第1章 第34話 武器
花美 紗茎
21-24
「梨々花先輩、ごめんなさい。もう余裕ないです。あなたの夢が叶ってほしいとは願えても、そう思えるほど心にゆとりがない。だから取れるレシーブは全部あたしが取る。先輩の夢を叶える機会が減ると思うので初めに謝らせてください」
ボールを持ちサーブポジションに向かう梨々花先輩の背中にそう語りかける。最近意識しようとはしている言葉選びなんて考える余地もなかった。
「環奈ちゃんが気にすることは何一つねぇ。この先試合が続けばその分絵里先輩にボールをつなぐ機会も増える。お互い考えることは違ってもやることは一つだべ? 試合に勝つ。それ以外ねぇよ」
「ですね。お互いがんばりましょう」
訛りが出ている梨々花先輩もわたしを見ようとはしない。梨々花先輩だって心に余裕がないんだ。それで構わない。喧嘩しているわけでも貶めようともしていない。見ている方向は別でも、道は一つだけ。だから何の心配もいらない。
「勝ちましょうね」
「うん」
声を掛け合い、プレーが始まる。そしてあたしはあたしを再確認する。あたしが梨々花先輩に勝っている部分は何かを。自分がリベロとして役立てる武器は何かを。
ボールコントロールは負けていると判断していい。あたしにさっきの神業は無理だ。挑戦しようとも思わない。でも全てで劣っているとも思えない。あたしには梨々花先輩にはない、経験がある。
全中を三連覇。他の大会でも優勝してるし、日本代表の選考会にも、練習会にも参加している。努力と経験、そしてそこから来る読み。田舎で燻っていた梨々花先輩には絶対にない、あたしだけの武器。
だからサーブが始まる前に予測する。向こうのカウンターは何か。レシーブは確実に天音ちゃんだ。リベロは梨々花先輩のサーブを取れなかったし、風美や知朱ちゃんもサーブレシーブがあるポジションじゃない。トスを上げるのはおそらく知朱ちゃん。さっきのプレーでセッターが割って入ったのは暴走と判断していいと思う。ならば上げる先は誰か。性格的には本命天音ちゃん、次点で風美。勝つためにはその逆といった感じだろう。でも知朱ちゃんは天音ちゃんと違って割り切りがいい。紗茎の三年という線もあるだろう。あたしたちの裏をかくという目的ならむしろ三年が最有力と考えてもいい。
「いくべ!」
考えている内に梨々花先輩のサーブが始まる。先輩のサーブは、ジャンプフローターのモーションからスパイクサーブ。簡単に天音ちゃんに取られてしまったが、悪くない判断だと思う。スパイクサーブの時点で天音ちゃんには通用しないが、これでジャンフロしか打たないと読まれてしまえばハイブリッドサーブが打てるという武器がなくなるし、レシーブに天音ちゃんが外れて攻撃に備えられてしまう可能性がある。天音ちゃんがレシーブするしかないのだと牽制する。それが今の最適解だ。
「知朱!」
天音ちゃんがつないだ先はやはり知朱ちゃん。でも知朱ちゃんは特別セットアップが上手いミドルではない。速攻や時間差のようなコンビネーション攻撃はないと考えていい。一番厄介なのは風美へのオープントス……だけど。フォーム的にバックトスってわけじゃなさそうだ。ならもう一つの可能性。
「ツーアタック! だと思ったよ!」
「マジ!?」
知朱ちゃんはセットアップモーションからトスを上げず、片手だけでボールをこちらのコートに落としてきた。事前にそれを読んでいたあたしはフライングでそれを拾い、不本意だけど部長さんにボールをつなぐ。
「朝陽!」
「しゃぁ!」
部長さんがつないだ先はエースの一ノ瀬さん。でも天音ちゃんと知朱ちゃん、二枚のブロックがついてきている。……フォーム的にたぶん止められるな。落ちてくる先はたぶん……。
「あたし、てんっさい!」
予想通り一ノ瀬さんのスパイクは天音ちゃんに止められたが、事前に予測していた落下地点に飛び込む。そしてそれを完璧に拾い、ブロックフォローに駆けてきていると思っていた梨々花先輩にボールをつなぐ。
「美樹!」
「うん!」
梨々花先輩がトスを上げた先は、扇ちゃんのバックアタック。たぶんモーション的に強打ではなくフェイントだな。ブロックの頭上を越えるゆったりとした攻撃。ブロックに捕まることはないだろうし一度下がるか。
「はぁっ」
そしてこれも予想通り、扇ちゃんはフェイントを打ってリベロがボールを拾う。でもAパスにはならない。フォローに知朱ちゃんが入って、ボールを上げる先は天音ちゃん。速い展開のせいでブロックに間に合ったのはきららだけ。クロスは塞いだ。後はストレート……だけどきららがいるってわかってるのに身体の向きはクロスなんだよなぁ。だから。
「こっちには絶対打たないでね?」
「このっ……!」
天音ちゃんの技術ならクロスのさらに内側、ブロックの前を通り抜けるインナーに打ってくる可能性がある。だからそれをさせないためにインナーに回り込み、その直後後ろに駆け出した。フェイントなら梨々花先輩や扇ちゃんだけでも対応できるけど、あえてブロックに当ててボールをコートの外に出すブロックアウトは、梨々花先輩がトスを上げたことで前寄りになった守備では対応できない。
「流火がいないと攻撃のパターンが限られちゃうねぇ天音ちゃん!」
「……後輩が成長してくれてほんとうれしいよ、環奈」
やっぱり読み通り。ブロックアウトを選択した天音ちゃんのスパイクはきららのブロックに当たり、ボールが大きく後方に流れていく。その真下にいたあたしはボールを梨々花先輩につなぎ、急いでネット前に戻る。
「あぁ……たりないっ♡ もっと……もっと沸き立て……っ♡」
リベロをやっていて一番楽しいのは、相手の渾身の一撃を拾った時。そして熱狂した観客の声。でもこれはまだ一回戦……観客の数も声も、あたしを盛り上げる全てがたりない。もっと……もっと先に行かないと……。もっと勝たないとあたしが望むものは手に入らない……っ。
「……え?」
バレーに焼かれていた脳が、一瞬にして冷めて醒める。梨々花先輩に託したボールはつながらなかった。まるでさっきの紗茎のように、梨々花先輩のボールを部長さんが取ろうとしたのだ。ただ違うのは、衝突して二人とも床に倒れたこと。ボールは二人の中心に落ちて……。
「あぁ!」
さっき休んでおいてよかった。あたしは二人の身体に跳びつくようにダイビングし、ボールを高く上げる。でもミスった。ボールが相手コートに返ってる……そしてそれを直接叩こうと、天音ちゃんが跳び上がっている。あたしたちがネット前で倒れているせいできららもブロックに入れていない。急いでレシーブに戻らないと……!
「やめて……っ」
「っ……!」
しかしそれを阻んだのは、同じチームであるはずの部長さんだった。あたしの脚を掴んで動けないようにしてくる。となるとさっき梨々花先輩にぶつかったのはわざとか……間違っても勝ってしまわないように。梨々花先輩の心を折るために。
もうほんっっっっとうにむかつくが、今はそれすらどうでもいい。ただ勝つために、目の前の情報を掬い取るだけだ。あたしの力じゃ普通にやっても部長さんを振りほどけない。この瞬時の対応だ、たぶん天音ちゃんでもコースを打ち分ける余裕はない。ならおそらく素直に振り下ろしてくる。あたしの後方に。動けなくても、オーバーハンドならボールに触れる。苦手な、オーバーハンドなら……。
「なんて、無理か」
だが瞬時にその考えを切り捨てる。梨々花先輩ならオーバーでも取れるだろう。でもあたしは梨々花先輩ではない。そこで張り合っても勝てはしない。あたしが磨いてきた武器はただ一つ、アンダーハンド。そして!
「肩から下、全部!」
身体をひねることで部長さんの手を外し、そのまま腕に力を込め逆立ちの要領で脚を大きく上げる。完璧なレシーブとは言えないが、磨き続けた脚を活かすスタイル。努力はあたしを裏切らず、脚に当たったボールはきららの前……ネット上に上がっていく。
「押し込めきららぁ!」
「ネット際で初心者に負けるか!」
きららに指示した直後、ボールに知朱ちゃんの手が届く。こうなってはボールの押し合い……単純な高さならきららの方が上だけど、経験は知朱ちゃんの方が圧倒的に上。早くフォローに入らないと……!
「……センス二重丸かい」
だがあたしが駆けつけるより早く、知朱ちゃんが悔しそうにつぶやいた。きららは押し合いには参加しなかった。一歩下がり、ブロックの体勢を作ったのだ。知朱ちゃんが押したボールを叩き落とし、これで22-24。ついに紗茎の背中が見えるようになった。
「……自分はミドルブロッカーなので。ブロックすることが仕事です」
……知朱ちゃんの言う通り、本当にセンスがいい。あたしが考え抜いて見つけた自分の武器を活かすという形に、とっくのとうに気づいていたんだ。これには辛口の胡桃ちゃんも拍手するしかない。……なんか泣いてるように見えるけど気のせいだろうか。
「さて……部長さん。申し開きはありますか?」
能力がないのなら許せるが、文字通り脚を引っ張られてはどうしようもない。梨々花先輩にわざとぶつかり、あたしの邪魔をした部長さんを問い詰めようとすると。
「……本当に、いい加減にして」
泣いていたのは胡桃ちゃんだけではなかった。部長さんも、座りながら涙を流していた。
「絵里先輩……?」
「触らないで!」
同じくへたり込んでいた梨々花先輩が伸ばした手を叩き、部長さんが叫ぶ。
「梨々花! あなたのことが嫌いなのよ!」
梨々花先輩を壊す、最大の武器が炸裂した。
 




