ストーリーの面白さ
以前どこかで書いたかも知れない。それほどエッセイを数多く書いてしまった。ざっと見返して似たネタが無いのに驚いたが、ちらっと書いてしまったかもしれない。どうもストーリーが面白いと言うのにズレを感じる。そもそも重要な点で、ネットの中で発言する人はマニアが多い。マニアの面白さはアテにならない。
本心でストーリーが面白いと思っているためズレテル。はて?となる。大半の人間は中身が面白いのであってストーリーが面白いわけじゃない。ただ音楽でもない、声優でもない、映像でもない。原作があるなら原作が持ってるものがそのまま面白いとなるならストーリーが面白いと単純化してしまってるだけ。
ストーリーとは何か?で実際は日本語にした時、物語と筋書きに分かれる。この後者を指す場合が多い。物語とは漠然としててこの筋書きとは必ずしも一致し無い。物語と筋書きの完全な同一視がストーリーと言う言葉の混乱を巻き起こす。それでキャラとか持って来るとなおさらややこしくなる。
筋書きによってキャラが魅力的ならそれは筋書きによるキャラの魅力に過ぎない。きちんとキャラデザや声優など筋書きを分離できるもので分析されるべきだ。私はそもそもキャラと筋書きを分ける考えが好きじゃない。だから私は分からないと言う立場から物語としてすべてを渾然一体とさせて分けないで評価する。これを分けられるという時は余程筋書きが弱いものになる。
多くのマニアが当たり前に使ってるストーリー=筋書きは彼らがそれを楽しんでるのは間違いない事実なんだ。でも大体多数派とズレル。何故か?それは多数派が何を楽しんでるのか?なんて明確に考えて無いからだ。それは多数派の意見が駄目とならない。そもそも何を楽しんでるのか?明確に楽しまないといけないのか?
これそのものが大きな問題になってる。だから真実は決して明かされないまま作品の評価はマニアによって決められる。これが多数決のランキングにしたときに生まれるマニアとの齟齬になる。娯楽の基本すらマニアは知らない。彼らはマニアなのに何故?それは彼らにとっての楽しみ=娯楽が筋書きにあるときが多いから。
多くの人にとっての娯楽はそんなものじゃない。実際は、そういった長時間のまとまった情報の流れ全体を楽しむ人は皆無。それはあくまで補助でしか無い。実写にもアニメにも共通する映像作品の基礎は3つのポイントで決まっている。多分これ過去書いたと思う。ただアプローチとして、ネットで良く起きるマニアとそうじゃない人の齟齬を書きたいのがある。
3つは、より多くの人に、より分かりやすいもの、長時間放置しない刺激(あまり頭を使わないもの)を作る。この3つのポイントで成立してて、だからストーリーが面白いとなる。これは筋書きの面白さではない。実際の面白さは退屈する時間を長時間作るものは排除される。非マニア=多数派は長時間耐えて筋書きの面白さの全体像を把握して楽しんでくれない。
だからマニアが筋書きが面白いからと押してもこれ何が面白いんだ?となってしまう。じゃその刺激とは何か?で最も強力なのが展開の刺激になる。節目節目で退屈させないように次どうなる?って刺激を入れていく。これを連続させていけばいつの間にかああストーリーが面白かったで終ってる。
面白かった時間の筋書きは大体の人は覚えている。この瞬間多くの人は勘違いをする。ストーリー筋書きが面白かったとしてマニアのように語りだす。実際のポイントは違う、展開の刺激で退屈を作らないように作られていたのがキーになる。これは短編の面白さとは全く違う。
カクヨムが顕著だが、短編はマニア受けするような筋書き重視の作品が選ばれやすい。何故か?その程度の時間は多数派も耐えてくれるからだ。なろうではまた違うのかもしれないけど、カクヨムはこれが顕著だった。長編の物語には筋書きの面白さ以外の方が重要になってくる。
後代表的なのは、笑いになる。小まめに筋書き全体の面白さだけに頼らないような刺激を作ると多数派は物語を筋書きを楽しいと勘違いしてくれる。実際筋書きも面白いんだと思う。ポイントはそれは結果論に過ぎない。もし途中で退屈になって脱落してしまった全体の筋書きは決して評価されることは無い。
3つポイントは以前出したかもしれないが、今回のキーはそこじゃない、何気なく使うストーリーと言う筋書きを特定した分析的評価はマニアと多数派ではずれてるって点がポイント。何か評価がずれてるなと思ったらまずここを疑って欲しい。大半のマニアは能動的にストーリー=筋書きを楽しんでるのであって、逆に多数派は受動的に筋書きを楽しまされてる事実を知って欲しい。
後物語の面白さで重要なのは、こんな作品と言う漠然とした最初に受ける第一印象、これこそが最大の武器だと言える。何故テンプレが氾濫するか?でこれがある。実際筋書きによってこれを覆すのを面白さにしてる作品として、典型的なのがまどマギが有る。他にも探せば幾らでもあるが、これは失敗例も多い。
それは筋書きが見事だから楽しめるが、基本どの作品もこの一番重要なキーをそのままに楽しんでくれる受け手を重視する。この流れ求めていたものと違うんだよなって失敗の方が実際は多いんだ。多くの人はスタート付近で好みで大体決めてしまう。けもフレは狙ってないが、思っていたものと違うってタイプの典型だろう。
何故か?あれは筋書きと言うか中身がとても個性的だから、第一印象でどんな作品かピンと来るわけがないんだ。だから私は今でもけもフレは1,2話は素直につまらないと思うと思ってる。多くの作品は第一印象で人の好みを刺激する陽に作られていて、そうじゃない作品は生き残れない。けもフレも後から話題になったが、私はその点からも上手い作品だとは思わない。
後から面白くなっていく部分も、基本はキャラ可愛いと言う今の深夜の常識的な面白さに過ぎない。だからキャラ可愛いが発生しない人にはあれは何が面白いのか?と世間の評価が分からないとなると思う。キャラ萌えのためにこんな異色の作品まで登場したか?が私のけもフレの見方で、素直に作品単体の面白さって見てない。
あくまでキャラ可愛いと言う刺激を作るための中身に溢れている。それが必ずしも筋書きの面白さではない。根本的にはそういった分析的な要素ではなく物語と言うと分析不可能な全体の中身によって生み出された可愛さになる。これが退屈させない短期の刺激になっていて、常にキャラ可愛いと言う刺激を感じ取れるため面白い人にはすごく面白い作品になっている。
ただ難しいのは、キャラ可愛いが要素として独立してるのではなく、物語り全体との相互作用によって生み出させるもので、卵が先か?鶏が先か?分からないのでけもフレの筋書きが面白いと言うマニアの分析はヒットの謎を解く分析では、偏った個人的なものだとして軽視している。
以上で、ネットで良く起こる不毛な議論をとめるための助言としておきます。