第1章 第20話 誰そ彼にはまだ早い光
「楽しかったー! 今日は付き合ってくれてありがとね、環奈ちゃん」
ペットショップで合流したあたしたちはそのままワンちゃんと戯れ、次遊びに来る時のためにも梨々花先輩用のまともな服を買い、もう一度喫茶店で休憩し、スポーツショップで各々別行動で必要なものを買い、もう夕方。バレーをやった後とは別種の疲れを感じながら駅までの道を辿っていた。あたしはここから徒歩で帰れるが、梨々花先輩は電車で数十分揺られることになる。普段とは逆の形だ。
「……少し寄り道しませんか」
花美駅周辺とは違い、ショッピングモールのある田舎の中の都会な紗茎はずいぶんと人が多くて騒々しい。道から少し逸れるが、木々に囲まれている静かな森林公園へと梨々花先輩を連れ込む。
「次来るとしたらインハイ予選が終わってからかなぁ。全国行くことになったら難しいかもだけど、まぁ厳しいよね。双蜂さんも蝶野さんも上手かったし……」
「勝ちますよ。あたしが勝たせます」
部長さんに伝えた時とは真逆の答え。あれから何か対策が浮かんだというわけではない。ただ気持ちが変わっただけだ。勝敗に興味のないあたしが生まれて初めて、勝ちたいと……勝たせたいと思っただけ。
「バレーはボールを落とさない限り負けないスポーツですから。あたしがボールをつないでればいつかは勝ちます」
「……珍しいね。環奈ちゃんがそんなこと言うなんて」
「ですね。自分でも驚いています」
木々以外に見えるもののない、ただ木々の間から漏れる夕日の色だけが照らすベンチに腰掛け、梨々花先輩に伝える。
「でも勝ち続ければ、梨々花先輩が部長さんにボールをつなぐチャンスが増えるでしょ? だったら勝ちますよ。それがあたしの責任です」
「……環奈ちゃん。気持ちはうれしいけど、全部背負いこまなくていいよ。たぶん環奈ちゃんは全部背負いこんでくれるから、重すぎてスランプに陥っちゃったんだと思うんだ。だから環奈ちゃんは自分のやりたいことをやりなよ。バレーを心の底から楽しむ。そんなプレイヤーとして当たり前の、でもとっても難しいことができるのが環奈ちゃんの良さなんだからさ」
たぶんその指摘はもっともだ。勝ち負けに興味ないからこそ、全国の決勝だろうが日本代表を決める場だろうが緊張することなく自分の力を100%発揮できていた。それがあたしの強さ。でもそれだけじゃ足りないから、いつも日本の代表を決める場所では落とされてきた。メンタルが不安定だからと、技術とは別のところを指摘され続けてきた。コートに立てるリベロは一人。一個上にいる化物にいつもリベロの座を奪われていた。
「背負わせてくださいよ。それくらいがちょうどいいんです。ふらふらとバレーをやってるあたしには何かを背負ってるくらいがちょうどいい」
今までは何の重圧を受けているのかわからなかった。真中さんからの注意。流火の怪我。扇さんの気持ち。梨々花先輩の夢。全部理解できなくて、だから形がわからなかった。重いものを背負うにはその形を知らなければならない。知らなければ重量に押し潰されてしまうだけだ。でも梨々花先輩を知って、この気持ちの形を知った今なら背負える。
「梨々花先輩につながるまで、ボールをつなぎ続ける。それならあたしの得意分野です」
今までただ楽しいだけだったあたしのバレーに、明確な理由ができた。不安はある。緊張もする。でもそれがどこか心地いい。もっとバレーを楽しむことができるから。
「それでですね、ちょうどいいものがあったんで買ってきたんです。前はずいぶん失礼なもの買っちゃったみたいなんで、そのお詫びというか……受け取ってください」
「奇遇だね。わたしも買ってきたんだ。環奈ちゃんにお願いしたい、気持ちを」
あたしと梨々花先輩が、スポーツショップでもらった紙袋から同時に取り出す。真っ白い無地に黒い文字が印刷された格言Tシャツ。そこに刻まれた言葉は、お互い同じだった。
「「つなぐ」」
真中さんは以前、高さこそがバレーボールにおける才能だと言っていた。それは間違っていないと思う。でもあたしたちリベロにとっては、これこそがバレーボールの全てだ。
「環奈ちゃん……ごめんね。やっぱりわたしは試合に出たい。たとえ望まない形でも、絵里先輩にボールをつなぎたい」
「任せてください。あたしは中学ナンバー1のリベロですよ? そして今度の大会で高校ナンバー1にもなってみせます。だから絶対に拾ってくださいね。あたしがつなぐ全部を」
暗闇から始まったあたしたちが、黄昏に照らされて輝きだす。まだ大きな光は眩しすぎるけど、それでもお互いの顔が見えているのなら充分だ。
「あれ? これなんでMサイズなの?」
「あたしいつもそのサイズなんですけど大きいですか?」
「うん……ていうかごめん、Sサイズ買っちゃった」
「あー……一応入りはするんですけど、その、胸の辺りが……」
「っ……! じゃ、じゃあ交換しよっか……!?」
「……いえ。これでいいです。梨々花先輩からもらった、これがいいです」
「そ、そっか……。でもあんまり練習では着てこないでね……?」
「? なんでですか?」
「だってわたしが貧相に……やっぱり環奈ちゃんってあんまり人の気持ちわからないよね……?」
「あたしまた失礼なこと言ってました……!? うぷっ……」
「環奈ちゃん!? 新品のシャツ汚れちゃう……! いやそっちの方がいいか……わたし新しいの買ってくる!」
「いえこのシャツだけは死守します……たとえ今着てる服を汚してでも……!」
……次の日からあたしのスランプは嘘のように消え、そして一ヶ月後。インターハイ予選が、始まる。




