第1章 第36話 つながらない二人のバレーボール
花美 紗茎
23-24
風美 L 蒲田
天音 知朱 S
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朝陽 絵里 きらら
環奈 美樹 梨々花
〇
サーブ位置に立ち、ボールを床に突きながら考える。あと一点で同点。デュースに持ち込める。逆に取られればその時点で敗北が決まる。そしてそれらは、今はどうでもいい。
負けるかもとか、デュースに持ち込めばなんてのは全て雑念だ。やることはいつだって一つ。目の前の一点を取ることだけだ。
「いくべ!」
サーブトスを上げた時点で、確信する。このボールの軌道……何の迷いもない、今までで一番の出来。このサーブは相手を崩せる。紗茎にだって、負けやしない。
「あぁぁっ!」
「……くそっ、フォロー!」
わたしが打ち出したモーションも軌道も全力のジャンプフローターサーブは、双蜂さんの手を弾き逸れていく。リベロの人が何とか上げるが、セッターまでは届かない。このボールは攻撃につながらずこちらに返ってくるだろう。
「チャンスボール!」
環奈ちゃんも同じことを考えていたようだ。最後の三打目が来るよりも早く、カウンターの構えを取れと指示を出す。だがその考えを、鋭い風が吹き飛ばした。
「ふうっ!」
ネットの高さを超えるか超えないか。そんな低いボールにも関わらず、蝶野さんは見事に打ち切ってみせた。予想していたより何十倍も速く鋭いボールがこちらに返ってくる。しかし直後、それと同じくらいの速さで、ボールは紗茎のコートに返っていった。
「チャンスボールって言ったんだからチャンスボールにしなさいよ風美ぃ!」
「環奈ちゃん……っ」
あんな突発的なスパイクを完璧にレシーブしてみせた環奈ちゃんが、そのままボールを弾き返したのだ。激流水刃の本領、相手を速度で溺れさせる高速返球。返っていったボールを蝶野さんが弾き、リベロがわずかに上げる。双蜂さんがボール下に辿り着くが今度はネットよりもはるかに下。どれだけ上手くてもスパイクでの返球は不可能だ。
「望み通りチャンスボールにしてあげるよ、翠川さん!」
「ぇ? じぶ……あぁぁっ」
双蜂さんがアンダーで返してきたボールが向かう先はきららちゃん。ブロックで天才的な活躍を見せてきたきららちゃんだが、レシーブはまるで練習してこなかった。オーバーかアンダーどっちで取るかばたついてしまったきららちゃんは、結局アンダーでわずかにボールを上げるだけに留まってしまった。さすがは双蜂さん。転んでもただでは起きないといった感じのプレーだ。
「ごめんなさ……っ」
「謝るならプレーで挽回して!」
しかし環奈ちゃんも負けていない。転がるようにボール下に潜り込むと、アンダーハンドでボールを高く打ち上げる。花美も紗茎もお互いまともな助走も取ることができない高速プレー。その状況において最強なのは、元の高さが飛び抜けているきららちゃんだ。
「やぁっ!」
「ワンチ!」
しかし体格を補うほどのセンスがそのスパイクを阻む。この高速化したプレーにしっかりとついてきていた双蜂さんがスパイクの威力を弱め、蝶野さんがボールを高く上げた。
……すごいという言葉しか浮かんでこない。環奈ちゃん、双蜂さん、きららちゃん、蝶野さん。ハイレベルな選手がハイレベルなプレーを展開し、お互いのやりたいことをやらせず、ひたすらにボールがつながっていく。その高度な攻防に、わたしたちのような凡人が入り込む余地はない。できるのはせいぜい彼女たちの手が届かない位置で守りを固めることだけだ。
「……なにやってんの梨々花。あんたはあっち側でしょ」
高校最高レベルの選手のプレーを目で追う中、絵里先輩の冷たい声がわたしに向けられる。
「あの子たちを見て。ああいうプレーをしてみたいって、もっと上手くなりたいって思わないの? 思うよね。梨々花は昔から、他人を見るのが大好きだから」
「……思いますよ。そりゃあ、バレーをやってるんだから。上手くなりたい、強くなりたいって、思いますよ」
「じゃあやってくればいいでしょ。どうしてそんなところで突っ立ってるの。なんで前に進もうとしないの」
「上手くなりたい……でも、ごめんなさい……。わたしはやっぱり、絵里先輩とバレーがしたいです」
わたしはああいう風にはなれない。環奈ちゃんのようにバレーに溺れたり、きららちゃんのように才能を振りかざしたり、もっともっとと上に登っていくことはできない。だってわたしはどこまでいっても、絵里先輩の隣にいたいだけなのだから。
「……私はこの大会でバレーを辞める。紗茎に勝とうが全国に行こうがそれは変わらない。梨々花もバレーを辞めるの? ずっと私についてくるつもり?」
「そう……したいです……けど、だめなんですよね。……絵里先輩は、わたしが嫌いだから」
「うん。私は梨々花と一緒にはいられない。でも最初はそうだったでしょ? 私と出会ってバレーを始めたんじゃない。バレーをやりたいと思って、バレーが楽しかったから、バレーをやっていた。だから寄り道はこれでおしまい」
「はい……。……いや……いやぁ……っ。絵里先輩……絵里先輩……っ」
「……ほんと嫌い。もういいや。どうせ言っても聞かないでしょ、梨々花は。だから私から話すことはもう何もない。最後に背中を押してあげるだけ」
「絵里せんぱ……っ」
参考にするべき対象が見える視界が水滴で歪む中、命とも言えるボールの位置だけははっきりと浮かび上がっていた。蝶野さんがレシーブし、トスを待たずに打とうと双蜂さんが跳び上がる。その一手飛ばした素早い行動にも環奈ちゃんときららちゃんは追いついていた。きららちゃんがストレートを塞ぎ、環奈ちゃんがクロスで待ち構える。だが双蜂さんはボールを打つ直前、スパイクモーションを崩してボールをつないでみせた。つながれたのは蝶野さん。ブロックもレシーブも振り切り、全てを吹き飛ばす嵐が遮られることなく飛んでくる。
「あぁぁぁぁっ!」
身体が勝手に動いていた。ボールを追い、ボールを拾い、ボールがつながっていく。絵里先輩の元へと。
「ナイスレシーブ」
一言。たった、一言。この言葉を聞くために、わたしは――。
「梨々花」
「――はい」
つながったボールは再び宙に上がっていく。わたしへとつながるために。だからわたしは駆け出し、跳び上がった。
そして、つながらなかった。
それはさっきのプレーと同じ、高く速いトスだった。違ったのは唯一、高さ。さっきよりも高いトスはスパイクを打つために跳び上がったわたしの手の上を通り抜け、床へと落ちていく。23-25。試合は花美の敗北という形で決着がついた。
「……私は悪くない」
もう動かないボールを目で追う中、絵里先輩の声だけが届いていた。
「梨々花ならもっと跳べると思った。梨々花の才能なら、もっともっともーっと高いところまでいけると思った。だから私はつなごうとした。でも、つながらなかったね」
「そう、ですね……つながらなかった。わたしが下手だったから、絵里先輩の想いをつなぐことができなかった」
絵里先輩にボールをつなげるという今までの夢。それはつながった。つながり終えた。
でもここから先。絵里先輩が求めるところまでは、今のわたしでは届かなかった。もっと練習しないと、全然、届かない。
「絵里先輩。わたしはもっと強くなります。あの想いをつなぐことができるくらい、強く」
「勝手になりなよ。私はもう知らない。だって私の実力じゃあんたを強くすることなんてできないから。だからもっと上手い人たちとバレーをやりな。そのかわいくない後輩たちとね」
「誰がかわいくないですか。あたしは超絶かわいいんですけど」
環奈ちゃんが汗をぬぐいながら近づいてくる。そうだ……わたしのミスで試合を終わらせてしまった。ちゃんと謝らないと。そしてやり直そう。環奈ちゃんたちと、もっと……。
「……梨々花」
環奈ちゃんへと向かおうとしたわたしの身体が、後ろから抱きしめられる。たぶんこれが最後。今までのわたしたちの終わりだ。
「今までごめんね……大好き……大嫌いだけど……大好きだったから……ごめん……ごめんねぇ……!」
「絵里先輩……わたしだって大好きです……うぇぇぇぇ……!」
コートに二人の慟哭が溢れ、一人の青い春が終わりを迎えた。
 




