19
家に戻るとすぐに姉妹は調理に取り掛かった。台所で調理に掛かりきりの二人が、私の動向を気に掛ける事はなかった。
私は二人の目を盗み、襖の奥で横たわる二人のお母さんのところに向かった。
「きゅぁ」
お邪魔します。
襖の隙間から、するりと体を滑らせる。すっかり肉付きの良くなったお尻がちょこっともたついたけど、無事にお母さんの寝室に滑り込む事に成功した。
「……あら? 可愛いピンクの幼龍さん、どうしたの?」
私に気付いたお母さんが、布団の中から私を見上げて囁いた。
「きゅぁ?」
お母さん、具合はどう?
私は横たわるお母さんの枕辺に寄った。
「ユリアが飼い主さんのところに送ったんじゃなかったの?」
覗き込んだお母さんは青白い頬をして、ひどく痩せていた。
けれど、とても優しいはしばみ色の瞳をしていた。
「きゅ」
お母さんの血の気のない額にぽふんと前脚を置いた。
「ふふっ。可愛い肉球のおてて、なんだかとても気持ちがいいわ」
お母さんが微笑む。
触れた手からなんとなく、病に蝕まれたお母さんの状態が伝わってくるようだった。
たぶんお母さんの病状は悪い。それに随分、弱々しい感じがした。
お母さんの病気は外傷じゃないから、きっと舐めてもダメ。
……なら、ピンクのキラキラを飲んでもらおう!
「きゅあ? きゅーあっ!」
お母さん、ちょっと待っててね? 私が必ず、良くしてあげる!
私はお母さんに背を向けると、家の外へと飛び出した。
「ふふふっ、なんだか不思議な子ね。まるで私の言葉が分かっているみたい……ケホッ、コホッコホッ!」
庭に出ると、私はおもむろに草ぼうぼうの茂みに寄る。
……視界に見えるあれ、仙人草。
日本でも割とよく見る野草。だけど私は昔から、あれに触ると必ずと言っていいほど、痒くなる。
「……きゅ、きゅぁ」
……痒いの、ほんとはやだよ。
だけどピンクの宝石はいつも、痒みの合図でポリポリカイカイして、落ちる。
先に痒みを誘発するこの作戦、やってみる価値は十分にある。
「きゅああ!」
ええーい!
覚悟を決め、背中を仙人草に、こしょこしょ……こしょこしょ。
……かゆ。かゆかゆかゆかゆ! かゆかゆかゆ!
「きゅ、きゅあ!」
か、痒ーい!
案の定、すぐに痒みに襲われた。
てててててっ!
家の外壁にダッシュした。
くるりんと背中を外壁に押し付けて……! ぞーりぞーりぞーり、ぞりぞりぞり。
いつも通りに擦り付ける。角度を変え、心行くまで擦り付ける。
むず痒さが収まって、ゴクリと生唾を呑み込んで一歩下がる。
ドキドキ、バクバクで足元を振り返る。
「きゅあぁ!」
あったぁ!
足元には既に見慣れたキラキラ、ピカピカのオンパレード!
へへへへへっ。
私はご機嫌でピンクのキラキラを拾い集めた。
そして特大のひとつを選び、残りを土に埋めると台所に走った。
台所に向かえば、既にトカゲ汁が完成していた。
「姉ちゃん、美味そうだなぁ~」
涎を垂らしたユリアが、大鍋からトカゲ汁をお椀によそっていた。
「ユリア! 母ちゃんのお椀に涎垂らさないでおくれよ!」
洗い物をしながらお姉さんがユリアを睨みつけた。
「わぁってらい……じゅるり」
あ! ……涎が一滴、お椀に垂れた。けれどお姉さんは気付かず、ユリアも知らんぷりを決め込んだ。
私も、見なかった事にした。
よそい終えたユリアはお椀をひとつ、お盆に乗せた。
あ、あれがお母さんの分!
「あ、匙がいるよな。匙っと……」
匙を取りにユリアが戸棚に向かう。
てててててっ。
その隙を見逃さず、私はすかさず駆け寄った。
えーい、投入!
ポチャン。
てててててっ。
投入し、すぐに退散。
私は二人に見咎められず、無事にピンクの宝石をお母さんのお椀に入れる事に成功した。
ピンクの宝石は熱々のトカゲ汁にあっという間に溶けて消えた。
……よしっ、これで私はお役御免。
ほっと大きく一息ついて、私は台所を後にした。
「あ、姉ちゃん! ピンクもトカゲ汁食うのか?」
「そりゃあ食べるんじゃないかい? 試しに少しあげてごらん?」
「しゃーねぇな、分けてやっか。おーいピンク、飯だぞ? ……あれ? ピンクー??」
戻らないと、さすがにおばあさんが心配しているのは分かってた。だけどどうしても後ろ髪引かれ、こっそりと窓越しに眺めてた。
……そうしたら、二人はなんと私にも、食べさせようとしてくれた。
「きゅ」
二人の気持ちに胸がジンとした。
「姉ちゃん、ピンクもうどっこもいないぞ?」
「あれ、ひとりで帰ったのかね?」
「うん、そうみたい。いないもん。せっかくトカゲ汁食わしてやろうと思ったのにな~。まぁいっか、母ちゃーん! トカゲ汁出来たから食って!」
ユリアは意気揚々とトカゲ汁の乗ったお盆を持って寝室に消えた。
しばらくして、寝室から聞こえたのは歓喜だった。
「母ちゃん!?」
「だ、駄目よ母ちゃん、寝てなきゃ!!」
「……いいえ、だってもう、どこも苦しくないの。……これを食べたら、体の芯からぽかぽかして、痛いのも辛いのも、全部がスゥーっと消えて行ったの。もう、まるで苦しくなんてないの……」
「「母ちゃん!!」」
寝室から聞こえる母子の声を背に、私は今度こそ母子の家を後にした。
「きゅぁ~」
あ~、良かった。
縁あって出会い、食べられそうになって逃げた。だけど姉妹に、大トカゲから助けてもらった。ならば、私だって彼女らを助けたかった。
だってここは夢だから。
夢は辛く苦しいよりも、幸せな方がいいに決まっている。
きっとユリアの一家は、元気になったお母さんを囲い、これまでよりも笑顔の多い暮らしに変わる。
ふわんっ。
その時、風が私の頬を撫でた。
それはまるで、サイラス様の優しい手で撫でられたみたいな心地。
前脚を頬に添え、そっと瞼を閉じる。
サイラス様、私、少しだけ誰かの役に立てたでしょうか?
もちろんサイラス様はここにはおらず、どこからも答えは返らない。
それがどうにも切なくて、唇を噛み締めた。
……だけどピンクの宝石も、結局は偶然の産物。私の実力によって得た物じゃない。
たまたま与えられた、幸運を使っただけ。
ならば、役に立てただなんて考えるのはおこがましい?
……ううん、サイラス様ならきっと微笑んで頭を撫でてくれる。
優しく、抱き締めてくれる。
「きゅ」
ねぇサイラス様? サイラス様、会いたいよ……。
ビュルルー!
突風が、吹き抜けた。
それはまるで、おばあさんに頭を叩かれたような心地。
ん? おばあさん……、ハッ!!
いけない! 今は何よりおばあさん! おばさん、絶対私におかんむり!
私は猛ダッシュでおばあさんのところに走った。
おばあさん、心配かけてごめんなさい! すぐに行くから、待っていて!!
ぜぃぜぃ、はぁはぁ。
えぇ~ん、近いと思ったら地味に上り坂なんだもん。思いのほか時間、掛かっちゃったよね?
見上げる空はお日様が傾いて、地面に映る私の影はみにょーんと縦長のスリムに変わっていた。
急げ、急げ。
関所まで、あとちょっと。
ぜいぜぃ、ふうふぅ。
「いたー! いたっ! いたっ!! いたーーーーっっ!!」
え? 何がイタイの??
響き渡る、野太い謎の雄叫び。それはかつて、私がタンスの角に足の小指をぶつけて上げた雄叫びによく似ていた。
けれど、振り返って見る間はなかった。
みにょーんとスリムな私の影に、みにょーんとスリムになって尚、スリムになりきれていない巨漢の影が掛かる。
! 影だけ、どうか影だけにしておいてっ、って、い、いやぁぁぁぁああああっっ!
ベダンッッ!!
「ぎゅっっ!」
私の願いも空しく、私は巨漢に圧し掛かられた。影はいい、影なら痛くない。
だけど生身に巨漢が圧し掛かったら、……意識はない。
関所まで、おばあさんのところまであともうちょっとというところ、私はあえなく圧死した(正確には、圧迫で意識を飛ばした)。
「ああぁぁ、よくぞご無事で! 龍王妃様、ご無事でなによりでございました! 龍の国の臣下一同、龍王妃様のお戻りを首を長くして待っておりました! ……、龍王妃様? 龍王妃様!? 龍王妃様ーーっっ!?」
だから当然、巨漢の更なる雄叫びだって聞こえちゃいない。




