第1章 第25話 一人だけじゃない先輩
〇環奈
花美 紗茎
24-23
〇
天音 OP L
MB S 蒲田
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朝陽 絵里 胡桃
環奈 美樹 日向
「さてと……スランプは克服したみたいだけど。地力で勝てなきゃ意味ないよね」
ぽんぽんとボールを突いて感触を確かめる天音ちゃん。その後両手で持ちシュルシュルと回転させるまでが天音ちゃんのサーブ前のルーティーン。これが出るということは本気だということ。あの練習試合のような、生半可なサーブが飛んでくることは期待できない。高校ナンバー1ウイングスパイカーのサーブが、万年一回戦負けのチームに打ち込まれることになる。
「……向こうの得点になったら日向と梨々花先輩を交代しましょう」
試合中選手交代を指示できるのは監督か、コート内にいるキャプテンのみ。落とす気はさらさらないが、ここで向こうが得点すると24-24。どちらかが先に二点差をつけるまで試合が続く、デュースに突入する。天音ちゃんがサーブを打ち終えた後もコートに居続ける場合、あたし一人じゃ天音ちゃんには勝てない。悔しいが、あたしと天音ちゃんの間にはそれほどの「格」が存在する。
「梨々花を入れるのは翠川さんサーブの時だって言ったよね?」
だが部長さんはあたしの提案を拒否した。確かにリベロ不在で、ブロックしか練習してこなかったきららがサーブのターンがうちで一番弱いローテーション。そこにサーブもレシーブもある梨々花先輩を入れたいという意図はわかるのだが……。
「それ以前の問題です。正直天音ちゃんのサーブだけでこのセット獲られる可能性は大いにある。少しでもレシーブの補強をしたいんです」
「なに弱気になってるの? 今はこっちのセットポイント。あと一点取れればこのセット取れるんだよ?」
「だからそういう話じゃないんですって……!」
うちの顧問はバレーのルールをほとんど知らない。だから選手交代とタイムアウトのタイミングはキャプテンである部長さんに一任されている。つまり部長さんを説き伏せないといけないのに、この人は全く耳を貸してくれない。どころか薄く笑ってこう答えた。
「それともリベロのくせに、サーブレシーブに自信がありませんなんて言うつもりなのかな?」
「誰がレシーブに自信ないって?」
馬鹿にして……! いくら天音ちゃんが相手とはいえあたしがレシーブで失敗するなんてありえない……もういい!
「全員コートの端に寄ってください。どんなサーブが来ようがあたしが取ります」
そもそもあたしがボールを落とさなければいい話。他の誰かが触らなければ誰がサーブだろうが関係ないんだ。
「いくよ、環奈。どれだけ変われたか、見せてみな」
笛が鳴り、天音ちゃんがボールを高く上げる。モーション的には完全にスパイクサーブ。でもその動きから繰り出されるサーブは、無限大。
「短い……!」
ボールが打たれた瞬間、あたしは前方レフトに駆け出した。ボールの軌道は素直な強打ではなく、山なりの緩いもの。おそらく強打に備え後ろ寄りに構えていたあたしの虚を突くつもりだったのだろう。ボールが落ちる地点は一ノ瀬さん付近。少し遠いが、あたしなら拾える……!
「しまっ……!?」
声を上げたのは一ノ瀬さんだった。あたしが取ると言ったのに、ボールに触れてしまったのだ。だが普段とは真逆の強烈な左からの回転がかかったボールは一ノ瀬さんの腕を弾き、コートの外に転がっていく。これで24-24……同点、しかもデュースだ。
「悪い悪い! 次は取る!」
「取らなくていいです! 余計なことはしないでください!」
おそらく一ノ瀬さんはこの程度のサーブ、自分でも取れると思ったのだろう。それくらい緩く、ちょうど手が出やすいサーブだった。でもそんな普通のサーブを天音ちゃんが打つはずがない。あえて、取りやすいサーブを打ったんだ。これを失敗すればセットを落とすという状況で。
「悪いけどこのまま一気に獲るよ」
天音ちゃんの二回目のサーブ。そして狙いは同じく一ノ瀬さん。ボールの軌道はさっきよりも緩い山なりだ。
「下がってください!」
一ノ瀬さんの前に飛び出てボールを待つ。後は胡桃ちゃんに上げて再びセットポイントに持ち込むだけ……。負けるわけにはいかないんだ……梨々花先輩のためにも。勝つために、このセットは意地でも取……、
「伸びる……!?」
ボールの軌道が変わったのは、ちょうどネットの上を超えた辺り。想像していたよりサーブの軌道が長い。たぶん今いる位置ではオーバーハンドで取らないと、ボールはあたしの頭上を越えていく。ま、だったら下がればいいんだけど……。
「環奈……!?」
「なにやって……!」
数歩後ろに下がろうとして、ぶつかった。後ろに下がらせていた一ノ瀬さんの身体と。まずい、これ以上後ろに下がれない。オーバーハンドで取らないとボールを拾えない。苦手な、オーバーで……!
「っ」
ボールが高く伸ばした手とぶつかり、ぽとんと床に落ちていく。これで24-25……相手のセットポイント……。
「今のは環奈のミスだよ。オーバーで取れば簡単に拾えるサーブだったよね?」
転がるボールを拾うこともできず立ち尽くしているあたしに、部長さんの叱責が届く。……その通り過ぎて返す言葉もない。こればっかりは、簡単なサーブだった。普通の人なら簡単に取れるサーブ……。それでもあたしは落とした。あんなに偉そうに先輩に命令しておいて、ミス。守備しかできない、できなかったら存在価値のない、リベロが。
「環奈のメンタルはクソ雑魚だけど、試合中にメンタルを崩すことは基本的にない」
焦りすぎて逆に落ち着いてきたからだろうか。観客席の流火の声がはっきりと聞こえてくる。
「ことレシーブにおいて、環奈がミスをすることなんてまずないからね。それにミスしたとしても周りがいくらでもフォローできた」
「きっと環奈さんには初めてのはず……自分よりも弱い仲間を引っ張っていかなければならないバレーは。環奈さんの真価が試されているという感じですわね。ここでメンタルを完全に崩せば、このセットどころか二セット目まで持っていかれますわよ」
あぁ……胡桃ちゃんに言われた言葉を思い出す。リベロの仕事とは、コートの後ろから仲間を助けること。この人が後ろにいるから大丈夫だと安心感を与えること。今の今まで理解できていなかった。だって今までは、みんなあたしと同じくらい上手だったから。
胡桃ちゃんに言わせれば、今のあたしはリベロ失格なのだろう。自分一人で勝とうとし過ぎている。ミスをしたチームメイトに腹を立てている。何よりもミスをした自分自身が、許せない。
でも今さらわかってももう手遅れだ。あたし一人で取ると言ってしまった。偉そうに何もするなと指示を出した。そして失敗した。そんなあたしのことを認めてくれる人なんて……。
「ぎゃーーーー!?」
突然後ろから髪をぐしゃぐしゃされて、思わず変な叫び声が出てしまった。試合中で髪にまで気が回らないとはいえ、意図的に崩されるのは嫌すぎる……!
「何するんですか!?」
怒鳴ってしまった後で気づく。またやらかしてしまったと。今さっきミスしたくせに、また偉そうな態度を取ってしまった。嫌われる。いじめられる。流火みたいに、バレーができなくなる……!
「気にしすぎんなよ。ウチらは先輩だぞ?」
だがあたしの髪にちょっかいを出した犯人、一ノ瀬さんは笑っていた。あたしのミスで相手のセットポイントだというのに、朗らかに。
「お前が生意気で失礼な後輩だってことはもうとっくに知ってんだ。今さらミスったくらいで怒ると思ったか?」
「ね。人の名前忘れるなんてほんとは大罪だよ? でも許したげる。なんせひーたちは先輩だからね!」
一ノ瀬さんの後ろから6番さんもあたしに笑いかけてくる。本当に……本当に心の底から見下してたのに。
「お前が何を考えてるのかは全くわからん。お前と違ってウチらはポンコツだからな。信頼されてないのも、わかってる。それでもウチらは無条件にお前を信じてる。それが先輩にできる唯一の仕事だからな」
……そろそろ元のポジションに戻らないと反則を取られる。一ノ瀬さんの言葉に何も答えられず、あたしは彼女に背を向けた。それでも一ノ瀬さんは語るのをやめない。
「失礼もミスも、全部黙って受け入れてやる。だからお前の思いっきりをぶつけてみろ。尻拭いはウチらがやってやる。そんでできれば、ウチらのことも信頼してくれ。待ってるからな」
「ちなみにひーの名前は外川日向だから!」
あぁ……本当に胡桃ちゃんの言葉は重いな。助けを求めていない……こんなあたしでも助けてくれようとしている人たちを、助けなきゃいけないのか……。
「全部背負うのって、大変だ」
梨々花先輩に宣言したのを今さらになって後悔し始めた。まぁでもいいや。重かったら、引き取ってくれるんでしょ、勝手に。
「いい先輩に恵まれたね、環奈。恵まれたままで終わっていいの?」
ボールを手にした天音ちゃんが、煽るようにその手ごとあたしに向けてくる。……上等。
「作戦は変えません。どうせ天音ちゃんのサーブを取れるのはあたし一人なんで。絶対に邪魔しないでくださいね。そんでミスったら思いっきり慰めてください。あたし絶対へこんじゃうんで!」
「ほんっとわがままだな! よし! 全力で慰めてやる! だから思いっきりやってこい!」
24-25。あと一度でもミスれば終わりのセットポイント。でも関係ない。あたしはあたしのやるべきことをやるだけ。
「さ、こーーーーい!」
生意気なあたしが優しい先輩に返せることがあるとしたら、全力でボールを拾うことだけだ。




