第1話
風が荒ぶる、地が荒ぶる。
それは精霊達の慟哭。己の守護者が、親が、友が死にゆく悲しみに悲嘆にくれる声――
『嗚呼――泣くな愛し子よ。我の継承者よ』
厳かに紡がれる言葉は掠れ、いつもの力強い響きなど無かった。
『後悔など無い。恨みなど無い。――お前を守れた。それだけが我の幸福だ』
生きろ。幸せに生きろと繰り返した言葉を最後に彼は永い、永い生を終えた。
世界が震える。大地が、空が、海が、偉大なる世界の守り神の一柱の眠りに震える。
『うん、約束するよ――父さん』
色を無くした瞳を見て、そして己の左目に宿る父と呼んだ相手と同じ瞳を宿して、頬を涙が伝う。
――その日、ある大陸から一つの国が無くなった。
国があった場所には荒れ果てた大地が広がり、動物も植物も棲まえぬ不毛の大地へと化した。
それは世界が愛したある者を害した代償。薄汚い欲望と身勝手な渇望に触れてはならぬ禁忌を犯した罰だった。
国が無くなったと同時に失われたのは世界を支える偉大なる生き物。神とさえ呼ばれるその生き物には最愛の大切な小さな命があった。
それを守るために世界の決まりを破った生き物に襲う刃は幾数多の犠牲を拾いつつも届いた。届いてしまった……。
世界を守っていた加護の一つが消える。
だが、様々なモノが失われたと同時に生まれる英雄と継承者の誕生。
しかし、その詳しい詳細は全てが隠された。
世界各国の元首は箝口令を敷き、全ての判断を一つの国に任せた。
建国以来無敗を誇り、偉大なる生き物――竜すらも屠ることの出来る実力者を有した国に。
『弱きを助け、悪を挫く。守るために力を欲し、手を差し伸べるために強さを望む』
そう宣言した一人の男によって建国された国は過去、現在、未来。全てに置いて中立と世界の調停を担っていた。
規模こそはどこにでもある中小国家だが、決して妥協する事の無いその強さと決して揺るぐ事の無いその志しに畏怖と尊敬を込めてかの国はこう呼ばれていた―― 【騎士の国】と。
**
それはとても穏やかな時間――……
『どうしたのかしら?ふふっ甘えたくなったの?』
よたよたと動きづらい手足を駆使して近付いた女性のお腹に耳を澄ませる。
さらりと撫でられる自分の髪を意識しながらもオレの目は今だ何の兆しも表さない平らの腹部から離れることはなかった。
胸は打ち震え、歓喜に唇は弧を描く。
『どうしたの?』
『――待ってる』
『え?』
『待ってる――だがら、ゆっくり産まれておいで……オレの半身』
トクんトクんと重なり合うオレ達の心音。
こぽりこぽり、水音に混ざって聞こえるその音はオレの声に応えるかのようだった。
待ってるよ――――
**
それから時は流れ――5年後。
朝、季節は春を過ぎ夏に差し掛かろうとしていた。
穏やかな日差しも段々と強く、肌を焼き焦がそうと熱くなっていくとある日。
ガヤガヤと聞こえる音は表通りの人混みの声。
朝早くから動き出すのもこの周辺の特徴。夜も明け切らぬ内からその職種問わず店は開き客引きを始める。
「エルザーそろそろ起きなさーい」
「うぅん、っはーい!」
もぞりもぞりと布団の中で微睡んでいた小さな塊は階下の声により勢い良く起きた。
小さな机に様々な本が並ぶ本棚、そして窓側に置かれたベットから文字通り飛び起きてくるんと空中を一回転した後、無事に着地を決める小さな姿。
少しばかり強くなった朝日の光に照らされキラキラと輝く赤茶の髪。蒼天の瞳は寝起きだというのにぱっちりと開き完全に目が覚めていることを表していた。
エルザと呼びかけられた少女は寝巻き代わりにしているシンプルなワンピースを大胆に脱ぐと机の側、椅子に掛ける形で用意していた服に手早く着替える。
まだ膨らみなど無い胸に手を当てながら念じるのは将来の姿。誰にも言えぬ事だが、幼いながらも気にしているらしく「うーん」と唸りながらも大きくなれと唱える。
身体を鍛えると胸が小さくなると昨日店の常連客の一人に言われたのを内心凄く気にしていたのだ。
身体を鍛えるのは環境故に致し方ないが、それでも好かれたい人がいるのも手伝い子供ながらに将来を心配していた。
数分程念じた後に最初に身につけるのは下着類。下は元々きちんと履いているが、上は日によって変えていた。
今日は朝から外に出る用事があるため動きやすい服を選んでいた。
肩紐が無いタイプの下着とそれに重ねて着るのは薄く頑丈な鎖帷子。鎖帷子と言っても子供が着ても大丈夫な程軽い特殊な素材で作られている特注品である。
その上に白い襟付きシャツ。黒い革のベスト。下ははしたないと思う人も居るが動きやすさ重視の為に太ももまで見えるほどの丈の短いこれまた黒いショートパンツ。
靴下を履いて足は無骨な焦げ茶色のブーツ。
身支度を整えた彼女は今度は机の上に広げていた物を身につける。
ブーツの内側に数本の針のような投擲用ナイフ。胸元のポケットにはそれぞれ色の違う薬品瓶。腰回りには剥ぎ取り用のナイフと、所謂暗器と呼ばれる物を隠れた場所に収めていく。
そして軽く飛び跳ね、動きに問題ないことを確認すると事前に用意していたバックなどの荷物を持って部屋を出る。ちなみに着替えるまでの所要時間は五分にも満たなかった。
彼女の名は【エルザ・ランディス】
まだ若干5歳という若さながらも大人顔負けの実力を持つ冒険者だった。
彼女は英雄と呼ばれる両親の間に産まれ、戦いの才能を開花させた生粋の戦士である。
エルザは機嫌が良いのか少しばかり鼻歌も歌いながら二階の部屋から一階の食堂へと降りていく。
家は食堂兼宿屋をしており冒険者、特に高位ランクの冒険者御用達の店だった。そこの自他共に認める看板娘の登場に食堂で既に食事をしていた男たちは口々に声を掛けていく。
「おっす!エルザ今日は機嫌良いなぁ」
「何かいいことでもあんのか?」
「よぉ!エルザ今日はお前飯作んねぇのか?」
「エルザの飯楽しみにしてたんだぜ?」
ぴょこぴょこっと歩くたびに跳ねる括った赤茶の髪。一つ跳ねるごとに軽快なステップを踏むエルザは誰が見ても分かる程上機嫌だった。
「おはよう!今日はイルと森に行くんだ〜それと今日はお休みの日だから父さん特製の日替わり定食だよ!」
声を掛けてくる男たちはその職業の所為か強面の大柄な姿が多かった。それに加えて傷跡だらけで正直女子供には怯えられること間違いなしの凶悪な顔立ちばかりだがエルザにとっては産まれた時からずっと守り、支えてくれる良き大人たちである。
例え喋りながら皿やカトラリーを目にも止まらぬ速さで投げ付けて挨拶代わりの投擲をしてこようとも、父であり、兄であり、友人である。
ヒュンヒュンとお皿が宙を舞う。それを危なげ無くなんなくキャッチすると手元で重ねていくエルザ。
絶妙なバランスで自分の背より高く積み上げられたお皿たちを持って向かう先は食堂の奥、調理場である。
「おはよう!」
「おはようエルザ」
「おはよう、朝飯なら出来てるからちゃんと食べてけよ」
ガチャンと音を立てて流しに食器を置けば調理場の中でも奥で仕込みに精を出す二人の男女がエルザを振り向いた。
呆れたように苦笑しながらエルザに振り向く金髪に赤い瞳の女性。
鍋を振りつつエルザに笑いかける茶髪に青い瞳の男性。
彼らはエルザの両親は世界を救った英雄としてその名が知られていた。
父親は竜殺しと呼ばれる剣聖【ジェド・ランディス】
母親は炎帝と呼ばれる魔術師【エリシア・ランディス】
その間に産まれたエルザは父親の血が濃かったのか前衛職としての才を開花させていた。
それを面白半分に鍛える常連客。たまにたちの悪い悪戯もされるがエルザにとっては全員が師匠とさえ呼べる存在だ。お陰でその実力は小さいながらも冒険者としても上位に位置する。
エルザは母親のエリシアがご飯の用意をしてくれるとの言葉に大人しくカウンターの席に付いた。
「イリアスはまだ来てないわよ?」
「うん!今日はイルと外で待ち合わせなの!お土産は何が良い?」
目の前に並んでいく料理の数々に目を輝かせながら母親の言葉に頷く。
今日の朝ごはんはエルザの好物で構成されていた。
朝の採れたて葉物野菜のサラダにドルーガと呼ばれる鳥の魔物でありながら高級食材の肉で作ったサンドイッチ。
スープは何回も丁寧にこした滑らかな喉越しのコーンのポタージュ。
その運動量からか大の大人よりも食べるためにその量は通常の倍である。
食事前のお祈りを簡単に済ませ早速食事に手を付ける娘にエリシアは仕方無さそうに苦笑を浮かべた。
待ち合わせの時間も迫っているのだろう。次々と平らげるエルザの食べっぷりは見ていて気持ち良い位だが親としてはもう少しゆっくりと食べて欲しい所だった。
「今日は森に行くんですって?」
「うん、北の森の奥の冬月草を採りに行くの。後は依頼を見て決めようってイルと相談してるんだ」
お腹いっぱい〜といつの間にか全てを平らげ息を吐くエルザにエリシアは意外だと表情を隠しもしなかった。
「珍しいわねぇ、イリアスならもっと予定を立てると思っていたけど」
「う、あーその私がお願いしたの……」
ごちそうさまと告げるエルザにお粗末さまと返す。
ものの数分で片付いた朝食。
そして僅かに頬を赤らめ照れた様子の娘にエリシアは微笑みを浮かべた。
「デート?」
「うっ、い、いいじゃん。いつも依頼ばかりでのんびりしたいと思ったの!」
う〜と唸り声を上げるが、その表情は拗ねたものであり、可愛らしいという一言に尽きる。
幼いながらも一丁前に想い人と過ごす日を考える娘は微笑ましく、そしてその仲がとても良いことを知っているエリシアは娘とその恋人であるイルと呼ばれる少年の今日を思い破顔した。
「イリアスは喜ぶんじゃない?」
「そうだといいけど」
今日は街中のバザールが月に一度開催される日。その事を入念に下調べしていた娘を見ていた為、エリシアは「大丈夫」と太鼓判を押す。
「〝アレ〟一生懸命探してたものねぇ」
「ぐっ、お母さんイルに言ってないよね?」
「あら、そんな無粋な真似はしないわよ」
クスクスと笑えば不貞腐れる娘。
その頭を撫でながらそっと背を押す。
「大丈夫、イリアスならば喜んでくれるわ。なんたってエルザがくれるものですもの」
「うん……」
母親に勇気付けられエルザは頷き口端を上げた。
「あ!そろそろ時間だから行ってくる!」
「いってらっしゃい」
荷物を片手に店から出て行く娘を見送りエリシアは手を振った。
それに合わせて店内の客も同じ言葉をエルザへと掛ける――。
パタンと閉まる扉。
外は快晴。
風も穏やかで、活気溢れる街をエルザは駆ける――
ここは、周辺諸国より騎士の国と呼ばれる〈ゼルギア王国〉の王都。
又の名を〈冒険者の王国〉そして始まりの町。
世界各国に支部を置く冒険者相互介助組織《冒険者ギルド》を設立、発足させた始まりの国である。
元々、国の始まりは小さな組織だった。
戦争が絶えぬ時代。人類の脅威である魔獣、魔物を駆逐し、摩訶不思議な迷宮と呼ばれる魔宮を踏破すること、未踏破の地を歩むこと、人の助けになることを目的とした一つの組織があった。
それらは1人の男をリーダーとし、依頼という名のSOSを受け、様々な偉業を成し遂げた。
その組織は最も過激な土地。魔物や魔獣の住処を隣とし、国同士の戦線の最前線でもあった小さな土地を拠点とし活動をしていた。
やがて同志が集まり、組織は大きくなっていく。
拠点は村と成り、町と成り、そして組織が治める地はやがては国へと成った。
弱い者を、逃げて来た者を、受け入れ助け合い大きくなっていった組織はいつしか戦争を平定させるほどの力を持ち、周辺国からも恐れられ、一目置かれるようになる。
組織は名を改め国を興す。
しかしながらリーダーは国王として一国を背負う事になってもその心は変わること無く、弱き者を守り、助けを望む者には手を差し伸べ続ける。
そして自国他国関係無く、貴賎を問わず、多くの者を助け、守り、導いた。
やがては国とは別に残していた始まりの組織は他国にも受け入れられ《冒険者ギルド》という名と共に《冒険者》という役職をも世界中に受け入れられていく。
ここはその冒険者ギルドの総本山である――。