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……ねぇえ? それにしたって夢の中ならもっとカッコよくてもいいじゃない?
景色を楽しむ余裕はどこに行ったの?
私は地を這うすれすれで、何度も落っこちそうになりながら、その度に必死で翼をはためかせて、なんとかかんとか飛んでいるって、なんで!?
しかも飛ぶのってすっごく大変で、ほんの十メートル飛んだだけでもう、限界……。これ、絶対明日は背中が筋肉痛だ。
とても後ろは振り返れないけど、窓から数多の視線が背中に突き刺さる。きっと、一様に残念な瞳をしてるはず。
あ、もう駄目。もう高度を上げる余力が、ない。
ひゅるひゅるるぅぅぅぅ~~。
ビュンッ!
!? 視界を銀色の巨大な何かが掠めていった。
ぽふんっ。
『妃は空を飛びたいのか? 我の鬣に捕まっているといい』
!?
直接頭に響く声。
え? え? きょろきょろと視線を彷徨わせれば、地面に落っこちたはずの私は何故かぐんぐんとその高度を上げている。
地面が持ち上がってる、訳ないよね?
次いで目線を下げれば私のお尻は地面じゃなくて、銀色のツヤツヤピカピカの何かに座っていた。
『えっ、えっ、えぇぇぇえええええ!?』
私は反射的に目の前のツヤツヤピカピカの毛束を掴んだ。
『少し速度を上げるぞ』
振り返ってそう告げたのはっ、!!
『りゅ、りゅ、龍!!』
これ、これってえっと、サイラス様、だよね!? 私がヒロインである事を諦めた、あの、キラキラピカピカのサイラス様の背中なんだよね!?
『はははっ。妃よ、今更何を言うておる? さぁ、美しく花々が咲き誇る龍魂の泉までもう間もなくぞ?』
!
まただ。サイラス様はガッカリの欠片すら見せず、愛しい響きで私に妃と呼び掛ける。
……ふふっ。今夜の夢は随分と私に大盤振舞で、エンドロールまであったらしい。
夢なのに、お尻の下にしっかり感じるその温度が切なくて愛おしかった。
人智を越えた圧倒的な存在感である龍の背を、恐ろしいとは思わなかった。どころか、縫い止められたみたいに神々しい姿から目が逸らせない。輝く銀の肢体に、あらゆる輝石よりももっと輝く水晶の瞳。その透き通る水色の瞳に映る世界は、果たしてどれ程眩いのだろう。
神話に語られる龍の絵姿はこれまで数多に見てきた。けれど、実際に目の当たりにする龍は、それらなど比較にならない程の圧倒的な存在感と美しさ。
ただただ、銀色の龍は綺麗だった。
私が握るツヤツヤピカピカの毛束は得も言われぬ触り心地。
うん?
握る毛束はツヤツヤのピッカピカ。でも、握るおてては……、なんでピンク? なんでサメ肌?
ヒヤリ。
ここに来て、私の背中を嫌な汗が伝った。
『どうだ、妃よ? 龍魂の泉の景観は全ての憂いを洗い流す絶景であろう?』
目も覚める程美しい泉の景色景観も、今の私には味わう余裕も余力もない。
私が今対峙するのは何物をも映し出す、淀みなく澄んだ水面。
『ト、トトトトト、トカゲェェェェェ!!!』
私は水面に映る自分の姿に目を回した。予感はあった、けれど突き付けられた己の姿は無情だった。
目の前に座して私を見つめる物凄く綺麗で神秘的な銀色の龍はただただ美しい幻獣と感嘆した。だけど、お腹がぽよんとでっぱった短足肥満なトカゲは駄目だぁ~。しかもピンクってなにさ!?
『き、妃!?』
焦っても銀色の龍は美しかった。……ピンクのふとっちょトカゲはもう、夢にしたっていなくなってしまいたい。
自分がピンクのふとっちょトカゲだなんて夢、やっぱりイヤだぁ。
くてっ。
再び目覚めた時、私は銀色のツヤツヤピカピカの懐に抱かれていた。
『! ……えっと、サイラス様?』
『妃! 起きたのか?』
長い首を巡らせて私を覗き込む美貌の龍。
サイラス様は私の目覚めに、とてもとても嬉しそうに弾けるような笑みを見せた。
不思議だと、おかしいと思った。サイラス様は、妃と呼ばれるには不完全な私にガッカリしてはいないの?
なにより流石に今度目を覚ましたら、いつもの自分の部屋、自分の布団の上だろうって思ってた。
そうしていつも通りの窮屈な日常に、私は戻っていくんだろうと……。けれど今、私を覗き込むのはサイラス様だ。
どうやら夢は私に都合よい展開になっていまだ、続いているらしい。
『……サイラス様』
呼び掛ければ、慈愛の篭った水色の瞳が私を見下ろす。その瞳はどこまでも優しい。
『サイラス様は五十年待った妃が私で、がっかりしたでしょ?』
『妃、それは違うぞ! なかなかつがいが現れず、我は生涯独り身を貫く覚悟だった。そんな我に五十年の時を経てつがいが現れた事自体が奇跡なのだ。我は一目見た瞬間から、其方が愛しゅうてならんのだ』
わっ! わぁあぁあぁあ!! い、いいいいい、愛しいって、愛しいって私が!?
『妃? 龍体同士であればこの様に意思疎通も可能だ、今度こそ其方の名を我に教えてくれ?』
いまだかつて、私にこんな言葉をくれた人はいない。それを初めてくれたのはとびきり綺麗な銀の龍。
夢はなんて都合よく、優しく私を甘やかすのだろう。夢はどこまで私を有頂天にさせるのだろう。
『私は、ももか』
『なんと! ももか、か! 其方の美しき色をそのまま表しておるのだな!』
弾けるように笑うサイラス様の方が余程に綺麗だ。
……私は美しくなんてない。現実も夢の中の赤ちゃん龍の姿までがちーっとも美しくなんかないトカゲだけど、確かに桃色は名前と同じ。
見下ろした、ぽよんぽよんのピンクの体。だけど、ぽってりとでっぱったお腹が邪魔をして、前脚の先っちょしか見えない。
さっき水面に映った顔立ちは、トカゲのくせにどことなくももかの面影を残してた。
丸顔のトカゲってなにさ?
『ももか、歴代の龍王妃が人型を取れぬ幼龍のまま生まれてくるのは初めての事ゆえ、皆も少々戸惑ってしまったのだ。しかし、皆がももかの生誕を待ちわびておった。そうして今、ももか誕生の慶事に城中が酔いしれておるぞ。そろそろ我と共に城に戻ってはもらえぬか?』
龍の仕組みはよく分からないけれど、どうやら私は夢の中でまで望まれた姿で生まれてこられなかったらしい。
……長男を望む両親の元に、生まれたのは女の私。人の期待は重くて、けれど失望される事は恐ろしくて必死になって食らいついて……。
人の顔色窺って、波風を立てないように、いい子を演じて?
『……やだ。私、帰らない。私はもっともっと綺麗な物、愉快な物、ここでいっぱいの楽しいを過ごすの』
だけどこれは夢だから、私は私の思いに正直でいる! 人の顔色を窺わずに、好きに過ごす!
だって、いつかは覚める夢だから、つかの間とびきり綺麗な銀龍を振り回してみせたってバチなんて当たらないでしょう?
『……ふむ。のぅももか、我が隣におっては迷惑だろうか? ももかが戻らぬのなら、我も戻らぬ』
『えっ!? 全然迷惑なんかじゃないけど、だってサイラス様は忙しいんじゃない!?』
銀色の龍はにっこりと微笑んで宣った。
『何を申すか。我にももか以上に優先すべき事などない』
わ! わ! わぁぁぁぁぁああああ!!
夢はなんてめろめろに甘いんだろう。この甘い夢がいつまでも続けばいいのに……。