九話 対女性
感覚的に、二分は経過していた。
矢継ぎ早に繰り出される拳は速い、けれど――拙い。
拳は細く。初めは折れそうなイメージだった。今は払拭されている。……軽さは、否めないけれど。
ベラと呼ばれるこの女性は、俺を憎んでいるようだ。遠慮なしに二分間、攻撃を繰り出し続けている。
尽く、当たり(ヒット)はしていないけれど。
拙く、技とは呼べない攻撃を防ぐのは簡単だ。
初動。身体の起こりが素直すぎて、行動が読めてしまう。
軌道は愚直で変化せず、目標に到達する前に逸らせる。
尚悪いのは、怒りを抑えようともしないこと。
視線がどこをどう狙うかを、完全に教えてくれる。
「……速さだけじゃなぁ」
悪い癖だ。余裕があると、つい独り言を口に出してしまう。
余裕すぎて、観客の話し声まで聞いてしまう。
観客がいる、という状況は馴染めない。今のうちに慣れるべきだろう。そう考え、聞き耳を立て続けた。
「どうなってるのか速すぎて分からないです。……ベラさんが勝ってるんですよね?」
「逆じゃよ。ここまでとは思わんかったわい」
ベラも話を聞いていたのか、それとも俺の態度がいけなかったのか。怒りを強め、襲ってきた。
「ああぁぁぁ!」
叫びながらの連打。
「おっ」
さすがに間に合わず、十発に一発はもらってしまう。
もらったところで、どうということはない。
当たってからでも、十分に逸らせる。
ベラの攻撃が軽いからこそ、ノーダメージで出来ることだ。体重差が大いに影響を及ぼしていた。
特に顔面は楽だ。拳と同じ方向に顔を逸らせばいいだけなのだ。胴体だと身体ごと逸らさなければいけないため、次の回避に影響が出てしまう。
極力小さな動きで回避に専念し続けさらに一分、合計で三分は経過した。
ベラが飛び退き、距離を空けた。後ろに四メートルは跳躍していた。
ベラの恐ろしさだ。長い手足で簡単に距離を空けてしまう。
こちらが攻め手になったなら苦労しそうだ。
「貴様! やる気は有るのか!」
距離を空けたからこそ出来る、肩を上下させながらの怒声だった。
「あるよ。じゃなきゃこんな試合断るだろ」
俺の返答に不愉快極まるといわんばかりに、歯噛みをしていた。削れていく歯の音がここまで届きそうなくらいに。
「ならば何故手を出さない!?」
人を指さしながら、血走った目での詰問。
答えなければいけないのだろうか。
観客も俺の答えを待っているようなので。
軽く息を吐き出し、答えた。
「……女性に暴力は振るいたくない」
言いたくなかった。だって言ってしまったら、火に油を注ぐことになると分かっていたから。
「嘗めるなぁ!!」
案の定、ベラは呼吸も整わないうちに突撃してきた。
展開は変わらず、攻防も同じ。
ベラが繰り出す速いだけの拳。俺は繰り出された拳を、防ぎ、逸らし、躱し、受け流す。
受け流す際は腕の回転も乗せ、相手の攻撃に力を加えてやる。加えられた分、ベラは疲れを増していく。
当たらないということは当てた時の倍、疲弊する。
相手を倒すための力を自分で処理しなければいけないから。
そのうえ置き土産まで残されては疲れないわけがない。
ベラの表情も息苦しさが顕著に見てとれた。
狙いはこれだ。殴れないからこそ疲れるのを待っていた。
ベラに負けを宣言させればいい。
これが傷付けず倒すための最良の方法だ。
ベラの疲労は持ってあと数分だろうと、たかをくくっていた。
――誤算だった。
再度、華麗な跳躍でベラは退いた。
呪文を唱えつつ、青白い光に包まれながら。
「回復魔法!」
驚き声を出していた。
忘れていた。傷を癒せるのなら疲れだって治せないわけない。
ベラの身体の中へと、青白い光は消えていった。
光が消えた途端肩で息をし汗だくになっていたベラは、余裕ぶった表情で俺を睨み付けてきた。
不味い。
ベラの呼吸は整い汗も引いていく。
作戦は失敗だ。このままではいずれ、俺が先に疲れてしまう。
嫌味の一つくらい言いたくなり。
「魔法ってのは便利だな。疲れるのを待つ作戦だったのによぉ」
俺とは対照的に、口元をにやけさせ白い歯は見せながら。
「戦う気になったか?」
と、嬉しそうにベラは言う。
「口先ではどんなことを言おうと、やはり人族は人族というわけだ。違う世界から来ようとも、貴様も下賤な人間に変わりない。貴様ららしく、力で私を屈服させればいい」
「ベラっていったよな。お前人間に何かされたのか?」
「気安く名を呼ぶな!!」
ヒステリーとはこういうものなのだろうか。ただ、丁度いいといえば丁度いい。非暴力作戦その二には打ってつけだ。
ベラは跳躍し、一歩で目の前に来た。
拳を警戒していたが、動いたのは脚。
身体の中央を目掛け、下から蹴りあげてくる。
急所。
「うん。狙いは悪くない」
ベラの足の爪先は、股間手前で止められた。
蹴り上げるという行為は、力が弱い。
だから、太股に手を添える程度で上げられなくなる。
目の前でベラの戸惑う声が上がる。金的は常に警戒していた。
よほど自信があったのか隙だらけなので、作戦に移行した。
戸惑うベラの右手を同じく右手で掴み、掴んだまま身体ごと廻る。
掴んだ位置をずらさないように両手を上手く使い、自らの身体をくねらせ廻った。
すると、相手の腕が捻れ痛みから背中を向け、勝手に関節技に移行する。
ベラの手は、掴まれたまま自身の背中で捕らえられていた。
素人にしか効かないが、ベラには十分だった。たしかプロレスでいうところの、チキンウイングという関節技だ。
これでは片手しか封じていない。すかさず、余った手で余った手を捕まえる。
「離せ!」
暴れるので、背中に回されたベラの手を上に押しやる。
痛みから身体が強張り、制御が楽になる。
「勝負ありだろ?」
髪の匂いがはっきり嗅げる距離で囁く。
「愚か者だな」
打つ手はない、はずだった。
「霊よ」
ベラの口から青白い光が発せられる。
魔法の対処はどうも慣れない。また忘れていた。
左手を離し、お互いの左手は自由になる。
嫌がられるから遠慮していた方法。
密着して、口を左手で押さえ込んだ。
婦女暴行現場みたいで、自分でも嫌気がさした。
これだけ密着すれば自由になった左で、肘打ちを喰らう覚悟はしていた。あれは結構痛いんだ。などと下らないことを思っていた。
ベラの行動は予想外だった。
口を押さえ込んだ瞬間、ベラは震えだした。
「ベラ?」
質問は空しく、痛みを無視しベラは暴れだした。
「やめろっ! ベラ!」
考えなしの暴れ方だった。関節を極めている肩が最悪折れてしまうくらいに。
怪我をさせるわけにもいかず、仕方なく関節技を解いた。
一メートルほど後ろへ跳び、反撃を警戒し構える。
「あっ?」
構えを解き、近寄っていく。暴れだした場所でしゃがみこんでいるベラへと。
両手で胸を隠し、脚を固く閉ざし動こうとしなかった。
躊躇いながらも、手を伸ばした。
「ベラ、どうした?」
「いや! こないで!」
「ベラ?」
そこに居たのはベラとは思えなかった。
怯えた少女。俺にはそうとしか思えなかった。
俺と目線が合った途端、ベラは四つん這いで逃げ出した。
「アルテ。どういうことだ」
戦いを見ていたアルテへと向き直り、質問する。
「……少し、試合を中断しても良いか?」
夕日は沈み、辺りはすでに静寂に包まれていた。