第2話
トンットンッと軽快な足音を残して城下町の空を駆ける一つの影。
建物と建物の間などなんのその。風を切り、空を飛ぶ影は楽しそうに空中散歩を楽しむ。
「イル、もう来てるかなぁ」
ぽつりと呟いた声は風に紛れていく。
エルザは店を出て直ぐ歩き慣れた道を走っていた。
本来ならば道でも何でもない建物の屋根を伝い走り、離れた距離も飛び跳ね越えていくエルザを見咎める者はいない。
仕舞には手を振り挨拶をする者すら居た。
残念ながらそういう風に移動する人はこの国、ゼルギア王国ではそこそこ日常的な光景だった。
緊急時や人混みが嫌だと言う我儘な人間がその自己身体能力を遺憾無く発揮し屋根を走る事は結構普通な事なのである。
元々が身体を張る冒険者が興した国の所為か、国民の殆どの身体能力は高く、同じ様に戦闘能力も高い。
それには迫害されてきた異能力者や獣人などといった特殊な能力を持つ者の血が混ざっていることにも起因している。
「うーん、今日は良い天気だなぁ」
母さんに布団の日干しを頼めばよかったとひとりごちるエルザ。
その間も視界の景色は次々色を変え、風を切る音を聞きつつ建物同士の間を飛び渡る。
ゼルギア王国の王都はすり鉢状の土地の中に広く、深く造られていた。
その差を無くす為か王城を中央とし、建物は四階五階建てなどざらにあり、東西南北一直線に走る大通り。
東西にはそれぞれ一際大きな建物が目印として立ち並び南北には大きな門が聳え立つ。
縦と横を結ぶ小道が数多くあり、上から見ればまるで蜘蛛の巣状となっている。
その為、上から見下ろせばとても分かり易いがいざ道なりを通ればそこは迷路のように入り組んでいた。
地元民ならいざ知らず、旅行者など街に慣れぬ者は一度は必ず迷って警備隊に保護されるのはよくある事だった。
それに加え、王都は地下都市すらあり全ての道を熟知するのは至難の技。
南の大門は王都の玄関であり、すぐ側には商人たちが行き交う商店街が広がる。国中、世界中から様々なものが集まる為王都商店街で見つからないものは無いとさえ言われていた。
対して反対側の北門はすぐ側に広がる魔獣魔物が跋扈する危険な森への門。強固な門構えは南門に比べれば無骨で物々しい雰囲気すら感じられる。
東にはこの国の始まりの組織、冒険者ギルドの本部が他の魔術師ギルド、商人ギルドと一緒に建ち並ぶ。
西の建物はゼルギア王国が建国と同時に設立された国立の学院が幾つもの塔に囲まれ佇んでいた。
そんな景色を眺めながらエルザが向かうのは東の建物。この国が誇る冒険者ギルドの本部であった――。
*
「っやめろ!離せ!」
「うん?」
それはあともう少しでギルド本部に着くという所の手前。何やら争う声にエルザは久しぶりに地面を見下ろした。
建物に三方を囲まれた袋小路の路地には何やら険悪な雰囲気の三人。一人は地面に転がり、二人は下卑た笑いを浮かべ、倒れている一人ににじり寄っていた。
エルザは一瞬の逡巡の後、踏み切る足を変え向きを変える。
「おいおい、別に俺達はお前さんに危害を加えるつもりはねぇんだよ?」
「そうそう、ただちぃとばかし困ってる俺達を助けて欲しいと思ってさぁ」
「ふざけるな!お前達にやるもんなんか無い!」
話を聞くだけだとどうやらよくあるカツアゲらしい。
三人とも旅行者なのか、冒険者ギルド本部に近いこんな所でやるとはある意味で命知らずである。
そんな三人に被る小さな影。
「はーい、お兄さん達そこまで!そこで何やってるのかな?」
突如として三人に向けて発せられた可愛らしい声。
どこからだ?と声の出処を探す三人の前にエルザは軽い着地音と共に自然体で降り立った。
「なっ!ガキ?」
「どこから来やがったテメェ」
突然目の前に現れた少女にカツアゲしていた二人は目を見張るが相手がまだ小さな少女だと分かると戸惑いも忘れ凄む。
「おい、何やってる!逃げろ!」
倒れている青年がエルザに叫ぶが、そうはいかないとエルザは笑みを深めてごろつき二人に注意を向ける。
「おにーさん達、街の人間じゃないね?ダメだよー?こんな所でそんな事やるとコワーイ人達がやって来るから」
「んだと?ガキが」
「どうやら痛い目見たいらしいなぁ」
エルザの注意も聞く耳持たず、子供相手に脅す二人にエルザは一切気負うことは無い。
「そっちのお兄さんは大丈夫?怪我はない?」
「あ、ああ」
いきなり会話の先が自分に向けられ驚く青年。それよりも目の前の二人が危ないと声を掛けたいのを飲み込み頷く。
それに怒りを抱いた男達。
自分よりも遥かに年下の少女に無視され、加えて注意も向けやしないその態度は男達の無駄に高いプライドを刺激するには充分なものだった。
男達から目を離し、背中を向けるエルザ。その小さな背中に向けて拳を振ろうとする男達の姿が青年にははっきりと見えた。
怒りで顔を赤くし、躊躇いなど無く振るわれる拳。
こういったことは初めてではない事が察せられた。しかしその拳は空振る。
「なっ!」
「――どこに」
「それでこの王都でやんちゃするなんてよく出来たねぇお兄さん達」
カッと小気味いい音が二つ。
乾いた音は寸分の類なく二つの顎を的確に狙った音だった。
いつの間にかそれぞれの懐にするりと入り込んだエルザが軽く降った拳に打ち抜かれ二人の男は意識を刈り取られ、白目を向いて倒れていく。
「え……?」
青年にとっては何があったのか、理解出来ない現状にポカンと呆けるしか出来なかった。
ドサッと音がしたのを見れば男達は倒れ、側には仕方なさそうにため息を吐く少女。
危うく全財産を盗られる所が、一人の少女の乱入に倒れたのは自分では無く加害者の二人。
一瞬にも満たない早業に理解が追い付かない。
疑問符を浮かべ思考を停止する青年を見てエルザは苦笑を浮かべた。
――しかし、そんな路地裏に聞こえた声。
「おいおい、俺達……用無しじゃね?」
「だよなー俺達が来た意味…」
「あ、遅いよ!」
袋小路の唯一の出口。
そこには物々しい出で立ちの二人の男がいた。
皮の鎧に大振りなロングソードを背負う男とフルフェイスの鎧に腰には手斧を持つ男。
二人は腕に揃いの赤色の腕章を付け、フルフェイスの男は鎧の目元を開けて溜め息を吐く。
彼らは一組の冒険者だった。
そしてギルド本部所属の冒険者には依頼として王都治安警備の任務があり、現在その依頼の真っ最中。
やっと出番か!と通報に駆け付けてみれば既に事態は一人の少女によって解決済み。まさかの肩透かしをくらい二人は溜め息を堪え切れなかった。
「エルザ〜俺達の獲物奪うなよ」
「遅いのが悪いんだよー」
「これでも最短だっつーの」
エルザとは顔見知りなのか文句を言う二人にエルザは口を尖らせ不貞腐れる。
しかしエルザもそう長居は出来ない。待ち合わせの時間は既に過ぎており太陽の位置を見上げ慌てる。
「やばっ、ごめーん!後は宜しく!」
「あ、おい!」
「エルザの名前で報告書書いとくからな〜」
「好きにしていいよ!」
タンっと軽い踏み切りで人の何倍の高さを飛び上がり建物を登るエルザに気の抜けた声が掛かる。
手柄に興味無いエルザはその声に適当に返しその小さな姿は建物の上へと消えてった――。
「な、なんなんだ」
一人、状況に付いていけなかった青年が呆けた表情で呟いた言葉がその場にポツリと響いた。
**
所変わってそこは王城の次に大きな建物の中。
罵声や笑い声の絶えない賑やかなここは冒険者ギルドの王都東支部――通称冒険者ギルド本部。
四階建ての建物は、一階から三階のフロアが開放感溢れる吹き抜け状となっており、一階を任務受注受付窓口並びに冒険者待機場所とし二階はレストラン及び冒険者専用宿泊所、三階は高位冒険者専用の待機所、四階をギルド長の執務室兼事務所としていた。
そんなギルド本部の中は様々な人種や種族、役職の者が絶えず行き交う。
動物の特徴を持つ獣人。屈強な肉体と力を誇る鬼人。森の守り人と呼ばれるエルフ。細工や光り物に目がないドワーフ。コボルトやワーウルフ、リザードマンなど他国では魔物、亜人とされ忌避される者達すらにこやかに仲間と笑い合い騒ぐ様子はこの王国の外から来た者にとっては目を疑うような光景だろう。
窓口の近くにはそれぞれランク分けされた依頼の掲示板があり、人混みは時間が経つにつれて大きく膨れていく。
昼前は近場の依頼ならば今から受ければ一日で片付くのが多い。
行動するにはベストな時間帯の為に依頼を受けようとする冒険者が掲示板に殺到していた。
本来ならば建物の大きさに見合うほどの広いフロアを有している本部だがそれでも数多の冒険者達に随分と狭く感じられる。
しかしそんな人混み溢れるフロアだが、本当の本部所属の冒険者はその中の半分にも満たないだろう。
登録にさえ他支部と比べると厳しい審査とランク付けにその実力は偽ることを許されない。
〝本部所属〟というある意味でブランド化している名称は冒険者達にとっては夢の頂なのである。
そんな冒険者ギルド本部には所属者以外の冒険者達が多く集まる。それは本部所属になれずとも本部で依頼を受けて本部所属になった気分になりたいと言うしょうもない理由であったり、本部には質の良い依頼(有名所の依頼や難易度が明確な依頼)や割の良い依頼(内容に対して報酬の良い依頼)もまた集まる為だったりと理由は様々であった。
そして依頼を受ける為の窓口はカウンターとなっており、1から4番まで番号が振られたそれぞれの窓口と反対側のカウンターには依頼を発注する為の窓口があった。
そこには王都の一般人や商人。それに加え騎士や役人、外国の人間さえも依頼の為に引っ切り無しに訪れる。
そんな人々が入れ代わり立ち代わり出入りの激しい出入口に彼はいた――。
唯でさえ冒険者としては年若く幼い風貌に加え、端正な顔を半分も覆う黒い眼帯。
異国風の薄く褐色した肌に金の瞳と輝く銀髪はとても目を引き、見慣れぬ者は彼に注目してしまう。
そんな人目を集める一人の少年は向けられる視線も意にも介さず手元の本に目を落とし、ただ一人の少女を待っていた。
「おーい!イリアス〜一人なら俺たちと依頼受けねぇか〜?」
「馬鹿野郎!イリアスはオレ達と行くんだよ!」
「んだとゴラァ!」
「イリアス、北の森のなんか情報持ってねぇ?」
「そーいやお前もどっか行くのか?」
ぼーっと待ちぼうけな少年――イリアスを見て次々と掛けられる声。
揃いも揃って強面で大柄な体格に武器や装備を身に纏って物々しい出で立ちの男達に囲まれたイリアスはやっと本から顔を上げ苦笑を浮かべた。
「残念ですがエルザ待ちなんで、依頼はまた今度で。北の森は今が活性期のピークなので用心した方が良いですよ」
困ったように眉を下げるイリアスに「なんだぁ」と肩を落とし残念な表情を浮かべる男達。
冒険者ギルド本部の中でも確かな実力者であるイリアスとの依頼は達成率がぐんっと上がり生還率も高い。
剣士としても、魔術師としても、一流の腕前は歳不相応ではあったが本部所属の冒険者達にとって年齢など問題ではなかった。
その実力が背中を任せるに値するか否か。その人間性も含め冒険者にとって重要な部分さえ基準を満たせば他の問題は取るに足らないものだと考えるのが殆どなのである。
そういった意味でも曲者揃いでもある本部の中ではイリアスは人間性、実力どちらも立派なもので、どんな者にも礼儀正しく誠実な人柄に共に依頼を受けようとする者が後を絶たない。
そんなイリアスだが同行という形で他の冒険者と一緒に依頼を受けてもパーティーを組むことは無かった。
イリアスのパートナーはただ一人。
現在進行形で待ち合わせしている一人の少女のみだった。
イリアスはがっかりした態度を隠さず退散する男達を眺めながらもカウンター上の時計に目を向け少しだけ眉を顰めた。
待ち人たる少女が時間に遅れるのも珍しい……。
何かあったのか?と不安を浮かべ情報を得ようと移動の為に一歩踏み出したその時。
「――イルごめん!遅れた!」
「エルザ」
三階の窓から飛び入り、吹き抜けのフロアに降り立つ一人の少女。
タンっと軽い着地音は上手に勢いを殺した証明。
一歩遅れて背中に着地する髪の毛を払い、エルザは待ち合わせの相手であるイリアスに土下座する勢いで謝る。
「ほんとにごめん!待ったよね?」
「いや、そんな待ってないから気にするな。怪我はないか?」
「うん、大丈夫!」
何かあったのは確か。
しかし深く追求する事なくイリアスは無事な様子のエルザに笑みを浮かべた。
そんな二人は注目の的だったが、その視線は部外者達が大半。本部所属の冒険者達にとっては日常茶飯事で、ある種の本部名物の二人に二階のレストランからは揶揄う声が掛かる。
「おいおい、見せつけてんじゃねーぞー」
「独り身には辛い光景だ……」
「やっと彼女の登場だな~イリアス」
「ガキの癖にイチャつくなよー」
「一度はやってみたい会話だよな……」
所々独り身男の嘆きが聞こえるが至っていつもの事だった。
「……そんなんだからいつも振られるんだよ」
ボソリ、エルザが黒い顔して呟く。
目ぼしい依頼も無く暇を持て余し、真昼間から酒を飲む男達にはグサリと来る言葉だった。
「お、まえ……それは言わない約束だろ…」
「この気持ちお前には分かるまい…」
「この前振られてなければ今頃オレだって…」
「心に刺さるわー」
「……」
幼い少女の発言にずーんとお通夜ばりに暗くなるテーブル。しまいにはしくしくと何やら泣く声すら聞こえてきた。
「あまり言ってやるな」
「だって〜」
毎度毎度飽きもせず揶揄う面々にいい加減うんざりもする。
そんな情けない男達だがれっきとした本部所属の冒険者であり、その実力はその辺の冒険者より遥かに強い。しかし如何せん歴戦の猛者である見た目。
筋骨隆々な身体に腕や顔にすら及ぶ傷跡。女子供に怯えられるその風貌に幾ら告白しても、ナンパにチャレンジしても戦闘ならば兎も角、そういった戦いでは全戦連敗中だった。
年齢=彼女無し歴の男達の嘆きは酒の力もあり止まることは無い。
「俺達だって……俺達だってなぁ!」
「男は顔じゃねぇんだよ!そうだろ!?」
「そうだ!男は心だ!ハートなんだよ!」
「顔が良くたって心が屑なら意味ねぇだろ!!」
「酒だ!酒をくれぇー!」
「エルザ……」
「ごめーん」
嘆きを叫びつつ酒を催促する男達にフロアからは白い目が向けられていた。
じとっと責める目にエルザが舌を出して謝罪の言葉を口にするが反省していない事が丸わかりだった。
ここで二人を巻き込んで愚痴らない所が男達の良い所だが余りの嘆きに同情したレストランの給仕役がそっと幾つかのおつまみを置いていく。
そんな叫びを背にエルザとイリアスは苦笑しつつも一つの窓口へと向かった。
正確には一番端の窓口。番号も振られていないカウンターだがそこには一人の老人が居眠りをしていた。
しかもご丁寧に枕持参の上、アイマスクと耳栓までしている完全に寝る態勢で。居眠りというよりは確実に寝る意思しか感じられないが……。
しかし本部の職員は注意する訳でもなく放置状態。
時折外部の人間が驚いたようにぎょっとした表情を向けていたが、当の本人はそんな騒ぎすら気付かぬ様子で惰眠を貪っていた。