得体の知れない不気味な女
「私が何をしたって言うのですか?」
「何を、しらばっくれているのよ。
わたしのお尻、触っていたでしょう」
「触っていません」
「では、ここで大声出しましょうか?
いや、それより警察へ行きましょう」
「本当に触って無いです。
触ったって言うのは、電車の中ですか?」
「そうよ」
「もしかしたら、降りる直前ですか?」
「やっぱり覚えがあるのね」
「いえ、降りようとしたら、ホームで待ってるお客が乗って来たので押し返しながら降りたけど……。その時に触れたのかなぁ」
「見たところ常習犯には見えないし、素直に謝れば解放してあげる」
「お尻に触れてごめんなさい……」
「そうだよ。素直に謝れば良いんだ。
解放してあげる」
『フゥー』
急に緊張が抜けたのか、息を吐き出しながら時計を見る。
急いで行けば間に合うな。
「ちょっと待って!」
駅の階段をかけ降りようとした光一を
女が呼び止めた。
「えっ! 何ですか?」
「名刺1枚頂戴」
光一は財布から名刺1枚を出して女に渡した。
その名刺が、このように使用されるとは
光一は思いもしなかった。
瑠花と名乗る女性から電話があった時に、何か口実をつけて、やんわりと断ろうと光一は思っていた。
明菜との約束は21時30分だから、時間は
空いていたが、気の乗らない用事でテンションを下げたくなかった。
『私のお願いを拒否しても良いのよ。
そうすると、後で後悔する事になるわよ』
『後悔ってどういう事ですか?』
『こういう事よ。 “お尻に触って……”』
あの日に、光一が言った事が録音されていた。
(だからすんなり解放したのか……)
瑠花の指定してきた店は渋谷駅前の、
ステーキハウスDON。
時間は19時30分だった。
待ち合わせ時間より10分早く着いた光一は、予約席の13番テーブルへ向かう。
13番テーブルには、見覚えのある女と30代前半の角刈りの男が座っていた。
女が光一に気が付いて、手招きする。
瑠花と名乗る女が手招きしたのを
視野に留めると、光一は左手に
持っていたスマホのメモに
視線を移した。
光一が恋人の振りをすると言うと、
『これから私の言う事をメモして』
と、電話で伝えてきた内容が
メモしてあった。
瑠花のプロフィールと交際期間。
東京生まれの24歳。
美容師。
光一と交際して2年。
メモしながら、光一は得体の知れない
不気味さを電話口の女に感じた。
『光一の事は、よく知ってるから後は
私の話に合わせて』
一方的に電話してきて、名前も呼び捨て
、それに私の事は良く知ってるって……。
この女、頭が変なのか?
ゾクッと背筋を走り抜けた冷たい感触が、手招きされた時に甦ってきた。
メモを見て光一は、
『フゥー』
と深呼吸をする。
先程のゾクッとする感触が薄れたのを
確認すると、
「よし!」
今から会うのは恋人の明菜だ。
頭の中で、
「明菜、明菜……」
と呪文のように唱えながら、笑みを
浮かべて二人のテーブルに
近付いて行く。