第1章 第32話 努力の果て
花美 紗茎
19-24
「さて……環奈には悪いけど、いないうちにさっさと決めちゃおうか」
「焦りすぎだよ天音。相手が誰だろうが、最強は天音なんだから。いつも通りいこう」
タイムアウトが終わり、二人の選手が交代してコートに入ってくる。天音ちゃんだけだと思ったけど……これは本格的にまずいかも……。
OUT:7 星点灯 OH
IN:1 双蜂天音 OH (チームキャプテン)
OUT:3 陽炎青令 MB
IN:10 輪投知朱 MB 2年 174.1cm 最高到達点:290cm
風美 L 蒲田
天音 知朱 S
ーーーーーーーーーーーー
朝陽 絵里 きらら
胡桃 美樹 梨々花
〇
「1番が上手いのは知ってるけどさ……10番はどうなの?」
「……強いですよ。全国制覇した中学二年、三年でレギュラーに入ってた人です。ただ特筆すべきなのはゲームコントロール……途中から入ってくる分にはそんなに怖くないです……いや違うか……」
訊ねてきた外川さんにそう答えたが、即座に否定する。たぶん近田監督が知朱ちゃんを入れたのには別の理由がある。
「知朱ちゃんは天音ちゃんの一番の親友なんです。上手いし冷静……でも責任感が強くて何でも一人でやろうとするきらいのある天音ちゃんのフォロー。それが狙いなんじゃないですかね」
おそらく天音ちゃんは梨々花先輩を相当警戒している。今あたしが梨々花先輩に抱いている感情と、同じくらいに。
「じゃあとりあえず、私が取るので下がっていてください」
天音ちゃんがリベロ含め他の選手をコートの端に追いやる。前衛レフトが率先してサーブレシーブするという普通ならありえない行為だけど、レシーバーとしての実力はリベロより上。梨々花先輩のサーブを確実に拾うには一番の布陣。
「梨々花ちゃんナイッサーも一本!」
扇ちゃんの声援と共に梨々花先輩がサーブを打つ。スパイクサーブのモーションからの、スパイクサーブ。梨々花先輩最速のサーブだ。
「……ジャンフロを交ぜてるから速く見えるけど、冷静になればただのカスサーブだよね」
だがそのサーブは天音ちゃんに簡単に拾われてしまった。これが女子バレーでスパイクサーブを打つ選手がほとんどいない理由の一つ。男子選手以上の威力を持つ風美や自在に回転を操る天音ちゃんならともかく、普通のスパイクサーブでは速度も威力もあまりない、ただの絶好球になってしまう。まぁ天音ちゃんレベルのレシーブ力がないとそんなこと言えないけど……でもおかしい……。
「オーライ!」
完璧に取ったはずのサーブ。しかしボールはセッターではなく、ミドルブロッカーの知朱ちゃんの方へと上がっている。ミスったかと一瞬期待したが、すぐにその甘い考えは消し飛ぶ。
「――レフト」
殺気。ここで敵を討ち取るという気迫。誰がトスを上げようが関係ない。この身の毛がよだつオーラを発している天音ちゃんにつながれば、負ける。
「きららさん!」
その殺気を敏感に察知したのはネット際にいるきらら。普通の選手なら怖気づいてしまうだろうが、きららは才能だけなら天音ちゃんに勝るとも劣らない。だからこそ、引っかかってしまった。
「しまっ……!」
「……もう遅い」
天音ちゃんに跳びついたきららだが、知朱ちゃんがトスを上げた先は風美。その暴風のようなスパイクを阻む壁は、ない――。
「「はぁっ!?」」
しかし次の瞬間叫んだのは風美と天音ちゃんだった。
「くぅ……っ、美樹ごめんっ」
梨々花先輩がボールを拾ったのだ。どこに飛んでくるかもわからない剛速球を。さすがにボールはセッターには返らず近くにいた扇ちゃんがフォローに入るが、それでもミラクルなレシーブと言う他ない。
「……なんで笑ってるの、かんちゃん」
外川さんに指摘されてしまったと気づく。梨々花先輩はこの瞬間のためにバレーをやっていた。チームのピンチを救うスーパーレシーブで、憧れの部長さんにボールをつなぐことを。そしてそれは失敗した。それでもよかったと、思ってしまった。あたしだったら、今のスパイクをセッターまで返すことができたであろうから。
「これは……その……!」
「正直ひーはかんちゃんの気持ちがわからない。リリーの気持ちもね。何か一つのためにずっと努力するなんてこと、ひーはしてこなかったから」
どうにかして取り繕うとしていると、外川さんが語り出す。
「リリーとは高校に入ってからの付き合いだし、かんちゃんとまともに話したのは今日が初めて。だから詳しくはわからないけどさ、バレーをずっとがんばってきたのはかんちゃんの方なんじゃない? だったら大丈夫だよ、かんちゃんの方が上手いはずだから」
……突然なに言いだしてんだこの人。あたしの方が上手いなんて当たり前……いや……今は……。
「全然練習してこなかったひーが言うのもなんだけどさ。試合って今までの練習の成果を発揮する場所でしょ? ううん、練習だけじゃない。今まで積み重ねた全てをぶつける場所。きららんが天音にしてやられたみたいに、積み重ねた人が報われるべきだと思うんだ」
「……本当にあなたが言うことじゃないですね」
「むしろひーだから言えるのかもね。この試合の中で一番負けて当然なのはひーだから。でもかんちゃんは違うでしょ? かんちゃんは試合に立っていいだけの積み重ねをしてきた。優劣を決める、唯一の場所に立てる権利がある。結局のところ試合で証明するしかないし、試合でなら証明できる。どちらが上なのか、はっきりと。それがたとえ同じチームだったとしてもね」
「……そうですね」
……本当にその通りだ。あたしは梨々花先輩に敵わないと思っている。少なくとも才能では、たぶんあたしは負けている。梨々花先輩はバレーボールの天才だから。
でもそれは机上の空論だ。試合に出ればすぐにわかる。レシーブに関しては、リベロだけは、あたしは負けない……負けるわけがない。
「あぁ……バレーがしたい……!」
色々寄り道して、迷って、結局元の場所に帰ってしまった。それでも不思議と気分がいい。あたしにはもったいないくらいの景色を見ることができたから。勝ちたいと思えるようになれたから。でもそこに行くためにはまず、このプレーを勝たなければならない。
「この……しつこい!」
天音ちゃんのスパイクを梨々花先輩が拾う。でもセッターには届かないか……? いや充分届く距離にはいる……でも。
「後輩におんぶにだっこじゃいられねぇよな、胡桃!」
前衛レフトである一ノ瀬さんがボールを奪い、後衛の胡桃ちゃんにボールをつないだ。しかもエースに託すような、大きくてゆっくりとしたオープントスを。
「レフトがトス……? 舐めやがって……!」
「油断しないでください!」
その普段ならありえないプレーに紗茎のセッターが怒りを滲ませたところを、天音ちゃんが叫ぶ。
「真中胡桃の中学時代のポジションは、スーパーエースです!」
胡桃ちゃんが……エース……? あんなにミドルに固執してる人が……と疑問が浮かぶよりも先に、ボールが胡桃ちゃんの上にやってくる。それに照準を合わせた胡桃ちゃんは。
「きららさん、絶対にこっちを見ないで」
そう懇願し、跳び上がった。紗茎のブロッカーは三枚。うち二枚は全国最上位という高い高い壁。そしてそのブロックを、胡桃ちゃんは上から打ち抜いてみせた。ブロッカーの上を通るスパイク……打点の下がるバックアタックではあまり見ない光景だ。守備専門のあたしにはわからないが、何かしらのテクニックを駆使したのだろう。何にせよこれで20-24。あと四点でデュースに持ち込める。
「おい天音。ボールは私に届けろ。いくら何でもトスなら私の方が上だから……」
「……うるさい」
初めの知朱ちゃんへのパスに苦言を呈したセッター。しかし天音ちゃんは上級生の注意に聞く耳を持たず、掴みかからんばかりの迫力でセッターに迫る。
「くだらない感情で私の大切な後輩を傷つけたあなたたちも、試合を優先してそんな人たちを使っている監督も、心の底から軽蔑してる。三年生が春高まで残らない、インハイで引退すると約束したから試合には出てるだけで、知朱や風美がいる状況であなたたちを信頼してボールをつなぐなんてこと、私は絶対にしない。たとえ試合に負けようと、それだけはありえない」
天音ちゃんの力強い宣言に、三年生たちは押し黙ることしかできない。こんな怒ってる天音ちゃんを始めて見た……と同時に大きなチャンスだと感じた。バレーはチームスポーツだ。同じチーム内でここまでギスギスしていては勝てるものも勝てないだろう。まぁそれは……梨々花先輩と部長さんも同じだけど。
「何より小野塚梨々花と翠川きららにはあなたたちとは比べ物にならないくらいの才能がある。努力しているならまだしも、くだらない感情で後輩の足を引っ張るような中途半端な人間が立ち入っていいステージじゃないんです。黙って私の下でおとなしくしててください。紛いなりにも勝ちたいのなら」
「……中途半端な人間。耳が痛い言葉ね」
怒りで周りが見えなくなっている天音ちゃんに割って入ったのは、神業スパイクで紗茎から点をもぎ取った胡桃ちゃんだった。
「ボクもその人たちと同じよ。あなたたちにボコボコにされて、心が折れてエースから逃げた。くだらない感情も、その通りね。申し開きのしようもないわ」
「……今はあなたの話はしていませんが」
「まぁ聞きなさい」
言葉とは裏腹にコートに背を向け、ベンチに戻りながら胡桃ちゃんは続ける。
「ここはボクが立ち入っていいステージじゃないので。後は後輩に任せるわ。才能があって、努力をしてきて、報われるべき人たちに。そして圧倒されなさい。ボクの後輩たちは、ボクと違って勝てる人間よ」
OUT:3 真中胡桃 MB
IN:7 水空環奈 L
「環奈ちゃん、大丈夫?」
「はい。今までの人生で一番、バレーがしたいです」




