15
キャンキャンキャン――。
大声で泣き叫ぶ、白銀の声があたりに響き渡っていた。
慌てて西エリアに戻ったが、その姿はほど遠く、ほんの数秒離れたとは思えない距離だった。
「白銀!」と、大声で呼ぶ。
その声に気づいた白銀が「キャン! ワオーン!」と遠吠えして、もの凄い速さで俺に近づき、飛びついてきた。
その重さに耐えられず、俺の上半身が白銀とともに安全地帯に入った。
すると、今度は白銀も一緒に安全地帯へ入ることができた。
ひとり残されたことが、よほど怖かったのだろう。
白銀が俺の胸に顔を押しつけ「クゥーン、クゥーン」と、鳴いている。
落ち着かせるため、全身をなでて「大丈夫だからな」と、何度も白銀に伝えた。
白銀が、少し落ち着いたのを見計らい、上半身を起こす。
遠くに大きくそびえ立つ魔樹の姿が見え、心底安堵する。
「地図オープン」
念のため、地図でも位置を確認する。
安全地帯との表示がでていた。「ふぅー」と、大きく息を吐き、地面に身体を投げ、胸にいる白銀の頭を優しくなでた。
白銀と一緒に、安全地帯へ帰ってきたようだ。
白銀が、安全地帯に入れなかった理由は、魔物だからだ。
今回、安全地帯に入れたのは、俺と接触していたからだ。
理由はわからないが、過去2回のことから、そうだとしか思えない。
試してみてもいいが、白銀のこの怖がりようでは、難しい。
トラウマになっていなければいいが……。
ひとつ、気になることがある。
白銀が安全地帯に入れなかったと気づき、俺が慌てて西エリアへ戻った時にでた場所だ。
はじめは、白銀が消えた俺を探して、遠くまで移動したのだと、思っていた。
しかし、戻った場所は、俺の記憶が正しければ、さきほどまで白銀と一緒だった場所とはちがい、これまでに足を踏み入れたことがない全く別の場所だったと思う。
まさか動いているのか?
思い出してみれば、安全地帯から各エリアに移動する際、毎回微妙に場所がちがっていた。
草原に目印などはないし、いつも同じ場所から各エリアへ移動するわけでもないので、特に気に留めていなかった。
地図で見る限り、いま現在も、魔樹が安全地帯の中心にあるには、変わらない。
だとすれば、安全地帯自体が、一つの異空間で、動いている可能性がある。
これは、早急に検証する必要がある。
万が一、安全地帯が動いているとなれば、下手に長時間、拠点を留守にできない。
どこへ移動しているか、わからなくなるからだ。
今回のケースで考えれば、ほんの数秒で、数百メートルは動いたことになる。
その可能性に、サーッと、血の気が引くのがわかった。
いままでは奇跡的に、安全地帯が動いていなかっただけで、もし俺の探索中に動きだし、地図に安全地帯の表示が見当たらなくなったとしたら……。
考えられない。
安全地帯、いや魔樹がいない生活など、もう考えれない。
魔樹がいるから、少々無理をしても、活動ができていたのだ。
これは……。
身体を起こし、胸にいる白銀をそっと地面におく。抵抗する白銀に少しだけだからと言い聞かせる。地面から立ち上がると、不安気な白銀を胸に抱え上げ、魔樹のいる拠点へ向かい足を進める。
この場から、すぐに立ち去りたいと、いま西エリアと安全地帯の境界線にいることに恐怖を感じた。
「魔樹ただいま」
普段とおりに帰宅の挨拶をしたつもりだったが、声色に動揺がでていた。
抱き上げている白銀が、不安そうに俺を見上げる。
大丈夫だと笑う俺に「クゥーン」と小さく鳴き、胸元に顔をうめた。
その様子に、俺の眼前まで伸びていた魔樹のツルが止まり、木の扉を開けた。
魔樹の気遣いに、よくできた樹だなあと、改めて感心する。
そのままの姿で、ベッドの上にのるには、抵抗はあったが、いまさらだと、白銀と一緒にベッドの上へ座った。
最近の快適な暮らしで、日本での価値観が戻りつつあった。これも魔樹のおかげだ。
食事を摂る時間には早いが、精神的疲労を考慮し、袋から果物を取り出し、口に含む。膝の上にいる白銀にも、無理矢理、果物を食べさせた。
少し落ち着いたところで、待機していた魔樹に話しかける。
「白銀が安全地帯に単独で入れなかったんだよ。突然、俺が目の前で消えて、ひとりになったことが、そうとう怖かったんだよな」
「クゥーン」
魔樹のツルが、白銀の頭に伸び、優しくなでた。
白銀のこの並々ならぬ疲労感をみると、もしかしたら、場所だけではなく、時間の経過も違っていたのではないかと、新たな疑惑がわいてくる。
白銀が落ち着いたら、聞くことにしよう。
「少し考えたことがあって、いまいる安全地帯が、一つの異空間であり、動いているのではないか? だとしたら長時間動けなくなる。おまえ、なにか知っていることあるか?」
俺の質問に、魔樹専用の文字パネルを運び「レンイエココ」と示した。
「うん。俺の家はここだな」
「アンゼン」
「うん。安全だよな」
「レンイクココマツ」
「うん? 俺がいく? ここまつ?」
「レンイツシヨ」
「ん? どういう意味だ?」
魔樹のツルが、俺を指して「イツシヨ」と、繰り返す。
「イツシヨ……一緒ってことか?」
「マル」
「俺と一緒? 俺がいく……ここいく……? ここは俺の家だから、俺が外に出ても、ここで俺を待ってるってことか?」
「マル」
「質問を変えるぞ。俺の家って、この魔樹の家の話か?」
「ゼンブ」
「……。安全地帯の範囲すべて?」
「マル」
「それはどうして、いつから?」
「バツ」
「わからないか……。もしかして、安全地帯が素敵アイテム?」
魔樹のツルが、文字の上で、止まっている。
どう答えればいいか、悩んでいるようだ。
「俺が外のエリアに長時間いても、安全地帯はここにあるってことか?」
「マル」
「じゃどうして、外エリアにでた時、毎回場所がちがうんだ?」
「アンゼン」
「なるほど、安全な場所を選んでだしてくれていると?」
「マル」
「白銀が入れないのは、魔物だからか?」
「マル」
「それを変更する方法は?」
「バツ」
「わからないか……。だったら――」
俺の怒涛の質問は、留まることはなく、途中で精神負荷に気づいた魔樹が、果物を俺の口に押し込むかたちで、終了した。