違いない。
「……ま、決めるのは部長の絵里だ。ウチらはそれに従うだけだよ」
一ノ瀬さんがそう言ったところで、暗闇の中でぼんやりと輝く駅が見えてきた。小さく脆く、吹けば消えてしまいそうな乏しい灯り。
あたしたちはそれ以降なにも言葉を発さず、その光の中に消えていった。
〇梨々花
「なんだべあの水空って一年! ちょーむかつく!」
電車組と別れ、三人になったわたしたちは街灯一つない木々に囲まれた坂道を上っていた。わたしたち三人は全員同じ中学出身で、家も高校もそこそこ近所。ここから歩いてニ十分ほどで全員家に着く。
「そう思わねぇか? 梨々花ちゃんっ!」
ご近所だけあってこの三人でいる時だけは方言が標準語だ。と言っても絵里先輩はいつでも標準語だから方言を使うのはわたしと美樹の二人だけなんだけど。普段のふわふわした雰囲気はどこへやら、美樹がふわふわの髪を振り回してわたしに同意を求めてくる。
「わたしは別に……そうは思わなねぇけど」
「でもあの子リベロやる気満々だべ? 確かに上手だと思うけども、チームで長くやってきた梨々花ちゃんがレギュラーになるべきなのにっ!」
「それは違うべ」
一歩先を歩いている絵里先輩を見てはっきりと答える。ここら辺には街灯がほとんどないせいでどんな様子をしているかはわからないが、目線は確かにこっちを向いている気がした。
「バレーボールはつなぐ競技だもん。レシーブでつないで、トスでつないで、チーム全員でボールを、想いをつなぐ。一人だけが上手いんじゃ勝てない。チーム全員がつながらないと勝てない」
「だからこそ梨々花ちゃんが……!」
「そうじゃないんだよ。だからこそボールを確実につなげられる人がリベロをやるべきだと思う」
ボールを絶対につなぐこと。それだけがリベロの存在意義だから。
「上手い方がリベロをやる。そうですよね? 絵里先輩」
「うん……そうだね」
わたしの言葉に絵里先輩がゆっくりと振り返る。やはり顔は見えないが、悲しそうな声ははっきりと聞こえた。
「でもそしたら梨々花ちゃんが……!」
絵里先輩の表情は変わらず見えないが、隣を歩く美樹の顔は近くを通った車のヘッドライトに照らされて鮮明に見えた。辛そうで、泣きそうな顔。わたしなんかのためにそんな顔しなくてもいいのに。
「大丈夫。リベロは絶対にわたしがやる」
現時点では水空さんに負けているかもしれない。ならわたしにできることは一つだけ。水空さんよりも上手くなればいいんだ。
そうすれば、わたしが絵里先輩にボールを繋げられる。
それだけがわたしがバレーボールをやっている理由。
小学生の時、わたしは県でもそこそこ有名な選手だった。当時から身長は高くなかったし、小学生バレーはリベロどころかポジションの概念がないから結果こそ残せなかったが、セッター的なプレーは中学生にも負けていなかったと思う。
地元で負けなしだったわたしは調子に乗ったまま中学に上がり、迷うことなくバレー部に入った。
そして、本物を見た。
音一つなく、綺麗な山なりの弧を描いてスパイカーに繋がれたトス。わたしのただ勝つための雑で力任せなトスとは格が違っていた。
そのトスを上げた人の名前は、瀬田絵里。わたしはその人のトスに。いや、その人に強く憧れた。一目惚れと言ってもいいくらいに心酔した。
あの完璧なトスを上げる人にボールを繋げられたらどれだけ幸せだろう。そう思ったわたしは一番レシーブを上げる機会の多いリベロになることを決めた。
実力は一カ月ほどで当時の三年生を超えたが、年功序列制のせいで二年間わたしは正リベロになることはできなかった。それどころか下手に上手いせいで先輩に目を付けられ、上級生がいなくなるまで球拾いしかやらせてもらえなかった。
高校でも年功序列は変わらなくて、一年生の時は三年生がいる間は正リベロにはなれず、三年が引退してからは人数の関係でリベロすらできなくなった。
だから、リベロを作れて絵里先輩がいる今年こそが最後のチャンス。絵里先輩は高校を卒業したらバレーを辞めると言っている。本当に今年しかないのだ。
これを逃したら、わたしは一生あの人にボールを上げることはできない。
「絶対にわたしが絵里先輩にボールをつなぎます」
絵里先輩は振り返らないし、なにも言わない。口だけならなんとでも言える。プレーで示してみろと言いたいのだろう。
なにも言葉がなくても絵里先輩の気持ちが伝わってくる。これが本当につながっているということなんだと思う。
だからわたしもこれ以上は言わない。たぶんわたしの気持ちも絵里先輩につながっているから。
わたしたちが歩く道は木々がより深くなる森林公園へと入っていく。ここは本当に灯りがなく、前を歩く絵里先輩の姿を確認することすらままならない。
わたしたちはそれ以降なにも言葉を発さず、その闇の中に消えていった。