六十話 降魔
コンクリートで造られた、出口すらない独房のような四角い部屋。
俺とあいつだけが来れる、現実には存在しない心象風景だ。
なのに。
俺の目の前には、――白隠がいた。
「…………なんで」
「死んだら案外自由でな。居座っとった」
夢なのかも知れない。俺が作り出した幻なのかも分からない。それでも白隠は生前のように、僧侶らしい黒い着物姿で、無邪気に笑っていた。
「とんでもない奴だな。もう一人のぬしは。話しかける度に、何度も殺されたよ」
「殺された? それはどういうことだ? そもそもなんで白隠がここっ……」
詰め寄る俺に、白隠は掌を向け制止させた。
「すまんな。質問全てに答える時間は無い。わしにも、あの獣人にもな」
心の世界とはいえ、時間は経過する。一秒が一分に感じられるように、感覚が違うだけだ。
現実世界では既に、二秒が経過していた。
ファングの意識が事切れるまで、残り三秒。
「自由になったわしはぬしに語り掛けた時、ここの存在が分かり侵入した。ぬしには悪いと思ったが、気になってしまってな。もう一人のぬし、あやつの存在に。こんな身体になり、あやつに出会った。ならばあやつを導くことがわしの仕事。そう思ってな。知っとるかシュウ? あやつ、ルナの話題だけは反応を示しとったぞ?」
「ルナに?」
「あやつが唯一、傷付けなかった人物。それがあの少女だ。そこに答えがある」
クレイズとの戦いの時、あいつは俺と代わったが、あれはルナを守るためだったのか?
「ところでぬしは、生まれた日を覚えておるか?」
「……なんだよ突然?」
「時間がない、早く答えろ」
「分かるわけないだろ」
「……やはりか。シュウ、ぬしが生まれた際、願われていたのはこんなことだったんだぞ」
そう言って白隠は、俺が知らない記憶を語り出した。
「……嘘だ……」
「なんで俺が知らないことを、白隠が知ってんだよ!?」
「魂だけの存在だから。そんなとこかな? 今のわしには制限など無いようなものだ。こういった事柄はな」
「ならあんたが俺の身体を使えよ! 俺の身体をあいつから奪って、あんたがファングを助けろ! あんたならそれくらい、出来るんだろ!?」
「甘ったれるな!!」
憤怒の形相で白隠は、俺を怒鳴りつけた。
その姿は不動明王のように見えた。
「わしは死んだのだ。それにもう、時間がない」
白隠の後方には、光が射し込んでいた。
「ぬしがあの獣を救いたいなら、ぬしがやるしかない。勝て、悪魔に負けるな。ぬし以外に悪魔を御せる者はおらん! 魔を降せ! 過去がどうあれ、ぬしはぬしだ!!」
ここにいる彼は、夢でも幻でもなく、本物の白隠だった。
「さて。今度こそ、お別れだな」
白隠は満面の笑みで、平然と別れを告げた。
「待てよ。なんでまた消えんだよ……。なんでそんなに笑ってられんだよ! あんたはあんな死に方で、俺のせいで死んだのに!」
「愚か者。ぬしのせいなどで無い。わしはわしのために死んだのだ。――わしにはぬしがいた。あそこで死ぬのが、わしの運命。わしの運命は、――ぬしを導くことだった」
「なんだよそれ。分けわかんねぇよ! 運命? んなもんがあるなら、俺が生まれるわけがねぇだろ!」
「道は一つではない。幾多にも分岐している。詳しく教えてやりたいが、もう時間だ」
俺の心象風景なのに、見たこともない神々(こうごう)しい光が、白隠を包む。
光が強すぎて、何も見えやしない。
「達者でな。出会ってくれて有り難う。ぬしはわしにとって、光だったぞ」
「待てよ! 消えるな! 俺にはまだ、あんたが!」
必要なんだ。と、伝える前に、明かりは消えてしまった。
俺の世界はコンクリートだけの、何も世界に戻っていた。
「……クソ坊主」
白隠は、消えた。
「……あんたこそ、俺にっとって、光だったよ」
現実での残り時間は、無くなっていた。
「……犬っころ。てめぇ、まだ起きてんのかよ」
既に五秒。ファングを意識を保つために、自分の身体を引き裂き耐えていた。
彼の爪は、肘の部分を両脚で絞め付けられて、上にはあげられない。
だからファングは自分の太股を引き裂き、無理矢理意識を保っていた。
ギリギリだが、間に合う。
まずはあいつをここに来させる。そのために俺は、あいつの名を呼んだ。
「……スグル」
「てめぇ……何の真似だ」
コンクリートの壁をすり抜け、もう一人の俺、スグルが部屋に入ってきた。
「何があった? てめぇが俺様を呼ぶなんてよ? そんなにあの犬っころが大事かよ?」
「大事だ。だからこれ以上はやめろ。殺す必要はないだろ?」
「殺す必要はない? それは善性のてめぇの発想だ。俺様にそんな考えはねぇよ」
「ルナが悲しんでもか?」
「ああん?」
初めてだった。スグルが笑わないなんて、初めてだったんだ。
「てめぇ……どうやって知った?」
「白隠が教えてくれた」
全く同じ顔なのに、スグルは別人のように、顔を怒りで埋め尽くしていた。
「あの糞坊主!!」
スグルは我を忘れ、暴れまわった。
身体の権利を忘れるほど、暴れていた。
「スグル。帰ったら三人で話をしよう。俺とお前とルナ。三人で話し合おう。きっとルナなら、お前すら癒してくれる」
スグルに俺の声が届いていたかは分からない。
俺はスグルの隙をついて、身体の権利を取り戻した。
身体の自由を取り戻した俺は、即座にファングを解放した。
「ファング?」
彼は立ったまま、全く動かなかった。
強制的に奪った身体は重かった。それでも俺は急いでファングの正面に回り、毛むくじゃらの胸元へ耳を当て、思いっきりビンタした。
出来ることなら、心臓マッサージまでしてやりたかった。
けれどそれは叶わない。俺自身もぶっ倒れたから。
ビンタした者は叩いた反動で右へ。叩かれた者は左へ。
同時に倒れていった。
経験したから覚えている。
血が足りないんだ。身体は強制的に奪ったからではなく、純粋に死にかけていただけだった。
「シュウちゃん。シュウちゃん」
誰だ? 俺をちゃん付けて呼ぶ人なんて、いたっけか?
誰かは分からなかったが、一応目を覚ましてみた。
なんだこれ?
腕力のバネで、思いっきり後方に下がり、起き上がった。
けれど部屋はとても狭くて、背中はすぐに壁にぶつかった。
「あらあら。いきなり飛び起きて大丈夫なの?」
なんだ、この組み合わせ。
「……大丈夫です。マリアさん」
マリアさんはまだ分かる。
「うむ。元気そうでなにより」
「……ファング」
四畳程度の控え室で俺を挟み込み、右にマリアさん、左にファングと、ギュウギュウ詰めだ。
マリアさんは西洋人のような見た目でありながら、固い床に正座をして。ファングはあぐらをかき、腕組みもしながら角に座っていた。
二人とも飛び起きた俺を見て、嬉しそうだった。
「なんであんたが?」
笑っているのだろうけど、牙が丸見えで少し怖い。
「……貴様に謝りたくてな」
「謝る?」
「貴様を嘘つきだと決めつけたことだ。済まなかった」
傷が癒えた太股に両手を置き、あぐらの姿勢のまま深々と頭を下げた。
「やめてくれ。俺の方こそすまなかった。……俺はお前を、殺すとこだった」
「何故謝る? それは正しいことではないか」
「え?」
驚いてファングを見たが、彼のほうがキョトンとしていた。
「我とて殺す気でやったのだ。貴様が我を殺そうとするのは、寧ろ自然。それを貴様は殺しもせず、こうして我を生かしてくれた。礼を言うのは我の方だ」
そう言って再度、深々と頭を下げた。
「あらあらファングちゃん。シュウちゃんをよっぽど気に入ったのね」
台無しだ。
「あの、マリアさんはどうしてのここに?」
「それはねー。いっぱい理由はあるんだけどー、シュウちゃんにお願い事と、大事な話があってきたのよ」
最後にハートマークでも付きそうな喋り方だ。
今のマリアさんは素顔を晒している。この人はやはり、仮面の有る無しで性格が変わるようだ。
「マリア夫人。これを」
ファングが手にしたそれは、眼鏡だった。
「ごめんなさいね。ファング」
「……眼鏡でもいいんだ」
眼鏡をかけた途端、マリアさんの口調は変わった。
「ではシュウ君。少しお話をよろしいかしら?」
「ちょっと待ってください」
可怪しい。
「あの、マリアさん?」
さっきからどうして。
「なにかしら?」
彼女がいない?
「青葉はどこですか?」
外はすっかり夜になり、月も出ていなかった。
「青葉」
星の光でなんとか見える暗闇の中、誰も居なくなった観客席の最前列で、一人だけポツンと、青葉は座っていた。
「……シュウ兄」
マリアさんから聞いた通り、決勝戦からその場を動いていないようだ。
胸を撫で下ろし、青葉に歩み寄ろうとした。
大切な青葉と、優勝した喜びを分かち合おうとして。
けれど。待っていたのは、拒絶だった。
「……来ないで」
足が勝手に止まった。
「青葉?」
自分の肩を抱きながら青葉は。
――俺から遠ざかった。
間違いだと思い、一歩だけ前に出たが。
「……いや」
近寄った分、青葉は退いてしまう。
「どうしたんだ青葉? 俺、何かしちまったのか? 俺が何かしたんなら謝るから。取り合えずここを出よう。マリアさんが家に来るようにって言っててさ、そこで話さないか?」
青葉は黙ったまま、自分の肩を抱いている。
「寒いのか? だったらなおさ……」
「シュウ兄はなんなの!?」
「青葉……?」
青葉はたぶん、泣いていた。
「ぼぅには分かんないよ! どっちが本当のシュウ兄なの!? あのシュウ兄は何!? 今までぼぅを騙してたの!? シュウ兄の優しさは、――嘘だったの?」
星空はいつの間にか消え去り、雨が降りだしていた。
感覚が麻痺していた。
この世界に慣れ、当たり前だと思い込んでいた。
もしくは、忘れようとしていたのかも知れない。
「答えてよシュウ兄」
青葉は日本人だ。
変わった村で育ったとはいえ、五歳までは、日本の世間に染まっていたんだ。
つまりこれは、日本人としての常識。
「シュウ兄は、殺人鬼なの?」
忘れていた。忘れたかった。
俺は本来、許される人間では無い。
「……そうだ」
青葉の反応こそ、正しい。
「俺は本性は、殺人鬼だ」
二章 了
可能な限り続けますが、毎日の更新が厳しくなってまいりました。時間がずれたり、休む日もあるかと思います。
そうなったとしても、最後まで書き続けますのでよろしくお願いいたします。
読んで下さる皆様、いつもありがとうございます。




