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「いやぁ~、ももかさんは初々しくていいですなぁ」

向かいの中年男性が嘗め回すみたいな厭らしい目を私に向ける。

この人が私の未来の夫……? 嫌悪感にぞわりと肌が粟立った。胸に苦い物が込み上がる。

「この子はちっとも気が利かなくて、若さしか取柄がないんですよ」

謙遜しているのか、本気で言っているのは分からない。けれど母は娘に向けられる下卑た視線にもてんで無頓着だ。

「それで、高橋君は次男だそうだが、結婚後は大森の家に入ってもらえるのかね?」

母の隣、父が口を開く。

父母にとって重要な点は娘の幸福じゃない。父母の頭には家の継続しかないらしい。

……二十年、育ててもらった恩があった。少なくとも食べるに不足のない暮らしを与えて貰った。

「えぇ、家はもう長男夫婦が継いでいますから」

「そうっ! それならば安心だわ! 高橋さん、どうか家の娘をよろしくお願いします」

……ねぇ母さん? 私の気持ちを一度でも聞いてくれた事はあった?

「いやぁ、お義母さん頭を上げて下さい」

「まぁお義母さんだなんて、ほほほ」

目の前の三文芝居は薄ら寒く、私の心を凍らせる。

「ははっ、ももかは高橋君のような男性と一緒になれて果報者ですよ」

「お義父さん! 僕、期待に添えるように頑張ります。孫の顔だってきっと、早々にお見せ出来ると思いますよ」

「はははっ! そりゃ頼もしいな!」

……ねぇ父さん、私の事を女って蔑みながら、外に母さんとは別に女の人を持っていたのを私は知っているんだよ。

……もう、いいかなぁ? 私は私の道を歩んでもいい? 私はもう、十分二人に従って、十分二人の思惑通りの長女を演じてきたよ。二人の欲望はもっともっとときりがなくって、私はそれに応える事が血を吐くくらいに苦しいんだ。


後は若いお二人で、仲人さんのそんな形どおりの言葉の後は高橋さんと向き合って二人きりになった。

「……ねぇ、ももかさん? この後さ、二人で遊びに行こうよ?」

いつの間にか、向かい合っていた筈の男は私のすぐ隣にいた。膝上に置いた私の手に、じっとりとした男の手が重なった。

湿った感触に鳥肌が立った。振り払いたいのを必死で堪えた。

「高橋さん、申し訳ないのですが私は今回はご縁が無かったという事にさせていただきたいです」

震えそうになるのを堪え、しっかりと言い切った。

男は剣呑な目をしていた。貼り付けたような笑顔の仮面は剥がれ落ち、男は忌々しそうに舌打ちした。

「なぁ? なんでだよ? 何の取柄もない田舎娘が旦那の選り好みなんて出来ると思ってんのか?」

男の手に、怒りからかぎゅっと力が篭る。強く握られて、痛みが走った。

「……選り好みとは思っていませんが、これまでのお話しで私と高橋さんとは価値観に開きがあると思いました。ですから、高橋さんと一緒になる事は出来ません」

カッと男の顔に朱が散った。

「こっちが下手に出てりゃ、調子にのってんじゃねーぞ!? そもそもお前、誰のおかげで今の組合に勤めてられてると思ってんだ? 俺の親父の口利きだろうよ? この話を断って今まで通りでいられると思ってんのか!?」

「高橋さん、私は退職して実家を出ようと思っているので心配には及びません。私の身勝手な判断で本当に高橋さんには申し訳なく思っています。高橋さんに素敵なご縁があるよう願っています」

これ以上、二人きりでいる事に恐怖心があった。今は一刻も早くこの場を逃げ出したかった。

奇しくもこの男が気付かせてくれた、決意させてくれた事がある。

私の言葉に嘘はなかった。この男の相手は私ではあり得ないけれど、縁ある相手と出会い幸せに過ごして欲しいと願ったのは本当。

「失礼します」

深く頭を下げて席を立つ。いまだ解かれぬ手を少々強引に引き抜いた。


ガッッッ!


「ァグッッ!!」

!? 

一瞬、何が起こったのか分からなかった。けれど一拍の間を置いて、見開いた目に飛び込んだのは、男の狂気が宿った瞳。


男の手が私の首を鷲掴んでいた。

男はひどく激昂していた。一瞬の怒りに支配され、正気を無くした男。

初見で厭らしい目だと思った。だけど、ここまで常軌を逸した人だとは思わなかった。


……私もまだまだ、人を見る目が甘い。

食い込む指が呼気を止める。堰き止められた血が頭を焼く。網膜に焼き付いた悪鬼の如く歪んだ男の顔。これを最期の記憶にはしたくない。

真っ白く頭が焼ける。

顔を怒りで真っ赤に染めて、男が何事かを喚いている。けれどそれも、私の耳には遠い。

焼ける、焼かれる、……行き所の無い血が頭を焼いていく。

今はもう苦しくはない。ただただ、燃えるように熱かった。

白く焼かれた脳裏を過ぎるのはサイラス様の綺麗な綺麗な水色の瞳。サラサラに流れる銀髪をした人型のサイラス様とツヤツヤと銀色に輝く龍体のサイラス様、どっちのサイラス様も私には奇跡のように美しく眩しい。

サイラス様の瞳は慈愛に満ちて優しい。サイラス様の瞳にならば、私の生涯の愛を掛けていい。

けれどサイラス様は夢……、私には愛に身を焦がす日は訪れない。夢はいつだって私に都合良く優しい。

だからそう、最期くらい優しい夢に抱かれたい……。



全てのしがらみから解き放たれて、私は大空に羽ばたくの。




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