六十一話 就職
大会から一ヶ月。
俺は今だに、シアット王国にいる。
マリアさんの配下として。
大会翌日。
緑大陸に帰る前に、最後の挨拶をしようとマスケラ邸、マリアさんの自宅に向かった。この時点でマリアさんには多大な恩があり、そのうえ帰れないことも教えられた。
「別れの挨拶と言うけど……。シュウ君はどうやって緑大陸へ帰るつもり?」
「どうやってって……。そりゃ船ですけど?」
「それだと帰れないわ」
「は!?」
「何も知らないのね……。ここではなんだから、上がりなさいな」
ここではなんだから。そうは言うけれど……、リビングくらい広い玄関では、説得力に欠ける。
やたらと広い豪邸だった。
これだけでも、マスケラがどれだけ重要人物なのか分かってしまう。
一体何部屋有るのだろう? 廊下には部屋の扉と、壺だの絵だのの美術品が等間隔で配置されていた。
「……どこまで行くんです?」
「研究室までよ」
「ラボ?」
「別館だからまだかかるわ。それまで退屈だし、質問してもいいかしら」
眼鏡を掛けたマリアさんは、廊下に敷かれた絨毯の上を歩きながら、顔だけ振り返り言ってきた。
「昨日のこともありますし、俺は逆らえませんよ」
「あらそう? 気にすることないのに、青葉ちゃんを預かるのは、私としても嬉しいことなのよ? 無料で引き受けたって良いって、言ったでしょ?」
「けじめですよ。青葉は俺にとって、大事な存在であることは変わりません……。無料で青葉の面倒を見て下さいなんて、死んでも言えません」
パタリと、マリアさんの足が止まった。
「……ならどうして嘘をついてあげなかったの?」
マリアさんは振り返らず、言葉だけで、感情を伝えてきた。
「すいません。嘘をつくのは苦手なんです」
「それであの子が傷ついたのに?」
「……すいません」
「嘘をつかないのは美徳よ。でもだからって、人を傷つけてはいけないのではなくて?」
「……その通りですね……」
マリアさんは勢いよく振り返った。
「なら私に約束なさい。青葉ちゃんと仲直りすると、努力すると!」
マリアさんは真剣そのもので、とても他人に対する感情ではない。
苦しむ青葉を、自分のことのように思う。そんな感情だった。
不謹慎であるとは思いながら、俺はマリアさんに感謝した。
「時間は掛かるかも知れませんが、約束します」
案内された部屋は確かに、研究室だった。
鍵のかかった厳重な扉を三度開け、ようやく室内にたどり着く。
厳重なのはやはり、ここが科学の最先端だからだろう。
グロテスクな何かが入った、巨大なホルマリン漬けの浴槽。色々なサイズに合わせたコンロなどの発火装置に、締め切られ寒そうなガラス張りの部屋。床にはどこもケーブルがあり、走れば確実に転んでしまう。
部屋の奥には大学で使いそうなでかい黒板があり、数字と英語で埋め尽くされていた。
異世界の異空間。この部屋に対して、俺が思った感想である。
マリアさんの案内に従い、黒板の近くにあった椅子に腰掛け
ながら、帰れない理由聞いた。
眼鏡といい雰囲気といい、説明を初めたマリアさんは先生のようだった。
原因は魔物。
マリアさんは魔物を、クラブと呼称していた。
クラブどもは鉄の外骨格を持ち、とある島から生まれ、赤大陸にやって来る。
人を殺す。それだけのために。
クラブたちは何十年に一度の感覚で赤大陸に、何体も進軍してくる時があり。今回がまさに、それだった。
進軍期間はゲリラ兵のように、散発的に現れては人々を無闇に襲う。
町や村だけではなく、船すらも。
今年の出現数は既に、最高記録を更新した。
クラブが出現がする限り船は出せず、いつまで掛かるかは分からないそうだ。
事実を知った俺は、しばらく天井を見つめていた。
そんな俺に対し、マリアさんは顔を覗きにやってきて、仕事の話を振ってきた。
「それでねシュウ君。提案が有るの」
「提案?」
「貴方、私の騎士にならない?」
「……は?」
俺はかなり首を捻ったが、マリアさんは気にしないで続けた。
「クラブたちが出現する限り船は出せない。その間貴方は帰れない。今回の出現規模は例を見ないほど長引くと思うわ。お父様が予見した通りならね。だから貴方を雇いたいの、私たちが信頼する騎士たちは、ほとんど防衛に回してしまったのよ。だから貴方が欲しい。私専属の、秘密騎士になって下さらない?」
秒針の進む音を何度か聞いたあと、俺は承諾した。
役職名。
大公専属秘密騎士。
地位。
男爵相当。
給金。
月に金貨十枚。特別手当て有り。
休暇。
日曜祝日。緊急要請有り。
勤務地。
シアット王国国内。雇用主の出国警護時は含まないものとする。
といった具合の契約だった。
読めない俺に、写し紙の契約書まで渡すほど、正式な手続きだった。
さらにおまけ特典として、マリア先生の特別授業も開かれる。
主に文字の勉強である。
こうして俺の一人暮らしが始まり、一ヶ月が経った。
俺はマリアさんたち貴族層の、第二門内には住まず、第一門内の下町で暮らしている。
ほぼ寝るためだけのアパート。といった具合の家である。
秘密騎士という役職通り、俺の存在を知る兵士はいない。
この一ヶ月でやったことといえば、兵士の汚職調査と、首都シアット内のパトロールぐらいだ。
仕事はほとんど午後から初め、町から人が消えた頃に帰る。朝起きたらマリアさんの元で勉強し、またパトロールに戻る。
こんな高い給金を貰っていいのかと思うほど、楽な仕事だった。
さぼろうと思えばさぼれるが、さぼったところで何もない。
……家に青葉でもいれば、さぼったかも知れない。
あの雨の日、青葉は俺を拒絶した。
最後の願いだけを受け入れさせ、俺は青葉から離れた。
俺の現在の貯金額は金貨百三枚。賞金の半分をマリアさんに渡したからだ。
青葉の養育費として。
青葉に言い聞かせた最後願いは、マリアさんの元で暮らすこと。
青葉の全てを説明したうえで、マリアさんは引き受けてくれた。
それでお別れのはずだったが……。
今ではマリアさんの豪邸で、一日一度青葉と会話をするのが約束だ。
一ヶ月経ったが、俺を見る青葉の顔は優れない。
青葉が元気でやっているならそれでいい。
餓鬼であった青葉はもう、どこにもいない。
俺と居る理由はどこにもない。
青葉の異常は生きる過程で生まれた病。
俺の生まれもった異常とはわけが違う。
青葉と俺は違う。だからこれで良かった。一ヶ月たった今、心からそう思う。
いつかは仲直りをする。そんなマリアさんとの約束も、忘れたいほどに。
とはいえ現実は甘くない。
マリアさんは雇い主兼先生である。
毎日午前には足しげくマスケラ邸を訪れる。
門番にはマリアさんから貰った勲章見せ、警備兵は顔パスで済ませ、マスケラ邸の豪華な両扉を開く。
グッドタイミングだった。
「シュウ兄……」
扉を開けた瞬間、目の前に青葉がいた。
マリアさんの元で育てられるようになってから、青葉はとても女の子らしくなった。
今日はワンピースの服で、とても可愛かった。
「似合ってるよ。青葉」
青葉はとても気まずそうに、俯いたまま俺の脇を通り抜けていった。
青葉が向かった先には、マリアさんの世話係り、ナスターシャがいた。
赤い髪と褐色の肌が、ただでさえ強そうな彼女を、さらに強く見せていた。
「……待てよ……」
ナスターシャは、このマスケラ邸のメイド長である。
ということは奴らも、この辺りにいる。
ナスターシャの後ろに隠れた青葉とナスターシャに会釈をして、中に逃げようとしたその時だった。
サンマリアが後ろから襲ってきた。
「シュウ様ごめんなさい!」
「今日こそやってやる!」
「……お覚悟を……」
ジャンプして頭上からモップを振り下ろすローマリア。
タイミングを合わせ右後方からモップを突くレイマリア。
左後方から二人に合わせる気もなく全力で、モップの柄の部分で突いてくるリトマリア。
三人の少女たちが、一斉に攻撃を仕掛けてきた。




