第6話
「イルのバーカバーカ」
「悪かったよ……俺が悪かったからいい加減機嫌治してくれ」
ざわざわと賑やかな通りをエルザとイリアスの二人は歩いていた。
むすっと膨れた表情のエルザにどうしようかと困った表情のイリアス。
あの後、商人ギルドで約二時間近くも放置されていれば誰だって機嫌は悪くなるだろう。率先して会話を止めなかったエルザもエルザだが話に盛り上がりすぎてすっかりエルザを待たせていたことを忘れていたイリアスもイリアスである。
ほら、と途中の屋台で買った軽食を渡される。
大勢の人がひしめき合う大通り。特に民族性としても大柄な人が多い中、すいすいと人込みを掻き分け進む二人は流石としか言えなかった。
「むぅ、こんなんじゃ誤魔化されないからね!」
「分かってるよ。後で何でもしてやるから」
むむむっと眉間に皺を寄せながらもいつの間に買っていたのか、エルザの好物であるパンに肉と野菜を挟んだ軽食を渡しそっと頭を撫でるイリアス。
子供でありながらそのスマートさは是非モテないことに嘆いていたあの冒険者ギルドで酒を飲んでいた男たちに教えて頂きたい。
人込みを抜け広場に出る。
ゼルギア王国の王都は王城を中央とし、東西南北に走る大通りには中間地点に休憩場所として大きな広場がそれぞれ四つあった。
その中の一つ、北門に近い広場は他の場所に比べて静かでありながら冒険者たちが多く行き交う。その為店も南に比べて昔気質な職人の商店が立ち並んでいた。
北門に向けて歩を進める二人。
進めば進む程人は疎らになり、商店の客引きの声を聞きつつ周囲を見回せば武器や薬屋などの商店が多い。
職人街としての一面もある北の通りを突き進むと先ほどから見えていた門がどんどん近付いてくる。
威圧感さえ感じる大きな門。
エルザの背丈ほどある大きな岩を組み合わせて作られた門は見るからに頑丈そうだった。そんな門を境に森に面する部分だけ半円状に城壁が築かれている。
門に比べると頑丈さは劣るがレンガ造りの城壁は実は魔法で補強されているのは住民にとっては当たり前の知識だった。
「忘れ物は無いか?」
「うーん、一応補充等はしたし、ご飯も食べた。後は……何だろ?」
歩きながら買い忘れは無いか確認する。
ポケットを軽く触りながら装備も確認していく。といっても基本的に肉弾戦を得意とするエルザに武器といったものはあまり必要としない。
あっても小型のナイフや足止め目的の暗器といった類いの物で事足りる為、最低限必要なのは毒消しや薬草などの治癒目的の物だけ。
イリアスも一応魔剣士として剣を腰に下げているが基本的に戦闘では魔法を使う方が多かった。イリアス曰く剣では手加減が難しいらしい。
その為手軽な魔法で片付ける所為で剣は専ら剥ぎ取り用などに使用される方が多かった。
空間魔法も会得しているイリアスは手持ちの鞄以外にも魔法で作り上げた異空間に他の荷物も入れている為忘れ物があってもそう最悪な事態には陥らない。
まぁ忘れ物があってもいいか、と呑気に頷く二人。
最悪現地調達すれば良いと互いに納得し北の門の近くにある守衛小屋に近づく。
「こんにちはー!」
「お邪魔します」
「おぅ!お前らか!また潜んのか?」
「ええ、森の最奥洞窟に行く予定です」
北の門の側。丸太を組んで作られた建物の中は外観に反して広く作られていた。
その中の受付の前には一人の男。国所属の騎士でもある男は二人の子供を見て破顔する。
男の言葉に律儀に返すイリアスは懐から冒険者ギルドで渡された赤い紙を男に手渡した。
「そーいや、お前ら聞いたか?森の南部にジャイアントベアが出た話」
森に入る手続きの片手間に出た話題。
ついさっき聞いたばかりの話にイリアスとエルザは微妙な表情を浮かべた。
「聞いたよー、死人が出たから討伐対象になったんだって?」
「リム爺から聞きました。でも俺らは北の方に行くので残念ですが会う事は無いでしょうね」
「あー、あの爺さんから聞いたか。ついでに討伐して来いとでも言われたか?」
少しだけ苦い表情に門番の男は苦笑する。
冒険者ギルド本部の名物受付の老人を思い浮かべ、そのやり口を知っている分二人は嫌がるだろうと簡単に想像が付いた。
ある程度流せる大人ならば良いだろう。その分、依頼を受けてなくても討伐の証明を持って行けばある程度報酬に色が付くし、何かしらの見返りは高い。
だが遠回しで言われることを余り良くは思わない二人は面倒くさいという表情を崩す事は無かった。
討伐して欲しいならストレートにしてくれと言ってくれた方が二人にとっては楽なのだ。
「まぁ、機会があったら。っていう話だ。余り気にする必要もないさ」
「それはそうなんだけどー」
「まぁ、頭には入れておきます」
口を尖らせるエルザを宥め、イリアスは肩を竦める。
ジャイアントベアはただの獣だが、その体長は子供でも2mを越す巨体。記録では最大20mを越す個体もいるらしい。
強さは冒険者ギルドで基本的に最高ランクSから最低ランクEまでランク分けされている中でもA〜Bという高位に位置する程に強い。魔獣や魔物が大勢生息する北の森でもその存在感は計り知れない。
性格は穏やかだが縄張り意識が強く、主食は花の蜜などの草食系。
だが、子育て期間や妊娠中の個体は気性が荒く獰猛。それだけを気を付ければ逆に森を守るものとして〝森の主〟とすら呼ばれている。基本的には討伐対象からは除外されている存在だ。
しかし、今回の個体は人に危害を加え尚且つ殺してしまった個体だ。
人の味を覚えてしまった獣は繰り返し殺戮を繰り返す。その為、人を殺した獣はどんな存在であろうと例外無く討伐対象となってしまう。
どんな理由があろうとも、だ。
しかもまるでとある鳥の生態のように獲物を木に刺し飾るその思考。ただの獣にしては知性のある行動は件のジャイアントベアが知性のある魔獣と化しているということは簡単に想像が付いた。
「お前らなら心配はないんだけどなー、今は森が活性期でもあるから他の奴ら見たら気を付けてやってくれ」
「りよーかい」
「分かりました」
北の森は年に二回、魔物や魔獣が活動的になる時期がある。〝活性期〟と呼ばれるその時期は動植物が繁殖を終えた後、数が増えそれを食べるもの達が獲物を求め移動を始めるのだ。
基本的に縄張りから離れない筈のものが動く為に縄張り争いが起き、ただでさえ危険な森が一際危険に溢れる時期。
普通の冒険者ならばこの時期に森に入ることは無い。だがそんな時期すら関係無しに足を踏み入れる二人にはそれだけの実力があるという証でもあった。
「っと、ほら手続きは終わったぞー。なんか伝言とかあるか?」
「ありがとう!取り敢えずはギルドの方に森に入る事を伝えて貰えば良いかな?」
「そうだな。ちょっと嫌な情報も聞いたのですぐに行きますね」
世間話の間に森に入る手続きが終わり、門番の言葉にエルザとイリアスの二人は頷く。
しかしそんな二人の背後。開けたままにしてある門番小屋の入口から見えたのは猛スピードでこちらに迫る一つの影。
「――っと待ったぁぁああ!!!」
随分と離れた距離から叫ばれた声にイリアスとエルザの反応は速かった。
「じゃ!」
「また帰った時に!」
差し出された許可証のカードを受け取るなり、その場から外に飛び出す。
だが、
「待ってぇぇえええ!!!」
「逃げるよ!」
「分かってる!」
髪を振り乱し鬼気迫る形相の一人の青年。
その青年から逃げるように駆け出すが、5mはある距離から青年は二人に向かって全力のタックルをしたではないか!
「待って!待って!お願いだからぁぁあ!!!」
「ぐっ!」
「エルザ!」
「二人の気持ちは分かるんだけど俺が皆に殺されるから!」
飛んで避けようとした二人の内、エルザの鞄に指先を掛けた青年がなりふり構わず力の限り引っ張る。
背中に背負う形の鞄を引っ張られ、胸の圧迫に息が詰まるエルザにイリアスは着地と同時に駆け寄る。
必死で二人に訴える青年は冒険者ギルド本部所属のギルド員だった。
地面に倒れる青年に引っ張られるままに同じく地面に転がるエルザ。
苦しげな表情は彼の力の強さを表していた。
――それにイリアスの表情が変わる。
「――おい」
「ぶふっ!んぐぐぬ」
「エルザに何すんだよ」
無表情になったイリアスが怒りを顕にする。
基本的に歳上に対して礼儀正しく敬語で話すイリアスが敬語を取り払いその青年の頭を踏み付けたではないか。
「あー、イル?私は大丈夫だから……」
「エルザが痛がってんだよ。離せ」
「むごごご!」
グリグリと靴裏に力を込め圧力を掛ける。
地面とキスしている青年からは声は上がるが言葉とはならず、しかし何かを訴えているのだけは分かった。
エルザが宥めようと声を掛けるが青年はエルザの鞄から手を離す事は無い。その執念だけは賞賛に値するだろう。
鼻血でも出ているのか地面が段々と赤く染まるが青年は意地でもその手を離さなかった。
「あーあ、残念だったなぁ逃げ切れなかったか」
「バルドさん助けて!」
「いや、俺に怒ったイリアスを止められるとでも?」
「そこを何とか!」
小屋から出てきた門番の男にエルザが助けを求める。
ガチャガチャと音を立てる鎧。
扉の壁に寄り掛かり首を振る門番の男――バルドの目は笑っていなかった。
「いや、俺も流石に命は惜しいから無理」
表情は苦笑いだが、その目は真剣に拒否の意思を宿していた。
余り怒る事の無いイリアスだが、事、エルザが関わる事に関しては別である。
特にエルザに直接危害が加われば沸点は限りなく低い。その惨劇を何回か見ているバルドは怒っているイリアスの前に立つなど金を払われても全力で拒否する姿勢である。
そんなエルザとバルドが話している間にもギルド職員の青年はだんだんと痙攣し始めているような……。
「いっイリアス!ストーップ!息、息できてないよ!このままじゃ死んじゃうよ!?」
「死ねばいい……」
「おう!?確信犯!」
だらり、エルザの鞄を掴んでいた手が力無く地面に落ちていく。
もがいていた青年が死の扉を開く前に!と鞄を投げ捨てエルザはイリアスに抱き着いた。
「はい!そこまで!イル!ねぇ許してあげて――」
「やだ」
「即答?!」
背中に張り付きイリアスの身体を後ろに引っ張る。だがイリアスは無表情のまま無情にも拒絶した。
どうすればいい、エルザは逡巡する。だが、流石に王都内で死人を出すことは出来ないと気恥しさを押し込め覚悟を決めた。
それはとある美女に教わった方法――『これで大抵の男はイチコロよ!』と美しいウィンク付きで教えて貰った方法を行動に移す。
背丈の差で届かぬ耳元に必死に背伸びして近付く。
甘い声って何だ?と思わないでもないが、エルザなりに優しく心を込めて囁く。
「――お願い、ね?イリアス……」
チュ、と頬にキスまで付けて懇願する。
すると――イリアスは固まった。
「い、今!」
口付けが落とされた頬に手を当て呆然と固まるイリアスの足元から青年を救出する。
「ちょっ!笑ってないで手当してよバルドさん!」
「っぐ!ぶはははは!!は、腹痛てぇ!」
「仕事しろよ!」
余りの笑いようにエルザの口も悪くなる。
その間、イリアスといえばいつの間にか顔も全身も真っ赤になっていた。
「え、エルザにキスされた……?」
「イルも正気に戻って早く治癒して!」
ピクピクと痙攣を繰り返し虫の息の青年を介抱しながら周りを見回す。
方や大爆笑のバルド。方や真っ赤で呆然としているイリアス。混沌としている光景にエルザは叫ぶ。
「だ、誰か助けてぇ!!」
てぇてぇてぇ、と木霊が北の門には響き渡ったのだった……。