02 あたりまえ
ボクの当たり前は、自傷行為をすることです。苦しい 辛いからだけじゃなくて楽しくても面白くてもします。ボクにとって自傷行為は"当たり前"の事だから。生活、日常の一部なのです。そんな当たり前を否定される事がよくあります。内容が内容なのでそれも誰かの当たり前だと思います。考え方は人それぞれなのでね。自傷行為をするのはおかしい、しないのが"当たり前"。ボクからしたらお風呂に入る事をおかしい、と、否定されている様な気分です。それくらい日常的な当たり前な事なのです。
自傷行為を始めたのは小学校5年生の頃、原因はイジメでした。イジメと言っても世間からしたら軽い方だったのかもしれません。でも、それでも、ボクにとっては非現実的過ぎて受け入れられなかったのです。当たり前のように無視されボクが何を言っても馬鹿にされ笑われる。
ぶす デブ シネ 生きてる価値無い ゴミ 汚い なんで生きてるの
時には自分のコンプレックスを指摘された事もありました。恥ずかしいので言いませんが。思春期真っ只中、自分の体型、容姿が気になり始める頃に言われ、自信も無くなり考え方はどんどんマイナスになっていきました。親にも相談出来ず、でも辛い。そんな時に見つけたのが自傷行為。最初は針で腕を傷付けるだけだったのが今では剃刀に。現在、イジメはありません。特にストレスを受ける事もありません。それでも辞められないのです。100%のストレスを受けた時にしていた自傷行為は0.1%のストレスを受けた際にもするようになりました。ストレスを溜め込む事が出来ない訳ではありません。それでも、何故、自傷行為をするのか。理由は簡単。それがボクの当たり前になってしまったから。自傷行為をする事が異常な事だと思えなくなったから。自分を傷付ける事に重要な意味を持ち始めてしまったから。暴言を吐かれても吐かれた側の心の傷なんて吐いた側には分かりません。同じ暴言でも傷付かない人だっています。だから、ボクは切るんです。心の傷を切って表すのです。イジメによって自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手になってしまったボクにとって自傷行為はたった一つのそして最大の伝える手段でもあるのです。切って 表し、伝え、跡に残し、生きた証とする。今のボクにとって傷が体に無い方が不自然なのです。異常だと思いますか。共感してくれますか。助けてくれ、なんてワガママ言いません。元の生活に戻してくれ、なんてイジメっ子達に言いません。ただ、ボクの体を当たり前を見ても否定しないでそっとしておいてくれる事が一番の理解だとボクは勝手に思います。
今、貴方の周りに自傷行為をしている人は居ますか?自傷行為が当たり前になっている人は居ますか? そんなボク達の事を構ってちゃんだと思いますか?自傷行為をするなら命を絶ってしまえばいいと思いますか?何を思うのも自由です。けどボクは自傷行為をしてしまう子達を誰よりも優しく誰よりも強いと思っています。何故、優しいのかって?だって、誰にも何も言えなかった子が多いから。ボクがそうだった様に。弱いから言えないんじゃない。めんどくさいと思われたくなくて気を遣わせたくなくて周りの人に言えなかった。嫌われなくなくて余計な心配をさせなくなくて親に言えなかった。何よりも、皆と違う事をしている自分に気付きたくなかった。一人一人ちゃんと理由がある筈です。今はもう忘れていたとしてもね。何故、強いのかって?心の痛みを忘れる為に体を切る。"心の方が痛いから体を切っても痛くない"よくその言葉を耳にします。けど、そんな事ないのです。ちゃんと痛いんです。自分に言い聞かせてるんです。皆が皆 同じじゃないし反対意見もあると思います。これはただのボクの意見です。
でも、少しでも共感して一人じゃないんだって安心してくれると嬉しいです。ボクだって同じです。無理に辞めようとしなくたっていいんです。ゆっくりで、いいんです。大丈夫ですよ。頼りないかもしれない。力になれないかもしれない。同じ環境に居る人が居ると知った所で明日は何も変わらない。辛いのも苦しいのもしにたいのも気持ちは何も変わらない。それでも、これを読んでいる時だけは共有者を近くに感じてください。一人じゃない、と、少しでも思ってくれると嬉しいです。
最後に、ボクの当たり前は自傷行為をする事です。こんな事を書いて慰めて欲しい訳じゃない。仲良しごっこをする気も、自傷行為を辞める気も無いです。自傷行為をしている自分自身を自分で嫌いになって欲しく無いだけです。化け物だと思わないで欲しいだけです。ボクはただ、生きる光が欲しい。生きていて良かった、なんて思わなくていい 素晴らしい人生だったなんて思いたくない。それでも生きていたと言う単純な事実を残したいのです。当たり前になった自傷行為で、生きている証を付け続けるのです。きっと今日も。息が出来なくなるその日まで。そして最後の日、ボクは笑顔で言いたいのです。
--- ああ、楽しかった ---
って。自分をキャンパスにして最後の日まで人生を体に書き続けるのです。楽しくも苦しくもあった人生を最後に作品として皆に見てもらいたいのです。
自分の当たり前が誰かに否定されたとしても、最後に自分が納得出来るならオールオッケーだとボクは思います。自由に生きたい。笑えなくても当たり前が更に苦しい道へと導いたとしても。理由は簡単、ボクはただ生きた証が欲しいだけだから。
.
.
.
.