七話 信頼
朝起きたら大変なことになっていた。
昨晩は眠るのがただでさえ遅かったのに、おじい様がお粥を食べたがりさらに遅くなった。
おじい様に料理を作るのは良い。遅くなった分、眠らせてもらえたから嬉しいくらいだ。起きるとすでに太陽は高くて、お昼に近い。さすがに眠りすぎたかもしれない。
いつも隣で気持ち良さそうに眠るフィオを、今日は見れなかった。お昼時なら仕方ない
着替えて下に降り、居間の襖を開けると、ベラさんとおじい様が気まずそうにしていた。
珍しいと思う。ベラさんがおじい様を避けていた。同じ部屋にいて、視線を合わせないように掃除をしている。
私に気づいたベラさんは掃除を中断し、近寄ってきてくれた。
「おはようございますベラさん。なにかあったんですか」
まずはベラさんに小声で聞いてみた。挨拶を返され、おじい様へと誘導される。
「そのことはアルテ様からお聞き下さい。大事なお話しですので。ですがご意見はきちんと言って差し上げて下さい」
「は、はい」
居間でお茶をすするおじい様のもとへ行き、座卓のすぐ近く、おじい様の斜めに座った。
なんとなく、正座で。
「おはようございますおじい様」
「おはようルナ。早速じゃが、あの御仁をしばらく世話することにした」
「えっ」
突然のことに全身が硬直してしまう。
「すまんな。ベラはあの通りじゃから、可能ならルナにも手伝ってもらいたい」
「私嫌です。反対です。あの人は危険なんです」
「ん? どういうことかな」
仮にも恩人だから言わないようにはしていた。でも、一緒に過ごすとなると話は別だ。
「私を助けるためとはいえあの人は、同種を食べたんです」
おじい様は少しだけ驚き、事実かどうか確認する。
「ベラよ、どうじゃった。喰われていたか?」
私の後ろに佇んでいたベラさんに、おじい様は訊いた。
「確かに首を噛んだ跡はありました。噛まれたことが致命傷になり死んだようでした。噛み千切った肉片も見つけ一緒に土へと還しましたので、あの男は噛み千切っただけで食べてはおりません」
昨晩、ベラさんがどこへ行ったのかが分かった。
たんたんと感情を交えず、昨日のあの出来事を報告していた。思い出してしまい、私は朝ごはんを食べられそうもない。
「食べていないにしても、危ないことに変わりありません。フィオになにかあったらどうするんですか」
「杞憂じゃな。フィオレに関しては最も問題ない。あの御仁は、誰よりもフィオレを大事にしておる」
「どうして言い切れるんですか?」
言ったあとに気づいてしまった。フィオはどこにいるのかと。
「ふむ。では行こうか」
フィオを捜す私を見て、おじい様は少し、はにかんでいた。
どこへ? なんて訊かなかった。行き先はどうせ地下なのだから。
家を出て蔵へと向かう。移動中はなにも話さないでいた。
ベラさんの気持ちがよく分かる。いくらおじい様の考えでも納得できない。なぜこんなことになっているのか。
「ルナよ」
「なんですか」
「ワシが許せんか?」
まっすぐな質問に、私は嘘をついた。
「いえ。その、私はフィオが無事なら構いません」
おじい様は何も答えなかった。
蔵に着くと扉は開いていた。閉める気がないくらい、開ききっていた。
蔵の奥。地下へと降りるための隠し蓋をおじい様が外す。外した途端、地下ならではの冷たい空気が流れてきた。
おじい様を先頭に、地下への階段を降りる。
灯火は蝋燭だけの暗く冷たい空間。そこにフィオはいた。
牢の奥で、あの人と一緒に。
壁にもたれ眠るあの人、その膝の上を使いきり、全身を乗せて眠っていた。
私はフィオを呼んだ。フィオを呼ぶ私を見てあの人は睨んできた。睨んだまま一本、人指し指を立てて口に当てた。
何を言いたいのか分かってしまった。
彼の指示に従うのでは、決してない。おじい様の言い分が少し理解できただけだ。
フィオの安心した寝顔。フィオの寝顔を眺め、幸せそうな彼の笑顔に、ちょっとだけ様子を見ることにした。
けれど二人のように信じたりはしない。私はこの人をそこまで信頼はできない。
この人族は一体なんなのか、まるで分からないのだから。
隣でおじい様が二回檻を叩いた。おそらく彼への合図だろう。音を聞いて彼は、優しくフィオのお腹を揺すりだした。
寝起きの悪いフィオは彼の手を叩いた。
心臓に悪い。そんなことをしたらフィオも食べられてしまう。
そう思った。
現実は真逆だ。叩かれても彼は優しくフィオを揺するだけ。揺すられ続け目を覚ましたフィオは、起こした元凶に噛みついた。
「フィオ!!」
慌てて檻に入ろうとした私を彼が静止する。噛まれた反対の手で、指を開ききって手のひらを私に見せる。表情一つ変えずに。
痛くないのだろうか。
目覚めたようでまだ寝ぼけていたフィオは、二度、三度と噛みついた。彼の腕には噛まれる度歯形が出来ていく。
痛くないわけない。
この人は一体なに。同じ種族でもない見知らぬ子に噛まれて、なんで微笑んでいられるの? なんで暖かそうなの?
この人間は――可怪しい。
「フィオ起きなさい!」
怖くて叫んでいた。
名前を呼ばれ、さすがのフィオも起きてくれた。
起きたのに、彼を見つめ動かなかった。
噛まれた傷跡を見せたり頭を撫でたりしてから、二人仲良くこちらに歩いてきた。
まるで親子のように。
檻の前でも二人は仲良く並んでいる。
「フィオ。こっちに」
「えー」
「いいから」
フィオは不満たっぷりに檻の入り口を開けた。檻の中から。
「おじい様!」
「昨晩から鍵は掛けとらんよ」
当たり前のように言っている。
「危ないと思わないんですか!?」
「ルナ。先程からどうした? 何がそんなに気に入らぬ。どれもこれも、あの御仁が信頼できる証じゃろ?」
信頼?
檻から出ないのは知らなかっただけ。フィオを襲わないのはフィオの力のお蔭。安全かどうかなんて、推測するしかない。
「理由が解るなら私だって安心できます。でもそうじゃない。あの人は不可解です。私は二人のように、あの人を信頼できません。――言葉すら交わせられないんですから」
「ほう」
不適な笑みを浮かべていた。
「つまり。会話できれば問題ないのじゃな」
どうやら私は誘導されていたようだ。
「……少なくとも、安心はできます」
「春までの間に、彼に言語を習得させる。出来なかった場合。彼はワシ自ら葬ろう。これなら文句はあるまい」
畳み掛けるように、同意を求められた。
春まで。
冬はすぐそこまできている。言語を覚える期間としては短く難しい。野蛮そうな彼には無理だろう。
冬の間の辛抱。
居候の身としては、この辺りで従わないといけない。
「分かりました。その間は彼がここに居ることを認めます。それで、私は何をすればいいんですか?」
「まずは食事の用意じゃな。それから……。フィオレを借りたい」
「フィオを?」
私とおじい様の話を無視して、檻越しで彼と遊んでいたフィオが割って入ってきた。
「んーとね。おにいちゃんは、あたしがいないとしゃべれないの。だからじっちゃんは、あたしをかりたいんだって」
そんなの聞いてない。
「やっぱりダメです。フィオを危険には晒せません」
「ルナ。この村の目的はなんじゃ? お前の父上、エルバはなんのために村を作った?」
ズルイと思った。
「……人族との、友好のため」
なにも言えなくなった。本当におじい様は狡い。お父様を引き合いに出されては、黙るしかないのだから。
「騙すようですまなかった。フィオレには怪我一つさせんから、安心しなさい」
おじい様は、私の言いたいことも分かってやっている。
お父様を引き合いに出すのは狡い。狡いけど、私はお父様の気持ちを忘れていた。だから、ちょっとだけ。彼を信頼してみようと思う。
「おじい様。この人の名前は分かっているんですか?」
「シュウ。だそうじゃ」
獣のような彼。シュウさんに向けて右手を伸ばす。檻から手を入れて確かめてみる。動作が伝わるなら、分かるはずだ。
「ルナです。よろしくお願いします」
ゴツゴツした固い手が私の手を握る。
以外にも、暖かい手に困惑してしまう。
この人、シュウさんは追い出すべき人なのに。