シャナンは美形に飽きている
美醜なんてどうでもいい。
それがシャナン・ビタリオ公爵令嬢の考え方であった。
もちろん清潔感というのは大切だ。しかし健康と身なりにさえ気を遣っていれば、あとの生まれ持った容姿などにいちいちケチを付ける必要はないだろう。
「まったく。この俺の美貌を前にずいぶんつまらない顔だ」
シャナンは黙ったまま目を伏せて紅茶を飲む。
目の前で自信満々の台詞を放ったのはキトナス・イシルッツ侯爵令息。シャナンの婚約者候補だ。
あくまでも候補なのは、同級生である第一王子の婚約者が決まっていないから。
王族と年の近い貴族の子どもたちは王族の婚約が整うまで婚約してはならないという暗黙の了解がある。
婚約しないとは言いつつも候補はそれぞれ存在している。他にも候補は居て、キトナスを含め3人の候補者とは月に1回のお茶会を行っている。
「まったく。ジナはいつも美しく愛らしいと言うのに……」
ジナと言うのはキトナスの婚約者候補の1人だ。当然彼にも婚約者候補が複数人居る。
お互い候補者の中で最も位が高いので最有力にはなっているが、キトナスは完全に心をジナに傾けているようだった。こうしてたびたびジナ・ハメデビン伯爵令嬢を褒め称える。
貴族間の関係性が非常にややこしく思えるかもしれないが仕方がない。なんでも数代前の王子が、生まれる前から決められていた婚約者と大きな騒動を起こしたと言う。それから王家は貴族学園を卒業するまでは王族の婚約者を定めないようになった。
「貴族としての務めを果たすのに美しさは必ずしも必要ではありませんから」
シャナンがこの考えに至ったのはキトナスが自信過剰な影響もあったかもしれない。
シャナンは生まれた時から美男美女に囲まれて育ってきた。
多くの貴族は美しいものが好きだ。美しい者同士が結婚していった結果、貴族の造形の美しさは平民とは比べものにならないほど優れたものとなった。だというのにさらに美しくあろうと大枚をはたいてまで美容に気を遣う。
おかげでどこを見渡しても美形ばかり。皮肉なことにシャナンもその例に漏れない。
美人などどこにだって居る。ならば結婚相手の条件にいちいち美しさを求める必要はない……。
そんなシャナンをキトナスは鼻で笑った。
「美しければ美しいほど良いことに変わりはないだろう? 同程度の能力の人間がそこに居たとするなら、より美しいほうを選ぶべきなのだ。君だってそうするはずさ」
これ以上話すことはないとばかりにキトナスは席を立った。
去っていくキトナスの背を見つめながら、シャナンはぽつりと呟く。
「どちらにせよ、あなたは顔だけの人間だわ」
シャナンたちは貴族学園の2年生に進学した。
貴族学園は5年制だ。最初の2年で基本的な常識を学んだあと、残りの3年でそれぞれの道に合った学科に進むことになる。
ビタリオ公爵家は5つ年上の姉が継ぐことになっている。
どうあっても嫁入りする立場のシャナンは貴族科の淑女コースを選択する予定だ。
新年度はあいさつと準備で終わり、午前のうちに解散となる。シャナンは従者に荷物を持たせて門の前に待つ馬車まで歩いていた。
「まあまあまあ。サフォン伯爵家の。ふふ。どおりで平民臭いと思いましたわあ」
「近付いてはダメだよ。早く行こう」
聞こえよがしに囁きながら男女が横を通り過ぎる。その先を見ると、ブラウン系の髪と瞳の少年が立っていた。身なりとネクタイの色からして入学したばかりの1年生だろう。
「あなた。大丈夫?」
「は……」
返事をしかけた少年はハッとした顔をして静かに頭を下げた。上位貴族からの許可が下るまで発言してはならないからだ。
「頭を上げなさい。ここは学園ですから、そこまで畏まる必要はないわ」
「は……はい。サフォン伯爵家が子息、ヤツメでございます。ビタリオ公爵令嬢さま」
サフォン伯爵家。貴族は他家の情勢にも気を配るものだ。当然シャナンも事情は把握している。
ヤツメ・サフォンは去年にサフォン伯爵家が子ができないのを理由に迎え入れた養子だ。それまでは平民であった。
もちろん赤の他人というわけではなく、先代サフォン伯爵の妹が商人と結婚して生まれた息子……の、息子である。平民といえどもそれなりに身元の保証された上流階級の生まれだ。
「慣れないことばかりで大変でしょう。困ったことがあれば力になりますわ」
まだ完璧ではないとはいえマナーも備わっている。シャナンを見てビタリオ公爵令嬢であると一瞬で理解できたのも好印象だ。下位貴族になるとシャナンの名も知らないと言う者さえ居る。
下の者を気にかけるのも高位貴族の務めだ。
特にシャナンは公爵令嬢。父親は継承権を放棄したとはいえ王弟だ。血の濃さゆえに唯一第一王子の婚約者候補でない貴族令嬢だが、その威光は言うまでもない。
公爵令嬢が平民上がりの伯爵令息を慮った。この事実さえあれば彼が学園生活を送る上では充分後ろ盾になり得るだろう。
再び頭を下げたヤツメにシャナンは微笑んだ。
2学年に上がってから、キトナス・イシルッツ侯爵令息は婚約者候補ジナ・ハメデビン伯爵令嬢と共に行動する姿が散見されるようになった。ジナも学園に入学してきた1年生だからだ。
婚約者候補最有力のシャナン・ビタリオ公爵令嬢をないがしろにする姿に苦言を呈する者も居たが、その声はさして大きくはなかった。
キトナスにとってはどちらも婚約者候補。ジナのほうを選ぶつもりなのだろうと周囲は認識を改めた。それだけのことだった。
近年では学園で新たに出会った者と自由恋愛をし婚約者とする例も少なくない。従者さえ付いていれば男女が2人で同じ空間に居ても咎められない風潮も出来上がっていた。
これらもすべて王族の婚約者選定年齢の引き上げによる影響だ。
むしろキトナスを咎める者こそ時代遅れの思想の持ち主と言えるほどだった。
「ビタリオ公爵令嬢さま。よろしいのですか……?」
それでも当事者はハイそうですかとあっさり受け入れられるものでもないだろう。
放課後に開かれた勉強会を兼ねたサロンでヤツメ・サフォン伯爵令息が問いかけた。遠くの席で1人勉学に励むジナにキトナスが話しかけているのが見える。
ヤツメとは入学式以降も時折交流している。もちろん、異性の学友として節度を保った範囲で。
商家の生まれだけあって彼の頭脳には一目置くところがあった。彼は非常に勤勉で努力家だ。サフォン伯爵夫妻の子として選ばれたからにはそれに相応しい貴族令息になろうと一途に頑張っている。実際その努力も身を結びつつあり、彼をよく知る者たちはもはや平民上がりだと馬鹿にすることはなかった。
万人に好まれるような美形ではないが不思議と相手に警戒心を抱かせないような雰囲気がある。クラスの中では意外とうまく溶け込めているようだった。
「いいのよ。あくまで婚約者候補だもの。お互いにね」
ペンを置いて茶菓子に手を伸ばした。
「でも、ビタリオ公爵令嬢さまの他の婚約者候補って……」
サロンに参加していた他の貴族令嬢がそう言って口を閉じる。
シャナンの婚約者候補は3人。キトナスを除けば、かなり年上とかなり年下の2択になる。どちらも公爵令嬢に見合うよう選定されており人柄も能力も悪くないが、周囲から見て色々と不安があるのもわかる。
「そうねえ。新しい候補者を探すのも良いかもしれないわね。今更だもの。良いと言ってくれる家があればいいのだけど……」
シャナンは広げた扇で口元を隠してクスクス笑った。細めた目を他に悟られないようスッとヤツメに向けると、彼の身体が目に見えて強張った。
その言葉と仕草の意味が理解できないほど、ヤツメも馬鹿ではないということだ。
「婚約者候補に名乗りをあげていただき光栄ですわ。……サフォン伯爵令息さま」
ビタリオ公爵家にて。
庭園は傘付きのテーブルとイスが並べられ、シャナンとヤツメが向かい合って座っていた。ヤツメは緊張した面持ちで視線をさまよわせる。
「その……俺なんかが婚約者候補になって良いんでしょうか」
「まあ。あなたは逆にわたくしで良いの? サフォン伯爵夫妻はお許しをくださったかしら」
「はい。両親もあのビタリオ公爵家のご令嬢が嫁に来るならぜひとも、と。俺はまだ婚約者候補も見つかってませんし……。平民上がりで、見ての通り不細工で……」
そう言って彼はわずかにうつむく。
「誰かに言われたの?」
「……い……イシルッツ侯爵令息さまに」
「気にしなくていいわ。あの人は顔だけが自慢なのよ」
シャナンが遠回しに庇護した相手にいちいちケチを付けられるのはキトナスぐらいのものだろう。
たしかにヤツメは現在の貴族の美的感覚にはそぐわない容姿だ。
彼はダークブラウンの髪と瞳に、一重でやや垂れ気味の細目。顔はすこし面長で、鼻はそこまで高くない。唇は薄く前に突き出している。頬にはできものの跡と思われるちいさな凹みがいくつか見られた。
今の貴族たちは色素が薄い、または彩度の高い色こそが美しいと思っている。目は二重で大きく、まつ毛は長く。唇は厚く。鼻は高く。鼻と口と顎の距離は短ければ短いほど良い。そういう考え方だ。
かくいうシャナンも薄紫の髪に空色の瞳の持ち主だ。
だが、それがなんだというのだろう。
「サフォン伯爵令息さま。美人はなぜ美人と言われると思いますか?」
ヤツメは首を傾げた。
「わたくし、美しさとは相対的なものだと思うのです」
シャナンは「サフォン伯爵令息さまの主観でかまいませんので、想像してみてください」と前置きする。
────たとえば。ある村に1人、とくべつ美人でも不美人でもない、平均的な容姿の少女が居たとする。そしてその村の他の住民は、その少女より不美人ばかりだとする。
そうすれば、その平均的な容姿であるはずの少女は村いちばんの美少女ということになる。
「美人は不美人のおかげで美人でいられるのです。ならば、美人しか存在しない世界で、美人は果たしてほんとうに美人と言えるのでしょうかね」
たくさん喋ったので紅茶で喉を潤す。
なんと返答すればよいのかと苦笑いするヤツメに、シャナンはカラッとした笑みを向けた。
「なんてね。これは後からそれっぽい理屈をくっつけただけよ。わたくし、美しいだけのものにはもう飽きちゃったの。あなたは覚えやすい顔だし、心が清らかなところが好ましいと思っているのよ」
「覚えやすい顔、ですか……」
「もちろん褒め言葉よ? わたくしは人の顔を覚えるのが苦手なの。だってみんな同じような顔じゃない。あなたは有象無象の中でいっとう輝いて見えるわ」
そう言うと、ヤツメは黙りこくってすこし顔を赤くした。彼はシャナンから遠回しに口説かれていたことに気が付いたのだ。
「お、俺、も、あなたがいちばん美しいと……思います。見た目だけではなくて。入学式で助けていただいた時に。あなたのその優しい心根も……」
しどろもどろになりながらも言葉を尽くすヤツメに、シャナンは満足気に頷いた。
「ありがとう。嬉しいわ。あなたは本日よりわたくしシャナン・ビタリオの婚約者候補となります」
2人の視線が交わる。シャナンは笑顔を消して、真剣な顔でヤツメを見つめた。
「あくまでも「候補」。あなたが正式な婚約者となるためには、筆頭候補のキトナス・イシルッツ侯爵令息さま以上に優秀であることを示さなければ、ビタリオ公爵は許して下さらないでしょう」
「は……はい」
「……期限はわたくしが学園を卒業するまで。王族の婚約者は例年卒業パーティの日に決定、発表されます。それまでに、どうか…………。わかったわね?」
「はいっ!」
決定的な言葉を口に出すことはできない。彼らはまだ正式な婚約者同士ではないからだ。
いくら男女が2人で過ごすことが許されるようになってきたとはいえ、あからさまな態度を取るのはよろしくない。
最初は彼の他とは違う顔立ちに惹かれたのかもしれない。けれど、シャナンは今ではヤツメ・サフォンという人間そのものを好ましく思っている。
2人は静かに頷き合って、内に秘める気持ちを確認し合った。
ヤツメ・サフォン伯爵令息は、貴族学園3年次に商人や爵位継承者向けの経営科を選択した。
経営科全学年合同で毎年行われる発表の場で、ヤツメの領地経営に関する発表が最優秀賞を受賞。特に机上の空論で終わらず実際の領地経営でも成果を挙げたことで、受賞式の場で国王陛下から直接賞状を受け賜るという名誉を得た。
ビタリオ公爵もこの功績を認め、シャナンが望んでいることもありヤツメを婚約者候補の筆頭に挿げ替えた。
キトナスがここ最近めっきりお茶会にも顔を出さずにジナ・ハメデビン伯爵令嬢を追いかけ回していたのも大きかっただろう。
シャナンが第一王子の婚約者となることはない。つまり、ヤツメとの婚約はほぼ確実となった。
婚約者候補としてお茶会でも交流を重ねてきた2人は以前にも増して仲睦まじい様子で、周囲もそれを受け入れつつあった。
そして……卒業パーティの日。
「このよき日に……私から発表がある」
第一王子が壇上で静かにそう言った。
婚約者の発表だ。誰もが察してホールが静まり返る。
「私の婚約者は……ハメデビン伯爵令嬢ジナとすることを、ここに宣言する!」
会場中から拍手が鳴り響く。
シャナンのエスコートのために同伴していたヤツメは、聞き覚えのある名前に思わずシャナンの顔を見た。彼女はいたずらっぽく小声で答える。
「イシルッツ侯爵令息さまの気持ちは一方通行だったってことよ」
視界の端に呆然と膝を折るキトナスの姿が映った。
そもそも、ジナ・ハメデビン伯爵令嬢はキトナス・イシルッツ侯爵令息との婚約に期待していなかった。
キトナスの婚約者の筆頭は公爵令嬢シャナン。間に2人他の令嬢を挟んで、婚約者候補の中で最も地位の低い令嬢。それがジナだった。
彼女は自分がキトナスの婚約者になど選ばれるわけがないと思っていたのだ。
ジナはキトナスの他に婚約者候補が居ない。強いて言えばシャナン以外の貴族令嬢は全員第一王子の婚約者候補と言えるが、キトナス以上に望み薄なのは明白。彼女は最初から婚約者などはスッパリ諦めて仕事に生きる道を選んでいた。
その結果、生徒会役員に抜擢される。
生徒会長は第一王子。
望み薄と思われた2人の交友関係は深まって行った。
眼中にもなかった名ばかりの婚約者候補のキトナスにやけに気に入られ辟易としていたところをたびたび第一王子に助けられる。
普通ならばここで恋愛に発展しそうなものだが、そうは行かない。
なんせジナは恋愛にカケラも興味がなかったのだ。
鈍感だとか言うわけでもない。ジナ・ハメデビン伯爵令嬢は、単純に恋愛感情というものがとんと理解できなかっただけなのだ。
「友情と恋ってどう違うの? 「無性に会いたくなる」? 友人でも無性に会いたくなるわ。「他の人と仲良くしていると嫉妬してしまう」? それもさっきと同じでしょう。「相手に触れたい」? それは性欲じゃないの? 性欲を解消する相手が欲しいだけなら娼館にでも行きなさい。わたしは気にしないから。恋なんてただの気の迷い。ただ御伽噺に憧れすぎて目が腐ってるのよ。恋なんて目に見えない不確かなものより、もっとお金と契約書と言う目に見える信用が欲しいのよ、わたしは」
……なんてことをのたまう女性だった。
だからこそ彼女の中には男女の隔たりというものがあまりなく、異性にも同性と同じように気さくに接してしまう。そのせいでキトナスの勘違いは加速してしまったのだろう……。
この発言を聞いた第一王子はかえってたいそう喜んだ。
一時の感情に飲まれない、冷静な判断を下せる有能な女性を婚約者にと望んでいたのだ。
最初から恋愛感情の存在しない関係であれば、少なくともそっちの方面ではこじれて破綻することすらないのだから。これまでの歴史において王家の醜聞の半分は色恋沙汰だ。
彼にとってジナは優良物件だった。
あとはもう……おわかりだろう。
「シャナン! 俺と婚約しよう!」
ビタリオ公爵家に突然押しかけてきたキトナスに、シャナンは面倒そうな表情を隠さなかった。
卒業パーティの翌日。世間も春休みムードになっている。準備をしながらしばらくはゆっくり過ごそうと思っていたというのに。
「お言葉ですが、イシルッツ侯爵令息さま。わたくし既に婚約しておりますので」
「なんだ……そうだったのか。慌てて損したよ。今まで悪かったね。これからは2人で愛を育んでいこうじゃないか」
近付いてきたキトナスを護衛騎士が止める。
「な、なんだ!?」
「勘違いなさらぬよう。わたくしの婚約者はヤツメ・サフォン伯爵令息さまに決まっておりますわ」
「は……!? ヤツメ!? 何故だ!? あんな不細工を婚約者に!? 俺の方が良いに決まっているだろう!!」
シャナンはバサリと扇を広げ、「やだわぁ」と笑った。
「同程度の能力の人間が2人居るなら、わたくしはより心の美しい殿方を選びますわ」
キトナスの表情が驚愕に染まる。
「まあ、そもそもあなた程度の能力じゃ……ヤツメさまにも及びませんけれどね」
彼は護衛騎士によってビタリオ公爵家から追い出された。
彼はその後他の候補から婚約者を選ぶことなく、それはそれは美しい子爵令嬢を婚約者にしたらしい。
ヤツメが貴族学園を卒業して2人は結婚式を挙げ、シャナンはサフォン伯爵家へ嫁入りした。
笑うと目が細くなって見えなくなってしまうヤツメの幸せそうな表情は、シャナンの心をも幸せにした。
サフォン伯爵家の領地は農業が非常に盛んな豊かな土地だ。領地を知るため民に混じって太陽の下でよく働くシャナンの姿を見て、領民は彼女を快く受け入れた。
当然伯爵家の中でも夫人として采配をふるい、時としてヤツメの補佐として領地経営にも携わり。王家の血を引く公爵令嬢であったシャナンの能力を誰もが認めていた。
そんな生活を続けていたので孫も生まれ50も近くなるころには、シャナンはよく日焼けをして、シワとソバカスとシミがそれなりに目立つようになっていた。
同年代の夫人たちよりずっと老けて見えたため、社交の場では何度も嘲笑われた。かつての麗しい公爵令嬢の姿もどこへやらと、美しい妻を携えたキトナスにさえバカにされた。
しかしシャナンは気にしない。
シャナンは美形に飽きている。
見た目の美しさよりも大切なものが何なのかをよく知っている。
日に焼けた肌も、かさついてタコのできた手も、シワやシミのひとつでさえ、シャナンの歩んできた道のりを示す勲章だ。身近な者たちはそれをよくわかっていた。
かつてシャナンは「美人しか存在しない世界で、美人は果たしてほんとうに美人と言えるのでしょうかね」と語ったが……。
どうやら美しさの価値観は巡り巡って、現在は切れ長の一重に深い色彩を持つ者が美しいとされているらしい。夫ヤツメに似た孫への釣書が多くてしかたがないと息子が嬉しい悲鳴を上げていた。
少々複雑な気分ではあるが、孫がかつてのヤツメのように不細工だと馬鹿にされることがないのであればそのほうがいい。
きっと時を経るごとに美しさのかたちはまた少しずつ変わっていくのだろう。
どれだけ美の価値観が変わっても、人の心は変わらない。
シャナンとヤツメはいつまでもお互いが最も美しいと言い合った。
そんな仲睦まじいサフォン伯爵夫妻は心根の美しい夫婦だとして、家族や領民から愛された。