幕間 誕生日
――昭和六■年。日本。
特異な赤子が人知れず生を授かった。
立花秀。
特異な赤子は頭脳の出来も身体の造りも、他の子どもとは違っていた。
その違いは、神童と呼ぶに相応しかった。
なのに誰も、赤子の特異性に気づかなかった。
誰かが赤子の違いに気づき、調べてさえくれれば……。
赤子の身体的特異は、数値にも出ていた。
それでも誰も、赤子の特異性に気づかなかった。
数値の違いが、――高過ぎたから。
医者は赤子の数値を、機械の故障ということで片付けた。
赤子の筋肉は全て、中間筋で出来ていたのに……。
赤子が少しでも特異さを理解されていれば、世界が一歩進んだだろう。
赤子の出会いの歯車が、少しでも噛み合ってくれれば、人類の幸福が増えていただろう。
不幸なことに、赤子は誰にも理解されず、歯車は誰とも、噛み合わなかった。
赤子の両親は普通だった。
自分の息子が特異であるなどと、夢にも思わないほど普通過ぎた。
普通とは掛け離れた神童は、典型的なまで普通の両親に育てられた。
三歳になり、スグルは小学生が習う漢字の全てを習得した。
言葉を知った彼は、自分で辞書を引き次々と物事を覚えていく。国語から始まり、算数理科社会と増え、それだけに止まらず外国語にまで手を出していった。
さらには思想書や哲学書と、専門的なものまで次々と網羅していく。
父親が読書家だったのが、――災いした。
スグルが五歳になり、両親は初めてスグルの頭の良さに気づいた。
両親の夢は広がった。
この子なら、いい大学に行けると。
両親は余りにも、普通だった。
絵が描けない人から見れば、画家も漫画家もイラストレーターも、全て絵が上手い人。それで終わってしまうだろう。
けれど同じ絵を描く人から見れば、些細な違いや優劣が分かる。分かってあげられた。
彼の周りに一人でも、特異さを理解出来る人物がいれば、全ては変わっていた。
最悪の出来事は回避できた。
――全ては起こらなかった仮の話。
彼は五年後、誰も想像すらしない、あり得ないことをした。
スグルは変わった子だ。これといった欲求が無いのだ。
あるのは精々、知的欲求。けれどもその知的欲求すら、スグルが望んで生じたものではない。
一歳の時、両親が頭のいい子に育つよう呟いたからだ。
スグルは両親の願いを叶える。
それがいい子の定義だから。
いい子であり続けたスグルは、小学生になった。
学校がスグルを、狂わせた。
入学も一段落した五月に、事件は起きた。
スグルは先生を指摘した。
「先生は間違っています」
授業から脱線した、何気ない会話だった。
ガソリンの話だ。
いつかは石油が枯渇する、だから皆は資源を大切にしましょう。
そんな会話だった。それをわざわざスグルは指摘した。
指摘してしまった。
両親が望んだから。
両親はスグルに、正しさを望んだ。
間違ったことは正しなさい。
いかにも普通な教え。
スグルはそれを実行しただけ。
両親の願いを、叶えただけ。
なのに。
先生は怒った。
スグルはとても混乱した。
これも両親が言っていたことだ。
「先生は正しいから、言うことをよく聞くんだよ」と。
先生の言い分は、スグルが知っていた正しさとは何もかも違っていた。
自分が正しいと言い張り、古い情報を鵜呑みにして力で押しつける。他人の意見認めず、――子どもだからという理由で、黙りなさいと叩かれたのだ。
スグルはその日、家に帰らなかった。
彼一晩中、街を彷徨いた。
今まで書物で見てきた知識を、生きる人々に投影していた。
六歳の子どもが、一晩中街を見て歩いた。
物影に隠れ、人目を避け徹底して観察した。
スグルは知った。
「大人の正しいって。こういことなんだ」
翌朝、スグルは何気ない顔で登校していた。
心理学部がある大学に。
「どうしたのボク?」
女生徒の一人がスグルに尋ねる。
「お母さんに会いに来たの。佐藤って言えば分かるよって、お母さん言ってた」
スグルは演技が上手かった。
両親の願いを叶えるため、普通を演じ続けるほどに。
「佐藤先生の息子さんかー。それじゃあ、お姉ちゃんが呼んできてあげようか?」
スグルは首を振った。
「大丈夫だよ。お母さんには言ってあるから。図書室で待ってるねって」
「そうなんだ。行き方は分かる?」
「うん!」
女生徒はその後、佐藤先生に怒られた。
「私はまだ未婚です!」と。
スグルは大学の図書館から、ランドセルに数冊の専門書を入れて帰った。
心と脳に関する専門書を。
スグルが家に帰ると、両親に初めて叱られた。
心配が怒りに変わって、それが僕に向いた。それだけのこと。
計画のためには、丁度いい。
狂った歯車は止まらない。
両親が願った、正しさを求めて。
スグルは一晩中人を見ていた。
そして知ったのだ。
完璧な正しさはどこにもない。完璧な悪もどこにもない。
人はその両方を求めていると。
スグルは中間を捨てた。
両端にこそ、答えを求めた。求めてしまった。
聖人と悪魔。
スグルの答えは、極端過ぎた。
スグルは苦悩していた。
初めての難題だった。
スグルは性格を二つに分けるまでは、成功した。
四年の歳月のうち、一年でそこまでいった。
残りの三年は試行錯誤していた。
ストレスの足りなさに。
性格は二つにした、けれどこれではただの演技。
使い分けているに過ぎない。
スグルは悩んだ。
そうしなければ得られないのか?。と。
スグルは天才過ぎた。
解決出来るが故に、ストレスにならない。
敢えて受けるストレスでは、人格を分けるまでには至らなかった。
危ないことも平気でやった。
道行く強そうな人に襲いかかり、死にかけてからやり返したりもした。それでも足りなかった。
ストレスの代わりに残ったのは、高水準の格闘技術だけ。
死んでは元も子もないと、鍛えた結果だった。
虫酸が走るような、非道もした。
無抵抗な生き物を無闇に殺した。
結果得たものは、少しのストレスとあり得ないレベルの殺害技術。
筋肉や骨の状態まで、熟知してしまった。
やはり、あれしかない。
スグルは決意した。
自分が唯一ストレスを得る方法を、実行に移すと。
雪が降る寒い日。
スグルは十歳の誕生日を迎えた。
十歳という節目を、スグルは決行日に選んだ。
愛しい両親。
普通であるが故に、異常な子どもに普通の願いを祈った両親。
スグルの願望欲求の、原因。
願いを実行するのは両親のため、両親が居なくても、両親の願いを叶える自分。
大いなるストレス。
極大のジレンマ。
愛する人の殺害。
知らなかった命。
スグルは三つの命を引き換えに、人格を二つに分けた。
悪意の総称を秀。
善意の総称こそ秀。
そうなる予定だった。
スグルは最後に、予定外の命を奪った。
自分の妹か弟を、罪のない命を奪った。
スグルは自己嫌悪の果て、悪を選んだ。
自ら生み出した人格。
善性のシュウに主導権を渡し、子ども助けろという、願いを残して。
スグルは悪魔になった。




