八話 六ヶ月
檻の中だというのに充実した日々を送らせてもらった。
食事は質素だが旨く、日本人の舌に馴染む味だった。
寝床の藁も適度に交換され清潔だし。中のスペースも俺にとっては満足できていた。
腕立て、腹筋、スクワットと。鍛えるのに不自由しない広さ。さらに岩肌なのが良い。殴る蹴ると暴力を加えても壊れない。そのうえ壁から天井へとロッククライミングをすれば、懸垂や懸垂からの逆腕立てといった、新しいトレーニングメニューも開発できた。
美味い食事に最適な運動が出来るという、文句のない生活だった。
この生活お蔭で、三十歳迎えたというのに全盛期を越した気がする。
百八十日もあれば、人間色々できるもんだと実感した。
重要課題である言語問題もクリアした。
フィオの通訳と教え上手なアルテのもとで言語を教わり、今では会話に不自由しない。
勉強といえば苦痛なイメージだが、三人のお蔭で楽しかった。
三人とはアルテとフィオレはもちろん。ルナも含む。
あの娘は容赦しないんだ。俺を嫌っているのか、言いたいことはずけずけ言う。筋トレしてれば「バカですか」。汗だくになれば「臭いです」と。言葉を理解したあとでも言ってきた。
まったく。愉快なことだ。
どんなに悪態をつこうと、ルナは俺の世話という仕事をこなす。食事だってルナが作ってくれていた。
すごいと思った。
嫌いな相手に施しをする。十歳そこらのお嬢ちゃんがだ。将来はさぞ立派になるだろう。
ただ、ルナに対してはどうしても拭いきれない不安がある。
ルナの眼。
あの娘の眼は施設の子と似ていた。希望を持たない人間と同じ、虚ろな瞳をしていた。
理由が理由だから、そうなるのも仕方ない。
「……殺された。か……」
ルナとフィオの両親は人間に殺された。
言語と一緒に様々なことを知った。この村のある程度の情勢から世界の重要要素まで。
重要なことは三つ。魔法と共通言語と、誓約だ。
魔法はファンタジーの定番通り、呪文を唱えることで発動される。
呪文の省略や無詠唱は無い。正確には省略は出来るが、現在より短くは出来ないようで止まっているらしい。
ちなみに俺は使えない。牢屋生活中、排泄したものを処理するのはアルテの魔法だった。
聞いてるうちに呪文を覚え、試しに唱えたが何も起きなかった。
アルテに確認して基礎中の基礎を教えてもらっても、魔法は使えなかった。
異世界人だからだろうか? 別に使えれば便利なだけだから、無くても困りはしない。
次に共通言語。少数種族以外は一つの言語が知れ渡っているらしい。大陸で生活している主だった種族なら通じないことはない。
これはありがたい。地球でいえば英語が喋れるようなものだ。しかも文法が日本語と同じで助かった。英語みたいに「私は食べる。林檎を」だったら、俺は投げ出していたと思う。
最後に最も重要な要素、誓約だ。
謎の強制力、としか言いようがない。魔法と関わっていそうだが何ともいえない。
説明するよりと早いと、アルテがフィオを使って教えてくれた。
「せいやくする」
とフィオが公言し。
「おにいちゃんのたべものをきょうはもらいません」と言った。
おにぎりのてっぺんを食べさせようとすると、フィオは口を開けなかった。
接着剤で口をくっつけられたみたいだ。おにぎりにキスするだけで、鼻の下を伸ばしたり顎動かしたりしても、口は開かなかった。
本人はかなり食べたがっていたのにだ。
翌日は遠慮なく食べられたけど。
三つの共通点は言葉。言霊といったほうがしっくりくる。
魔法が世界の中心だからなのだろうか。
俺が考えても分かるはずがない。
魔法世界であろうと、どこの世界も変わらないこともある。
種族問題。差別。そして戦争だ。
地球に比べれば種族問題は根深いが、俺からすれば些細なことだ。
翼があろうと、耳が長かろうと、同じ人間だ。
種族問題も差別も俺には理解できないことだ。
言葉も覚え、世界を知った。楽しかった牢屋生活も今日で終わり。
いつでも牢屋からは出れたけど、裏切るわけにはいかなかった。
正直に言えば、まだ牢屋に居たっていいくらいだ。
そうも言っていられない。外には出たい。出て役に立ちたいから。
本当に良くしてもらったんだ。いつまでも世話をされるわけにはいかない。
俺は古い男だから、恩は必ず返す。
「おにーちゃん。おにーちゃん」
「おー。フィオどうした」
考えごとをしている間に、フィオは檻の前に来ていた。
「あしたからなにしてくれるの?」
「アルテ次第だな。頼みごとがあるとか言ってたよな」
「そうなの? あのねあたしね。おにいちゃんとそとにでたら、いきたいとこいっぱいあるの」
「へー。どんなとこ?」
「ひみつ」
フィオにはいつも救われる。フィオがいなければ、言葉を覚えられないストレスでやられてたかも知れない。
「すぐには行けないと思うけど、絶対行こうな」
「うん! あ、それと。じっちゃんがよんでるよ」
「もう出ていいのか?」
「つれてこいっていわれた」
鍵の掛かっていない牢を出る。唯一の問題は、時間の感覚が狂っていたこと。
蝋燭の灯りだけで生活していた報い。上から差し込む赤い光に目が眩む。
「おにいちゃんこっち」
梯子に近い階段を、フィオはヒョイヒョイ上っていく。そんなフィオを追い、眩しさを堪え後ろについていき外に出た。
西日が室内を照らし、赤く見せている。
ここは鍬やでかいフォークのような農具らしき物が置いてある、小屋だった。
……既視感。
なんとなく分かってはいた。
「こっち、こっち」
フィオに導かれるまま小屋の外へと足を運ぶ。想像通りの世界へ。
「だよなぁ」
待っていたのは藁で出来た屋根と、紙と木材と土だけで建てたような家。
昔懐かしの日本建築。武家屋敷だった。
若干違いはあるがそっくりだ。
窓は特に違う。無論硝子ではない。
藁葺き屋根の中央にへこみがあり、そこに板戸の窓がある。外へ向かって押し上げ、竹の棒で支えている。
窓は出入りもできそうなくらい、大きめだ。
村長の家だからか敷地はかなり広い。畑が普通にいくつもある。広さは一平方キロメートルといったところか。
南には石と木で出来た門があり、門の奥は林で防風林みたいだ。 意図的に植えられたような防風林は、そのまま敷地を囲って生えていた。
武家屋敷は敷地の奥、さらに奥は森。たぶん、この世界に来た時に見えた森だ。
「杉。だよなぁ」
「スギ?」
日本語で喋ってしまい、フィオが首を傾げていた。
密林みたいだと思ったが、針葉樹と半々だな。
つまり熱帯地域ではないわけだ。
「遅いのぉ」
「そりゃあ遅れもするさ」
待ちくたびれたのか、屋敷の方からアルテがやってきた。
「そんなに珍しいかね」
「逆だよ。似すぎなんだ。例の日本にな」
少しだけ驚いた表情を露にして、アルテは髭を触りだす。
「考えても仕方ないだろう? 偶然の一致ってことでいい。行こうぜ」
「むぅ」
納得いかないような唸り声をあげるアルテを連れて、屋敷に進んだ。
「で、頼みごとってなんだ」
道すがら尋ねてみる。
「ふむ。その前に一つ試してもよいか?」
「試す?」
「そう。試したい。お主がどれほど強いのかを」
「強いかって。言われても……。別に」
「謙遜するな。その身体検めさせてもらったが、尋常ではない。全身におよぶ傷。擦り傷、切り傷、刺し傷と、近接戦闘でできた傷ばかり。戦に出たとてそうはならんよ」
俺を助けたのは無料ではなかったというわけだ。善意の人助けにしては無理があるとは思っていた。
けどまぁ。裏があるほうがよっぽど安心できる。
助けてもらった事実に変わりはないし。
「それで。何が望みなんだ」
「話が早くて助かる。とある人物があの家で待っておる。まずはその人物に勝利してもらいたい」
「どんな奴だ?」
「それは行ってのお楽しみ。というやつじゃな」
檻の中で世話をしてくれたアルテしか知らなかったが、実際はなかなかに喰えない人物だった。
「了解。……禁じ手とかあるのか?」
「そうさなぁ。殺人は御法度じゃ。武器も禁止にしよう。魔法はどうする?」
「今後のことを考えれば有りでいい。そういうことだろ?」
「ははっ。敵わんのぉ」
役に立ちたいと思っていたことだし、願ったり叶ったりだ。
ようは用心棒になれ。ということだ。
「おにいちゃん」
「どうしたフィオ?」
不安そうな表情で見上げてきた。
「けが。させないでね」
「させないで? しないで。じゃなくてか?」
「うん」
「……努力する」
どんな相手なのか。考える必要はすぐに無くなった。
屋敷に近づくにつれ、夕日に照らされた二つの人影が物語っている。
人影の一つはルナ。対戦相手であろう人物と親しげに談話していた。
遠目からでは細身の男だと思ったが、そうではない。
人影は女性だ。
全身を革製の衣服で包み込んだスレンダーな女性。身長は高く、百七十センチは越している。顔立ちは整い、白く長い髪と小麦色の肌が相まって、間違いなく美人だ。
ダークエルフとかの分類だが、そんなもの肌色が違うだけ。
耳長はエルフだ。
美人なのだが、俺の姿を見つけた瞬間鋭い目付きへと変わった。
「ずいぶんと待たせるのだな」
開口一番、悪態をつかれた。
待たせた程度で溜まった怒りではなさそうだ。
「悪い悪い。色々と見たいものがあってな」
「無人どもは呑気でいいな。私は閑ではなくてな。早く終わらせよう」
無人?
「無人ってなんだ」
「何も無い人間。貴様ら人族のことだ!」
喋り終わる前に、彼女は動いた。
彼女と俺との距離は十五メートルは有った。
十五メートルを三歩で詰められ、襲われた。
顔面を狙う拳。
狙われても微動だにせず、彼女の瞳から視線は外さない。
「……止めなくてよかったんだぞ」
細く綺麗な指でできた拳は、小指を上にして鼻の先で止められていた。
「まだ始まってないからな」
「律儀なこった」
後ろでよろめくフィオ。
突然のことに驚いたのか倒れかかっていた。
同時に駆け出し、俺と彼女はフィオを支えていた。
「二人とも準備は万全のようじゃな」
「はい」
フィオから手を離し、彼女はアルテに向き直った。
俺はフィオを抱き抱え、ルナに渡しに行った。
「ありがとうございます。あの、ベラさんは凄い人です。逃げたっていいんですよ」
「心配してくれてるのか?」
「ちっ、違います!」
それきり黙ってしまったルナに背を向けて、ひらひらと手を振りアルテのもとへ。
道中話した通りの規則をアルテが、彼女ことベラに話していた。
ベラは承諾し、最終確認が行われる。
「二人とも、誓約を」
声高く、殺人と武器の使用を非とする、と誓約し。
試合は始まってしまった。