第1章 第28話 弱者の叫び
〇梨々花
花美 紗茎
15-22
〇
風美 MB 蒲田
OH MB S
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絵里 きらら 日向
朝陽 環奈 美樹
紗茎のスターティングに蝶野さんが入り、こちらは環奈ちゃん指示の下胡桃さんときららちゃんの位置を交換してローテーションを進めた状態から始まった第二セット。本来の実力通りと言うべきか、圧倒的に紗茎有利で終盤戦に突入していた。その理由はもちろんこの人。
「蝶野ナイッサー!」
「ひゃっ、ひゃい!」
環奈ちゃんと同じく『金断の伍』と呼ばれる中学時代最強だったオポジット、蝶野風美さん。後衛に下がってホッとしたのも束の間、この子のサーブのターンに三連続ポイントを許してしまっている。サーブレシーブに参加しているのは環奈ちゃんと、美樹の二人。あの環奈ちゃんが、一人では取れないと断言している構図だ。
「ふぅっ!」
「扇ちゃん!」
蝶野さんがサーブを打つと同時に環奈ちゃんが叫ぶ。蝶野さんのサーブはスパイクサーブ。左からのスパイクサーブはある意味では双蜂さんと同じだが、その威力は一線を画していた。
「あぐぅっ」
悲鳴のような声と共に、美樹が後ろに転がりながらもボールを上げた。しかし威力を完全に殺しきれてはおらず、大きな弧を描いて紗茎のコートに戻っていく。相手にチャンスボールを許した状態だが、蝶野さん相手ではナイスレシーブだと断言できる。
「……調子悪いですわね、風美さん」
「ね。あんまやる気ないんじゃないかな」
だが観客席の二人はそのサーブがお気に召さなかったようだ。あれで調子悪いとかどういうこと……? わたしだってまともに取れる自信ないんだけど……。
「風美はね、心が弱いんですよ。同じメンタル弱者の環奈とはまた別種の弱さ。でもあのツンデレよりかはだいぶわかりやすい。単純に仲のいい人と一緒にいないと不安だし、元チームメイトの環奈とは戦いたくないんですよ」
「だからサーブは絶対に美樹さんの方に打っているでしょう? コントロールがあまり良くないくせに、こういう時だけは誰よりも上手ですわ」
確かに蝶野さんのサーブレシーブをしているのは美樹ばかり……それがわかっていても、あの速度のサーブにはカバーに行くことも難しい。かといって環奈ちゃんや美樹以外じゃまともにあのサーブは受けられない。……わたしが試合に出られれば、話は変わってくるけど。
「チャンボ!」
「蝶野!」
どんな攻撃でも仕掛けられるという状況で、セッターがボールを託したのは蝶野さん。このセットに入ってから、スパイクはほとんど蝶野さんが打っている。理由は単純、それだけで勝てるから。
「いっだぁ!?」
ブロックに跳んだきららちゃんの悲鳴と共に、ボールがすさまじい勢いでコートを離れていく。ブロックを弾き飛ばしたボールは観客席の飛龍さんがキャッチし、これで15-23。あと二点でわたしたちは、負ける。
「きららさん! ボール落としたいのなら腕は前! あなたは元々大きいんだから多少高さが落ちようが問題ないわ!」
「はい!」
環奈ちゃんと交代して下がっている胡桃さんがきららちゃんにアドバイスを送る。とはいえそれも今の状況ではあまり意味がないだろう。
「風美はとにかく怖がりなんだよね。危ないことは絶対にしない。だから環奈の方には絶対にスパイクを打たない。綺麗に拾われてカウンターを決められたら怒られちゃうかもしれないからね」
再び蝶野さんのサーブからプレーが始まり、さっきと同じことを繰り返すように美樹が吹き飛ばされながらボールを向こうのコートに返してしまう。そしてやはりトスが上がった先は、蝶野さん。
「腕を前に腕を前に腕を前に……!」
「そう! タイミング完璧腕もいい! 天才! 天才よきららさん!」
ブロックに跳び上がったきららちゃんを見て胡桃さんが飛び跳ねながら称賛の声を上げる。身体の正面には胡桃さん公認のブロックが。そして斜めには環奈ちゃんがいる。どこにも打つ場所なんてない……!
「この程度で止められる奴を天才とは呼ばないんだよ」
飛龍さんがそう口にした瞬間、蝶野さんは打ち抜いた。コースの打ち分けが難しい後衛から平然と、環奈ちゃんがいる場所とは反対の斜め側へと。
「おひさぁ!」
「ぴぇっ、環奈ちゃん!?」
誰もが決まると思っていたスパイク。だがそれはまだ床には落ちず、環奈ちゃんが拾っていた。ついさっきまで全然別の場所にいたのに……。いや、蝶野さんにレシーブが待っていると見せた次の瞬間にはもう駆け出していたんだ。蝶野さんなら身体の向きからはありえない方向に打ってくると信じて。
「どちらも狂ってるわね……」
胡桃さんが唸る気持ちはよくわかる。環奈ちゃんもボールに触れたのは久々とはいえ、何もしていなかったわけではない。一セット目と同様に常に動き回り、蝶野さんのコースを制限していた。蝶野さん以外のスパイクはほぼ確実に拾っていた。ではなぜこうも押されているのか。答えは一つだ。
「日向!」
「うっす!」
絵里先輩の綺麗なトスから日向がスパイクを打つ。しかしブロックは完璧に三枚ついてきていて、それを避けようとしたあまりスパイクはコートの外に逃げていく。
「はぁ……っ、はぁ……っ、くそ……っ」
もう息も絶え絶え……よれよれになりながら、環奈ちゃんが膝を叩く。わたしたちが押されている理由、それはわたしたちが弱いからだ。
一セット目、環奈ちゃんは一人で紗茎と互角に立ち回った。二セット目、蝶野さんは一人で花美を完封している。環奈ちゃんと蝶野さんが同格だとしたら、その差は他の選手だ。
バレーボールはつなぐ競技だ。レシーブでつないで、トスでつないで、チーム全員でボールを、想いをつなぐ。一人だけが上手いんじゃ勝てない。チーム全員がつながらないと勝てない。
「絵里先輩……!」
バレー初心者の徳永先生に代わり、チームの采配を握っている絵里先輩に声をかける。でも絵里先輩はわたしを見てくれない。わたしを見ているのは二セット分丸々走り続けて、ついに限界を迎えた環奈ちゃん。助けてあげたい。わたしの想いも全部背負って試合に出てくれている環奈ちゃんを、わたしが……。でも絵里先輩の指示を無視して勝手に試合に出ることなんて……。
「梨々花……先輩……っ」
「……環奈ちゃん」
15-24。あと一点でも取られたら試合に負ける、マッチポイント。最後かもしれないプレーが再び蝶野さんのサーブから始まる。
「……先生。わたし、出ます」
絵里先輩のことは大切だ。絵里先輩を目指してバレーを続けてきた。この大会が絵里先輩にとって最後の試合。絶対にボールをつなぎたい。でもそれよりも大切なことができた……いや、とっくにできていたのかもしれない。
「いやでんも瀬田さんに小野塚さんが試合に出たいと言い出してもぜってぇ交代させんなって強く言われてんだけども……」
「……先生、ボクが責任を取るわ。梨々花さんを出してあげてください」
胡桃さんもわたしの選択を後押ししてくれた。とても悲しそうな顔をしながら。
「ごめんね……梨々花さん。ボクが強かったらもっと早くあなたを試合に出してあげられたかもしれない。でもあの子の気持ちもわかるから……本物の化物に下から迫られる気持ちはよくわかるから、何も言えなかった」
「……なんの話ですか?」
「……あなたは乗り越えた話よ。言っておくけれど本当にすごいんだからね。夢もプライドも自分でへし折って、後輩のことを想えるなんて」
胡桃さんがなにを言っているのかはわからない。でも今考えるべきことは一つだけだ。選手の交代はプレーの合間にしかできない。もうプレーが始まった以上交代はできないし、あと一点でも取られたら試合は終わる。つまり、この一点。これだけは何があっても取るしかない。
「がんばれぇぇぇぇ! 美樹ぃぃぃぃ!」
わたしは今まさに蝶野さんのサーブを受けようとしている美樹にそう叫んだ。




