第1章 第33話 登山一歩目
花美 紗茎
20-24
風美 L 蒲田
天音 知朱 S
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朝陽 絵里 きらら
環奈 美樹 梨々花
〇
公式戦は好きだ。負けたら次がないという緊張。本気を出してくれる相手。その攻撃を完璧にレシーブできた時の高揚。スーパーレシーブに魅せられた観客の歓声。練習試合では得られない快感がある。
それ以上にポジション争いなんかのドロドロが嫌だから梨々花先輩にポジションを譲ろうとした。何かがあってきららがリベロをやりたいと言い出したとしても、たぶんあたしは普通に譲ると思う。やろうと思えばいつでもどこでもあたしがリベロになれるから。
でも今。あたしと並ぶ……もしかしたらあたしより上かもしれない存在が現れて。あたしは絶対に譲りたくないと思っている。あたしが君臨し続けてきたこのポジションだけは、他の誰にも渡したくない。だってあたしが一番上手いから。
そしてそれを証明してみせる。この試合で、あたしことが一番だと。
「……天音、また怖い顔してるよ」
あたしがコートに入ると、向こうのコートからかすかに声が聞こえてきた。
「……知朱、油断しないで。環奈に風美のレシーブを取れるレシーバーが二人。加えて前衛には翠川さん……。断言できる。今の花美は、防御力だけなら高校最強のチームだよ」
「裏を返せば攻撃力はないってことでしょ? 私がきららに専属でつく。あのでかい子さえ抑えられればこっちが点を取られることはないって」
「……お互い点が取れない状況になったら不利になるのは紗茎だよ。風美も含めて環奈のせいでだいぶ体力が削られてるからね」
「だから天音が入ったんでしょ? あんたは昔から考えすぎなんだって。大丈夫、最強は天音だよ」
天音ちゃんと知朱ちゃんが話し合いが終わるとほぼ同時に梨々花先輩がサーブを打った。ジャンプフローターのモーションからのジャンプフローター。威力の弱いスパイクサーブでは天音ちゃんを崩せないと判断したのだろう。正真正銘の真っ向勝負だ。
「知朱!」
しかしスランプに陥っていたとはいえあたしを破ったサーブと言えど、天音ちゃんには通用しない。簡単にオーバーで捉えられ、知朱ちゃんの頭上に飛んでいく。正直な話を言えば凄腕のレシーバーが三人いたとしても、紗茎相手に有利に立ち回れるとは思えない。一番上手いのは天音ちゃんだけど、それ以上に風美の存在が厄介すぎるのだ。正面から捉えられたとしても、あの威力が相手だと必ず拾えるとは言い切れない。だからなるべく長期戦にしたくない。たぶんそれはお互い思っていることではあるだろうけど。
「どけぇ!」
風美にだけは上げないでくれ。その想いは別の方向から裏切られた。紗茎のセッターが知朱ちゃんから無理矢理ボールを奪い、蒲田さんにセットしたのだ。
「馬鹿……!」
天音ちゃんが舌打ちしたが、一度上がったボールは戻らない。蒲田さんのバックアタック……ストレートは梨々花先輩がいるし、クロス方向にはきららのブロックがある。前セットから蒲田さんはきららのブロックにビビってる感があるし、身体や視線からおそらく打ってくるのは梨々花先輩の方……ただ懸念点としては部長さんもブロックに跳ぼうとしていること。ここを抜かれると困る。
「……レシーブだけがリベロの仕事じゃないんでね」
だからあたしは部長さんの後方……そして蒲田さんから見てきららで視界が塞がらない位置に立つ。間違ってもこちらに打ってこないように。あたしがリベロの実力を見せつけたいのは個人のわがまま。あくまで目的は試合に勝つこと……そして梨々花先輩が部長さんにボールをつなぐこと。
おそらくここからは風美や天音ちゃんの攻撃が増えてくる。そうなればセッターまで伸びるAパスができる保証はない。ここが梨々花先輩が部長さんにボールをつなぐラストチャンスかもしれない。これがあたしのできる最大限。後は梨々花先輩の実力を信じるだけだ。
「……え?」
予想は当たった。蒲田さんのスパイクは梨々花先輩の方へと打たれ、梨々花先輩はそれを正面から捉えた。普段の梨々花先輩なら完全に捉えきれるコース。しかしボールはあたしの真正面を高度を上げながら通り過ぎていく。軌道はレシーブを失敗した時のそれ。速度的にあたしじゃ間に合わない。
「扇ちゃ……!」
慌てて扇ちゃんにフォローを指示しようとしたが、言葉は最後まで出なかった。既に扇ちゃんがボールに触れていたから……だけじゃない。スパイクモーションに入っていた扇ちゃんの左手に、ボールが収まっていたからだ。
そしてボールは相手ブロッカーもレシーバーも全く反応できないまま、相手コートに叩き込まれる。これで21-24だが、そんなことはどうでもいい。勝敗なんて、今のプレーの前では些細なことだった。
「「「……なにこれ」」」
あたしと風美と天音ちゃん。中学三連覇を果たし、学生日本代表候補にもなっているあたしたち三人が、理解できずに声を漏らすことしかできない。
完全にレシーブに失敗した時のボールの軌道だった。見てからスパイクに跳んでも間に合わない速度だった。それでも扇ちゃんはボールを打っていた。それが意味することはただ一つ。跳躍中の、スパイクを打つ扇ちゃんの手に合わせて、梨々花先輩がボールをセットしたのだ。トスではなく、レシーブで。
……ありえない。少なくともあたしでは、不可能。遊びでならともかく相手のマッチポイントという状況で、狙った場所に狙った速度でスパイカーが打てるレシーブトスを上げるなんて神業は、絶対にできない――。
「「うぇーーーーい!」」
一歩も動けないでいるあたしの目の前で、梨々花先輩と扇ちゃんが笑顔で両手ハイタッチをする。
「秘密で練習してた必殺技、やっと成功できたね! 見た見た水空ちゃん! みきたちのラブラブコンビネーション! 水空ちゃんじゃ絶対できないでしょ!」
「環奈ちゃんに絡むんでねぇ美樹。それに環奈ちゃんならもっと上手くやるに決まってんべ? さっき蝶野さん相手にやろうとして失敗したが、環奈ちゃんならあのスパイク相手でもできるに決まってる。ねぇ環奈ちゃん。環奈ちゃんは天才だもんね」
「……はは」
驕っていた。完璧に勘違いしていた。あたしの方が上だと証明するなんて……調子に乗っていたにも程がある。
圧倒的に、確実に、完膚なきまでに。梨々花先輩の方が、あたしより上手い。
「こら天音また怖い顔してる! あんなの絶対まぐれだって! イレギュラーに動揺してどうすんの?」
「……違う知朱。梨々花じゃない」
部長さん、本当にごめん。今なら完全に気持ちがわかる。こんなの耐えられない。こんな精神状態で何年も一緒にいられるわけがない。うん、嫌いだ。だいっきらいだよ。梨々花先輩じゃなく、あたし自身が、許せない。
「……今まででも環奈より格上と呼ばれるリベロはいた。一緒に集められる時は、いつもその人にリベロを譲ってきた。それでも平然としていた。勝ち負けに興味がないって言ってたけど、たぶん違った。本気を出せば自分がリベロになれると確信してたから、戦おうともしてなかった。でも今の環奈は違う。人生で初めて、本気で戦おうとしてる。気合い入れるよ知朱、風美。ここからの環奈は、もう私たちが知っている環奈じゃない」
証明なんかじゃない、挑戦だ。あたしはもっと、上手くなる。なれなきゃバレーができなくなる。コートに立てるリベロは、たった一人なのだから。
 




