28
へへへっ。
昨日仕込みをして、一晩寝かせたチーズクッキー。
ウキウキで早起きして、やっと今、焼き上がったところなの。さっそくサイラス様と食べようと、サイラス様の政務室に足を向けていた。
王様って早くから遅くまで政務に追われてとっても大変。……あれ、でも待って? 私だって王妃様になるんだよね?
そっか。なら、ちょっとずつ王妃様のお仕事を覚えなきゃ。
ところで王妃様のお仕事って、何をすればいいんだろう? たぶん、王様の仕事のお手伝い。
ええっと、じゃあそもそも王様ってどんなお仕事をするの??
……駄目だ、王様の仕事なんて考えると難しい。
なら、もっと簡単に一国民の目線で考える。どんな王様の治める、どんな国に暮らしたい? それならとっても簡単で、色々見て、聞いて、私はその答えを知っている。
王様がしっかり治める、お腹いっぱい食べられて、飢えのない平和な国に暮らしたい。
家族が病気に苦しむのなら、適切な治療を受けられる、そんな国。
ならば、そんな国なるように目を配るのが王様の仕事!
不足が無いように作物は育っているか、適切な人材が育成されているか、きっと王様はそういうのを監督するのが仕事! 王妃様も、またしかり!
考え事に一応の終着点を見たところで、ちょうど政務室の前に来ていた。
ノックをしようと扉に近付く。すると、中から何やら話し声が漏れてきた。
内容までは分からないけれど、聞きなれたサイラス様と、……おばあさん??
何故かノックするのが躊躇われ、私は結果、お行儀悪く扉に耳をくっ付けた。
「そうか、天に帰られるか……ももかが寂しがるであろうな」
!?
「なに、寂しがりはするじゃろうが、ももかにはお主がおろう? ももかはもう、しっかりとここで己の居場所を築いておる。あたしがいなくなっても、あの子はもう大丈夫」
!!
バッターーーーッッン!!
「おばあさん!! いなくなっちゃうの!? 天に帰っちゃうって本当!?」
我慢なんて出来なかった。
私はノックも忘れてサイラス様の政務室に飛び込んだ。昨日の晩からずっと楽しみにしていた差し入れのチーズクッキーは床に落ちて砕けていた。
おばあさんとの別れなんて、受け入れたくなかった。大好きなこの世界にあって、いっとう大好きなおばあさんとの別れ、それはとても受け入れられるものじゃない。
「おや、まったく騒々しい子だよ。そうさね、あたしゃ神帝様のところに戻る事を決めたよ。この城に過ごし始めたあたりから神帝様があたしの耳元で怒鳴りおって、煩いったらないからね」
知らなかった! おばあさんはこれまでそんな事、一言だって言わなかった。
「いつ!? いつ帰っちゃう!?」
バフッッ!!
私はピンクのトカゲの時になんどもやった体当たりを、初めて人の姿でやった。
おばあさんは少しも揺らがずに、しっかりと私を腕に抱き留めた。
「おっと。お前さんは、とんだ甘ったれだね。じゃが、あたしゃそんなお前さんが可愛いくてならんさ。……あたしゃ、明日の朝一番で出るよ」
うそっ!! そんなに急に!?
やだっ、そんなのは嫌だ……嫌だよ。
「なーに、今生の別れじゃないんだ! そうそう湿っぽくなるんじゃないよ?」
だけど! それでも! これが一旦の別れ! 同じ朝日を浴びて起きて、同じ食事を食べて、顔を突き合わせて笑い合う、こんな当たり前の日常には一区切りじゃない!
「寂しい! 寂しいよ!!」
こんなにも誰かとの別れを寂しいと思った事なんてない。
おばあさんだから、私にとっておばあさんがそれだけ大事な人だから!
「のうももか、なーにが寂しい事がある? 人は皆、己の道があり、誰一人として同じ道を歩む者はない。その中にあって、ももかの道はぴったりサイラスの道と並走して続いておる。そしてその道をマルスやトム、シンディーやグルゴー、他にも多くの良き仲間たちが思い思いに通っていく。こんなに幸福な事があるかい? もちろんあたしだって、またももかの道を横切ったり、しばし並んで歩む事とてあるじゃろう」
トン、トン……。私を抱くおばあさんの腕が刻む優しいリズム。
……おばあさん、おばあさんのくれる言葉はいつだって優しい。じんわりと私の胸に沁みて、そうすればこれ以上の我儘なんて言えないね。
だって私の道は、キラキラと幸福が溢れてる。
「じゃあおばあさん、必ず来て? 私の道は暴走車両はお断りの歩行者天国。大道芸を催してたり、出店があったりする日もあるの! そんな時は、遊びに来てよ?」
すりすりとおばあさんの胸に顔を寄せた。色んな思いを、涙や鼻水も一緒におばあさんの胸に寄せた。
「ははっ! そりゃ来ずにはおれないね! さて、ももかや? お前さんのつがいが茫然と立ち尽くしてしまっとるぞ? いつだってお前さんを優しく抱き締めてくれる腕があるというに、あたしにまでどっぷり甘えおって……困った子じゃ、そして愛しい子じゃ」
おばあさんに肩を抱かれて振り返れば、サイラス様がいた。泣きじゃくる私に、おろおろと両手を前に差し出した状態で固まるサイラス様がいた。
「……サイラス様」
おばあさんに軽く背中を押されて、差し出されるようにしてサイラス様の前に立った。
私は泣き濡れでぐちゃぐちゃで、ちょっと恥ずかしい。
「ももか!」
サイラス様が私を掻き抱いて、足が宙を蹴った。私は咄嗟にサイラス様の首に腕を回した。私よりも少し高いサイラス様の温度、けれど今日は私を抱く腕が燃えるように熱く感じた。
「サイラスや? 分かっておると思うが、この子はあたしの愛し子だよ。泣かせたら承知しないよ」
「……悔しいが今、ももかを悲しみの涙にくれさせているのは桃色のおばば、貴方だ」
サイラス様がぎゅっと私を抱く腕に力を籠めた。
「おや、それもそうだね!」
おばあさんは朗らかに笑ってみせる。
別れの時が迫る。私はあと何度、おばあさんの笑顔が見られるだろう。おばあさんの笑顔をしっかり記憶に刻もうと思うのに、涙で滲んで視覚には上手く捉えられない。
それでも、脳裏には鮮やかにおばあさんの笑顔が浮かんでいた。
「……桃色のおばば、貴方には頭が上がらぬ。けれど、ももかだけは、貴方にだって譲ってなるか! ももかは我のつがいぞ!」
……サイラス様、私が前回サイラス様に告げた台詞を取り消します。
私は、おばあさんとサイラス様、どちらにも大好きだと言った。
だけどサイラス様、サイラス様への好きとおばあさんへの好きはきっと種類が違う。私は今、おばあさんとの別れを受け入れたけど、サイラス様との別れは絶対に受け入れない。
縋ってでも、尾っぽを引っ掴んでだって、サイラス様の行く先に私は付いていく。
おばあさんは身近で、けれど神というおばあさんの身は遠い。
だけどサイラス様、サイラス様とはいつだって同じ場所、同じ視点で物を見たい!
「サイラス様、譲るなんて言っちゃ嫌。私とサイラス様が一緒に進む道に、またおばあさんが来てくれる。その時の為に、力を合わせて一緒に道を整えましょう? 私達の道はもちろん、龍の国に住まう龍の分だけある数多の道が明るい未来に繋がるように! サイラス様と私で、もっともっとピカピカキラキラに整えましょう!?」
龍の国を縦横無尽に走る道に例えるのなら、王様は交通整理がお仕事!
及ばずながら、私も隣でサポートするの。
だって私は、サイラス様のお妃様になるんだから!
「ももか!!」
「サイラス様、私は立派な王妃様になって、サイラス様の隣に立つの! 次におばあさんに会った時は、胸を張って誇れる私でいるの!」
臆病なこれまでの私にさよなら。
優しい龍の国で、私は強く優しく生まれ変わるの!
「はーっはっはっ、龍王妃としての自覚まで芽生えてこりゃ目出度いね。だがももか、あたしは今だってお前さんが誇らしいよ」
堂々と宣言した側から、おばあさんが私を甘やかす。
そんな風に言われたら、勝手に涙が零れちゃう。そうなれば今まで通り、ぽふんとおばあさんの胸に沈むしかなかった。
「……サイラス様、しっかりした王妃様には必ずなるので、やっぱりもうちょっと長い目で見て下さい」
サイラス様は苦笑して、おばあさんは爆笑した。
「はーはっはっ、ひーっひっひっ。ひーっひーっ、……それじゃ、ひとまず昨日からお前さんが楽しみにしていたチーズクッキーを食べようじゃないか? なーに、割れてたって味は変わりゃしないよ」
ひとしきり笑った後、取り繕っておばあさんが言った。
「うんっ、食べる」
楽しみにしていたクッキーは、ほろ苦い味がした。
その晩、枕を抱えた私はおばあさんのベッドに潜りこんだ。
「おばあさん、元気で長生きしてね?」
一緒の布団に包まって、おばあさんの温度と香りに包まれる。くんくん、……これ、”美ント”の匂いだ。
「……あたしゃお前さんのそういう抜けたところ、嫌いじゃないよ」
おばあさんに深く抱き込まれ、一層深い”美ント”の香りに包まれて、私は眠りの世界に落ちた。
ふわり、ふ~わり。
”美ント”の香り? ううん、これは……お線香の香り。
それは不思議な、とても不思議な光景だった。
眼下は斎場で、棺の中に横たわる私を、私が上から見ていた。祭壇には半ば程まで燃えた巻線香が置かれていた。
通夜の晩、巻線香が半ば程なら真夜だ。しかし、祭壇に一番近い親族席には父母が並んでいた。
わっ! 成人式の写真が遺影だ!
肩寄せ合った二人に言葉はなく、ただ固く手を握り合って晴れ着姿で微笑む私の遺影を見つめていた。
色々あっても、両親にはきっと、確かに夫婦の絆があった。けれど、娘の私にとっては必ずしも良いばかりの親ではなかった。
ただし燻る思いを口にして、私がもう一歩踏み出していたならば、繋ぐ二人の手と手の間、私がそれぞれと手を取り合う過去未来もまた、あったのだろうか。
分からない。過ごしてきた過去を変える事は出来なくて、起きてしまった出来事を無かった事にもまた出来ない。
だけどこれは私の見る夢。夢の中なら、いくらでも自由に出来るでしょう!?
ポポポポンッ!
私はピンクのトカゲになって二人の元に飛び出した。両のおててにはピンクの宝石を握るのだって忘れない。出処? そんなもの、夢の中は自由なの!
ふわりふわりと二人の頭上を飛びながら呼び掛けた。
「お父さん? お母さん?」
見上げる二人の瞳は虚ろだった。夢だって、幻だって思ってる? うん、それでいい。
だって私は、幻の桃色龍だもん!
「お父さんお母さん聞いてくれる? 私ね、ピンクの赤ちゃん龍になって優しいつがいの旦那様と恋をしてるの。ふふふっ、この姿、なかなかにキュートだと思わない? 優しいおばあさんと、優しい泥棒と、優しい友達、他にもいっぱいの優しい人達に囲まれて私はとっても幸せ」
「……ももか」
お母さんの瞳が僅かに光を宿す。
「ももか。私達は、あんたに優しくなかったよね。……ごめんね、ももか」
お母さんが紡いだのは、微かに震える声だった。
「ううん、お母さん。それは違う」
サイラス様やおばあさん、他にも多くの出会いを経て、今なら分かる。
優しさは誰もが心に持っている。けれど優しさを示すには、ほんの少し勇気がいるの。
一歩を踏み出すその勇気、私もついつい楽な方に流されて、その勇気を呑み込んじゃった。
たぶん私達親子には圧倒的に対話が足りなかっただけ。
だって本当に冷徹だったなら、私は成人式にあんな一張羅の晴れ着を着せてもらっていないでしょう?
「ねぇお父さんお母さん、どこにあっても願う心、思う心は自由なの! もしもまた、巡り巡って私が二人の娘に生まれる事があったなら、その時はいっぱいいっぱいダダ捏ねて、やりたい事したい事、あれやだこれやだって、なんでも言っちゃう我儘娘になるよ。その時は正面からぶつかって、体当たりの親子関係を一緒に築こう? きっと、そんな未来は夢まぼろしじゃないと思うんだ」
見上げた両親は、記憶の中の二人よりずっと穏やかで優しい目をしてた。
ボフッ!
繋いだままの二人の手に飛び込んだ。衝撃に緩んだ二人の手、そこにピンクの宝石を握らせた。
「二十年間、ありがとう! これ、私から二人にお餞別!」
「ももか!」
?
ぶきっちょな前脚を、ぐっと掴んだのはお父さん。こんな近くで顔を合わせるのなんて、一体いつ振りだろう。
「……ももか、桃の節句にお前を初めてこの腕に抱いてももかと決めた。俺は良い父親になりたかった、……なりたかったんだ!」
お父さん!!
……後になって気付く事、気付かされる事。
愛は確かにそこにある。単純なのに難しいのは、真相が見えにくくなっちゃうのは、表面だけを取り繕って臆病に逃げていたから。
誰が悪い彼が悪い、そんな責任転嫁より、もっと簡単。
正面からぶつかる勇気、それだけでまるで違う明日が広がる。
夢は自由だから、なんだって願い放題なんだから、もっと多くを願えばいい。……それなのに今、私の願いはこんなにも単純だ。
「やっぱり私、また二人の娘で生まれるように一生懸命神様にお願いしとく! 二人とも元気で仲良く、長生きしてね! ありがとう、そしてまた会う日まで、一旦ばいばいっ!!」
後ろ髪を引かれる思いだった。
「「ももか!!」」
私の目にも、両親の目にもキラキラと光るものが溢れてた。
かつてあれだけ苦手としていた両親とこんなにも別れ難いのは、決して夢が見せた幻じゃない。
これは、優しい現実の一端に他ならない。
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
「これ、これ!」
むにゃむにゃ。ゆさゆさ。
「これ、ももか? ももか? あたしゃもう出発するよ? ……起きんのならもう、行っちまうよ?」
む? にゃ?
「! だ、だめっ! お見送りさせてっ!」
ガバッと起きた。
「おはよう! おばあさん!」
「ああ、おはよう。全くお寝坊な子だよ」
いつもと変わらないおばあさんの笑顔。
いつもと変わらないおばあさんの言葉。
けれどおばあさんは既に、すっかり余所行きな恰好をして、手には大きな荷物を持っていた。
……あぁ、本当におばあさんが天に帰っちゃうんだ。
「おや? お前さん手に何を持っておるんじゃ?」
え?
言われて初めて気が付いた。私の手には大量のお菓子が握られていた。
……ありゃ。そういえば昨日の夢でお父さんとお母さんと会った帰り、斎場の隅っこで通夜見舞いのお菓子の山を見つけたんだった。
大好きだったチョコレート菓子が入ってたもんだから、いただいた。両手に掴めるだけ、いただいてきた。
「おばあさんに、お餞別にあげる! どれにする!?」
「あたしゃこの、”しいたけの山”と”竹の里”がいっとう好きさ。餞別だって? それじゃ、ありがたくこのふたつをもらうよ」
あああ! 私もそれが、いっとう大好き。……でも、いい! おばあさんにあげる!!
こうしておばあさんは”しいたけの山”と”竹の里”を持って天に帰っていった。
おばあさんも、また会う日まで、一旦ばいばいっ!!




