六十二話 相談
マリアさんからのお願いがある。
屋敷にいる、近衛兵兼メイド兼養女たちを鍛えてくれと。
「考えさせて下さい」。それしか言わなかったのに、サンマリアは勝手に仕掛けて来るようになった。
掃除で使用済みのモップを武器に、後ろから同時に襲ってきた。
頭と、腰を左右から狙って。
溶けたように、手を突くまで崩れ落ち一撃目はやり過ごした。
立っていた位置から、水の飛び散る音がする。
相手の次の行動を伺うため、目線を斜め上にしたのが悪かった。
頭上から強襲していた、ローマリアのパンツが丸見えだった。
「あっ」
声に出したことで、事態は悪化した。
ローマリアはモップを手放し、慌ててメイド服のスカートを押さえた。
俺がパンツを見てしまったことを、サンマリアのうちで気づいてないのは、弱気なレイマリア。通称レイの彼女だけだろう。
「……死ね変態……」
ローとレイと違い、いつも本気で襲ってくるリトマリアことリト。
モップを逆さにし、柄のほうで狙っているのは股間である。
そんな場所を狙うのはリトだけだ。だからこそ、逆に読みやすいのだった。
股間の手前でモップを掴み、リトからモップを奪った。
「……ちっ……」
これでリトは脱落だ。
舌打ちが聞こえたものの、リトは黄色いストレートヘアーを一本も動かさず、直立不動で立っているだけ。
無表情で何を考えているのか、今だに分からない。
謎に満ちたサンマリアの長女リトマリア。百五十八センチの十八歳。
リトから奪ったモップを、レイに向かって構える。
「降参ですぅ~」
レイはそう言って両手高く上げ、モップを手放した。
レイも脱落。
サンマリアの次女、レイマリア。
弱気だが礼儀正しい、青く切り揃えられた髪型が特徴の女の子だ。
十七歳で百五十センチ。サンマリアは比較的小さい。
レイも降参させたところで、最後の一人に向き直る。
可愛らしい苺柄パンツのちび。サンマリアの末っ子にして、一番の暴れん坊ローマリア。
ローは俺の準備が整う前に、モップを大振りしてきた。
「うりゃりゃー!」
気合いの入り方が変わっていた。
赤みがかった茶髪をして、猫みたいな天然パーマと小さな身体だが、十六歳という女性である。パンツを見られた怒りは大きいようだ。
こちらにも獲物がある以上、防ぐという選択肢が増え、当たったりはしないが。
「悪かったよロー。だから落ち着け」
「うるさい! 乙女のパンツを見たんだぞ!? もっと反応しろ!」
「……パンツ、似合ってたぞ?」
今にも湯気が出そうなくらい、ローは顔を真っ赤にして、さらに勢いを増してきた。
「シュウのクソバカー!」
怒りによってモップの威力は増したものの、操作はお粗末になっていく。
躱すのが楽になったところで、ローが振り終えた方向に力を加え、モップをローの手から弾き飛ばした。
ロー。脱落。
「ローちゃん。怪我はない?」
モップを弾き飛ばされ、涙目になるローをレイが慰める。
とりあえずやって来て、ローの肩に手を置くだけのリト。
目線は軽蔑の眼差しで、常に俺を向いている。
「明日こそ勝ってやるからなー!」
慰められたせいで余計に泣いたローは、微笑ましい捨てゼリフを残し、走っていった。
「待ってよローちゃん!」
「……これで勝ったと思うなよ……」
二人も裏庭の方へ走って行ったローを追い、掃除が途中であることも忘れ居なくなってしまった。
遠くでメイド長のナスターシャが、拳の骨を鳴らしていた。
――頑張れサンマリア。
サンマリアの手厚い歓迎を終え、マリアさんの待つ、ラボへと向かう。
今日は優雅に紅茶を飲んでいたが、普段は何かの研究をして、バリバリ働いている。
俺としては、働いていてもらったほうがとても助かる。
休憩時のマリアさんは、眼鏡を外しているから……。
「あらあらシュウちゃん。顔、汚れてるわよ?」
マリアさんが自分の顔で指さす位置を触ってみると、黒い水で濡れていた。
「ローの水が跳ねたんだと思います」
じゃれあったのが庭で良かった。
「まぁ! 今日もマリアーズのお相手をしてくれたのね? 助かるわシュウちゃん」
「約束した覚えはないんですけどね……」
「そう言わないで。シュウちゃんが来てからあの子たち、前よりお利口さんになったのよ。リトなんてなんにも興味を持たなかったのに、シュウちゃんをやっつけてやるって、燃えてるんだから!」
「それは、……どうなんですかね?」
「良いことに決まってるわ! それにね。リトだけじゃないのよ? ローもレイも貴方が来てから変わったのよ? ローは女の子らしくなったし、レイは人見知りなのに、シュウちゃんとは話すんだもの。貴方を雇って良かったって、心からそう思えるわ」
……心からね……
「青葉から聞いたことはどう思ってます?」
「青葉ちゃん? ……シュウちゃんが殺人経験者ということかしら?」
「それ以外無いでしょう?」
「深刻な問題なのは分かるわ。でも、シュウちゃんがシュウちゃんでいる限り問題無いのでしょう?」
「まあ、そうですけど……」
マリアさんは知った上で、俺を、シュウの人格を信頼して雇ってくれている。
ありがたいことだ。
「歯切れが悪いわね?」
いつの間にかマリアさんは眼鏡を掛けていた。
「決勝で見た彼はたしかに恐怖を煽る存在だったわ。でも、悪魔じゃない。彼もやっぱり人間よ。人間相手に何をそこまで恐れるの?」
「それは違います。……あいつは、人間じゃない。……悪魔か? と問われれば、違う。と言えなくはないですけど。とにかく人間では無いです」
「堂々巡りね」
マリアさんは大きくのけ反り、背もたれに身を預けた。
「シュウ君がよければなんだけど……。今度会わせてくれない?」
「……会わせる?」
「そう。会わせてほしいの。――スグル君に」
血の気が引いた。
「マリアさん。俺は貴女を信頼してます。信じてるといってもいい。でも、それだけはお断りです。貴女は何も分かってない!」
しばしの沈黙に、強く言い過ぎたと反省した。
「……残念ね。無理強いはしないから安心して。……でも、気が変わったらいつでも言って」
反省なんていらなかった。
その後、文字の授業を受け、時計の針が揃って真上をさした。
普段なら時刻ピッタリに、ナスターシャが訪れるのに今日は来なかった。
「……何かあったようね」
マリアさんの不穏な発言通り、三分ばかり遅れてやってきたナスターシャは、ドアを開けると同時に報告した。
「マリア様! 黒妃です!」
「……黒妃……」
俺が呟くより早く、マリアさんは指示を出した。
「至急魔術師の調達を、熟練者と特化者以外は除きなさい。それとシュウちゃん、手伝ってもらえる?」
マリアさんは眼鏡をかけていない。それなのにスイッチを切り替えていた。
それが黒妃のやばさを、物語る。
「もちろん」
やばさは重々承知。
それでも会って見たいと思う、俺がいた。




