第6話
卒業パーティーの日。
殿下の怒声がホールに響き渡った。
「アンティローゼ・レファ・エリオンフィール! お前が今まで影で行っていた、ルシア・トニ・キーティング伯爵令嬢への嫌がらせは私が知るものとなっている! お前がそんな浅ましい女だとは思わなかったぞ! お前との婚約を破棄し、ルシアを我が妻として迎える!」
殿下の言葉は、何ひとつ変わっていなかった。
彼の服にしがみつき、潤んだ瞳で私を見つめるルシアの姿も。
婚約破棄宣言はなされた。
今回の物語の中で私は、ルシアに対し何ひとつ嫌がらせはしていない。むしろ、極力二人のことは放っておいたくらいだ。
何一つ、やましいことはしていないのに、婚約破棄宣言が起こった。
ということは、
「殿下。恐れながら、何をもってルシア伯爵令嬢に私が嫌がらせをしたと仰っているのでしょうか?」
ルシアから何かを吹き込まれたに決まっている。
確信を胸に私が尋ねると、殿下は唾を飛ばしながらさらに強い口調で仰った。
「ルシアからお前の悪事を全て聞いた!」
「聞いた? 何一つ、事実確認もせずに、ルシアの言葉を鵜呑みにされたということでしょうか?」
「鵜呑み? ルシアが私に嘘をつくわけがないだろうっ! お前と違って、ルシアは正直で純粋な女性だ!」
殿下は、私の言葉に耳を貸さなかった。仕方なく、私はルシアに視線を向ける。
「では、私に教えて頂けますでしょうか? ルシア、あなたは私からどのような嫌がらせを受けたのですか?」
「わ、私を階段から突き落とそうとなさったじゃないですかっ!」
「それはいつのこと?」
ルシアが突き落とされたという日にちを言う。しかし、
「あれ? その日は、私の自宅で一緒にお茶をなさっていましたよね、アンティローゼ様」
私と親しくしてくれている別の伯爵令嬢が首をかしげながら口を開いた。それを聞いた殿下が、彼女の傍に大股で近づくと、頭を振り落とさんばかりの強い力で両肩をゆする。伯爵令嬢の髪飾りが、殿下の揺さぶりによって落ち、乾いた音が響き渡った。
見かねた周囲の者たちが殿下を取り押さえる。
「で、殿下、おやめください!」
「ほ、本当なのか⁉ アンティローゼと共謀しているのではないだろうな!」
「恐れ多くも、そのようなことはございません! 必要とあらば、我が父と母を証人にいたしますわ!」
殿下からの手を逃れ、苦しそうに顔を歪ませながら、伯爵令嬢が言い放つ。私が彼女を抱きしめ、落ちた髪飾りを頭につけると、恐怖で固まっていた気持ちが緩んだのか、ワッと声をあげて泣き出してしまった。
ルシアが口を開けば開くほど、
「その時は、アンティローゼ様は私と一緒にいました」
「あの時は、俺の将来についてアンティローゼ様にご相談させて頂いてました」
「確か、アンティローゼ様が私たちの仕事を手伝ってくださってた時じゃなかったかしら?」
と、皆が彼女の言葉を否定する。
皆がルシアを否定するたびに、彼女に向けられる視線が同情から疑いへと変わっていく。
ルシアは顔面を蒼白にしながら、本当の恐怖で震えていた。
殿下ですら、彼女に疑いの目を向けているのだから当たり前だろう。
機は熟した、とばかりに私は一歩前に出た。
「ということで、私は何一つ、ルシアに嫌がらせなどしておりません。ここにいる者たちの証言を聞いて頂ければご理解頂けたと思いますが、まだ何か仰りたいことがおありですか?」
「そ、そんな……ルシアが私に嘘をつくなど、そんなこと――」
「いい加減、目をお覚ましなさい、エリオット・ディル・ダ・トロイメラルっ‼」
私の鋭くも厳しい声色に、殿下の肩が大きく震えた。
背筋を伸ばす。
毅然とした態度で、婚約者を見つめる。
私は、アンティローゼ・レファ・エリオンフィール。
エリオット・ディル・ダ・トロイメラルの正式な婚約者。
《悪役令嬢》などではない!
(アンティローゼ、今こそ取り返せ。本当の自分の役割を――)
殿下の黒い瞳を見つめた瞬間、どこからかあの暗闇の声が聞こえた気がした。