第1章 第0話表 絶望のはじめまして
〇梨々花
今年も春がやってきた。春は好きだ。それほど暑くなく、寒さはほとんど感じない。身体を動かすにはもってこいの季節だ。
そう友だちに話すと決まって花見をするなりしてもっと春を楽しめと言われるが、わたしにとってはそれが全てで、それだけで充分だから仕方がない。ここ、花美高校では名前の通り最高の桜が見られるそうだが、生憎だけどまったく興味がわかない。
花より団子と言うが、まさにそういう感じ。別に団子を食べたいわけじゃないが、とにかくわたしの意識は体育館の外で咲き誇っている桜よりも、目の前にいる二人の新入部員に向けられていた。
その二人は団子と呼ぶにはあまりにも不格好な見た目をしている。一人はそこらの男子よりも身長が高く、もう一人はその対極。街中ですれ違ったら思わず二度見してしまうくらいに背が低い。
「二人ともこんにちは。私は花美高校女子バレーボール部部長の瀬田絵里です。よろしくね。それじゃあまずは自己紹介してもらえる?」
「はいっ!」
わたしたち部員の一歩前に出た絵里先輩が人当たりのいい笑顔でそう促すと、背の高い方の子がとびきりの笑顔でびしっと手を挙げる。その挙動が小学生のようで、身長とのギャップに少し笑えてしまう。
「自分は翠川きららですっ。バレーボールはやったことがありませんっ。よろしくお願いしますっ!」
翠川さんはそう締めくくると、ずばっと身体ごと頭を下げる。身体を屈ませてようやく隣の子と同じくらいの身長になったことがまたびっくりだ。しかもただ身長が高いのではなく、モデル体型と言えばいいのだろうか、線が細くて脚がすらりと長い。おまけに超美人さんで、ウェーブのかかった宝石のような綺麗なブロンドの髪をしているところを見るとハーフなのだろうか。だとしたらこの高身長も納得がいく。
「背高いね。何センチ?」
「185センチですっ!」
うわ、うちのバレー部で一番高い。全てというわけではないが、バレーボールは高さが命。初心者とはいえこの身長はうちにとって大きな戦力となるだろう。
「……で、あなたは……」
次に絵里先輩は隣の背の低い方の子を見る。彼女も翠川さんと同じような髪色をしているが、明らかに地毛ではない。だが手入れはしっかりと行き届いていて、セミロングの長さの髪は体育館の照明に照らされて輝いて見える。なんかちゃらちゃらした子だな。
「水空環奈です。よろしくお願いしまーす」
見た目通りの適当な挨拶をし、水空さんは首だけでぺこりと頭を下げる。もしうちが強豪校だったらもうこの態度だけで怒られていたことだろう。
「水空さんはバレー経験者?」
「はい」
返事を待たずとも水空さんがバレー経験者だということはわかっていた。年季の入ったシューズ、酷使されていることが見て取れるサポーター。そしてポジションはおそらく、
「リベロをやってました」
わたしよりほんのわずかに高い身長。わたしが146,8センチだからたぶん147,2センチくらいかな。それなのにやけに胸だけ大きい。態度といい実に腹立たしい。
「リベロってなんですか?」
バレーボールの知識が皆無なのだろう。翠川さんが不思議そうに首を傾げる。
「リベロっていうのはね、守備専門の選手のことだよ。基本的にはレシーブしかしちゃいけない、高さが命のバレーで唯一身長が考慮されないポジション。その代わり色々制約も多いんだけど、ちょっと難しいからまた今度教えるね」
「わかりましたっ!」
絵里先輩の説明に元気よく返事する翠川さん。この子は強豪校でもかわいがられそうな性格をしている。
「早速だけど、どれくらい動けるか見させてもらうね。朝陽、お願い」
「はいよー」
絵里先輩に頼まれ、副部長の朝陽さんがボールを手に肩を回しながら向こうのコートのサーブ位置へと歩いていく。
「今から朝陽がサーブを打ってくるから水空さんはレシーブして、セッターの私に返して。そしたら私が翠川さんにトスを上げるからスパイクを打ってね」
「サーブ……? レシーブ……?」
「簡単に言うと、朝陽が打ってきたボールを水空さんが上げる。次に私が翠川さんにボールを上げるから、ジャンプしてボールを打ってみて」
「わかりました! がんばりますっ!」
意気込んでいる翠川さんには悪いが、この様子見の目的は経験者である水空さんにある。
水空さんがどのレベルのリベロか。その見極め。
リベロはルール上コートに一人しか入れない。つまりどれだけ上手くても、二番ならその時点でレギュラー落ちとなる。
花美高校女子バレーボール部のリベロは水空さんと、そしてわたし。
つまりわたしか水空さん。どちらか一人しか試合に出られない。
〇
朝陽
ーーーーーーーーーーーー
きらら 絵里
環奈
軽く準備運動をすると、絵里先輩たちが朝陽さんとは反対側のコートに立つ。絵里先輩は前衛ライト、翠川さんは前衛レフト、水空さんは後衛センターの位置。
本来であればコートには6人いて数人でレシーブするのだが、今回サーブレシーブをするのは水空さんただ一人。朝陽さんもそこを考慮した上でサーブを打つと思うが、だいぶ無茶なことをやらせていると思う。
でもリベロは守備のエース。これくらいできないとコートにいる意味がない。というより、これができなかったらわたし以下ということが確定する。
「いくぞーっ!」
遠くにいるのにそれを感じさせないほどの大声と共に、朝陽さんの手からボールが空に放たれる。そしてボールが落下し始めると同時に駆け出し、高く跳び上がった。
女子では珍しいジャンプサーブ。多くの女子が威力の低いその場打ちのサーブをする理由は、スパイクのようなサーブを打つには筋力が足らずコントロールが難しいからだが、朝陽さんはそれができる。
つまり朝陽さんのサーブは、普通の女子のそれとは段違いの速度と威力を誇る。
「っしゃゴラッ!」
男子顔負けなごつい声を出し、朝陽さんの右手の平が勢いよくボールに打ち当たる。体育館中に響くほどの音を上げて放たれたボールは、一直線に水空さんの右側のサイドラインへと向かっていった。このラインより外側に落ちたらアウト、レシーブ側の得点になるわけだが、インかアウト、この見極めがとにかく難しい。超高速で向かってくるボールの落下地点を即座に判断しなければならないからだ。
そしてこのボールは――入る。
水空さんもそう判断したのか、朝陽さんのサーブの軌道を見て瞬時に脚を動かした。目指す場所はボールの落下地点。一度決めたらもう迷わない。水空さんは少し駆けると、その勢いを利用して横に跳んだ。
「っあ!」
そして伸ばした腕がボールに触れた瞬間、水空さんは身体全体を使ってボールを高く打ち上げた。緩い回転をしながらゆっくりと上がっていくボールの落下地点は絵里先輩のちょうど頭上。レシーブでもっとも良いとされる、ちょうどセッターの位置に返るAパスだ。
決して弱い球じゃなかった。決して甘いコースじゃなかった。決してついこの間まで中学生だった女の子が取れるボールじゃなかった。
それなのに、水空さんのレシーブは完璧だった。
やがてボールは勢いを失い、重力に従って落ちてくる。その動きにつられるようにボールを捉えていたわたしの目線も下がっていく。
そして絵里先輩がボールに触れる一瞬前。ボールを追っていたわたしと絵里先輩の目が自然と重なった。
ほんの一瞬見えたその目は、今にも泣きだしてしまいそうな、とても悲しげに揺れている。
その目を見た瞬間、いや本当はボールを上げた瞬間から。たった一度のレシーブで。わたしはわかってしまった。
水空さんは、わたしよりも上手い。