六話 決意
檻の向こうから現れた二人は、翼の少女と耳の上部が長いじいさんだった。
翼の少女には見覚えがあった。あぐらの上で寝ているフィオのお姉ちゃんだ。
お姉ちゃんは檻を開けようと必死だ。
俺に向かって怒鳴りながら、錠前をいじっている。その必死さから、フィオを助けようとしているのは明白だ。
たぶん、俺がフィオをどうにかしたと思ってるんだろう。
一方で耳の長いじいさんは冷静だ。俺とフィオを見比べ違和感を感じ、檻の抜け穴に気づいたようだ。
向かって右側にある錠前とは反対に、左の隅にある隙間。岩と檻である太い木の間にできた、幼い子どもなら通れそうな隙間に。
通った現場を見たわけではない。だが六歳の子どもが、自分の意思以外で知らないおじさんと居るわけがない。
檻の隙間とフィオを見比べれば、這ってなら通れるとすぐに分かる。だから俺はフィオがいることの疑問を持たなかった。
錠を開けられず四苦八苦しているお姉ちゃんに、じいさんが話しかけている。じいさんの行動は期待通り、フィオがどうやってここに入ったかの説明をしているようだ。
お姉ちゃんはようやく、冷静さを取り戻した。
俺は俺でフィオの身体を揺すり、起こそうとする。まだ寝たりないのか不満そうな声をあげながら起き、目を開けて最初に見えたであろう人物を見て固まっている。
フィオはお姉ちゃんを見て動きを止めた。
数秒後、俺の首へ両手を回し抱きついてきた。怒られると察しての行動だろう。
出会って間もない俺でも感情に気づけるほどに、お姉ちゃんの表情はコロコロと変わっていた。
助けようと慌て、真実を聞いて怒り、怒りの原因の妹の行動に驚いている。おもしろい子だ。
フィオをゆっくり引き剥がし、瞳を合わせ会話する。
お姉ちゃんが待ってるから帰りな。
『いや。おこられるもん』
つい、苦笑してしまう。
微笑ましい姉妹喧嘩だ。
助ける必要もない、けれどフィオには恩がある。
今回だけだぞ。とそう思い、俺の言う通りにしてみな。と念じた。
『うん!』
返事を聞きフィオを肩に抱いて歩き、檻の前へと近寄る。
フィオとの会話で分かったことだ、俺に伝えるのは瞳を介さないと伝わらない。けれどフィオは強く念じた俺の心なら、瞳を合わせなくても聞き取ってくれる。
檻越しではあるがお姉ちゃんの前でフィオを降ろし、フィオに通訳してもらった。
病気を治してくれて感謝する。どういうつもりかは知らないが、檻に入れたのは正解だ。俺は病気で、この病気は感染するかも知れない。この子は大丈夫だと思うが様子をみていてくれ。と。
たどたどしくもフィオは通訳してくれた。この先、フィオを庇うための言葉までは。
この子が偶然通ったところを俺が騙して中に入れた。だからこの子を叱ったりしないでくれ。と念じていた。
騙して、の辺りでフィオが振り向き、再び俺に抱きついてきた。
可愛い瞳から、ポロポロ涙をこぼして。
不思議だった。俺ごときがフィオに触れてはいけない。最初はそう思っていた。思っていたのに、知らないうちにかき消されていた。フィオに触れる度、何かが満たされていく。いや、触れる必要すらない。笑ってくれるだけで何かが満たされる。
だからフィオのためならと、いろいろやってしまうんだ。
思いとは裏腹に、フィオを泣かせているのが現実だけれど。
理由は分からないがとにかく泣き止んでほしい。こぼれる涙のせいでフィオの想いが流れてこない、どうすればいいのかお手上げだ。
困っていると甲高い金属音とともに扉が開かれ、お姉ちゃんが入ってきた。
俺からフィオを奪うように抱き上げ、睨んでくる。
フィオはフィオで何か喋りたがっていたけれど、えづいてしまい言葉にできていない。
言葉にできないままフィオは、お姉ちゃんに連れられ牢を出ていった。最後に涙を堪えながら一言だけを残して。
『ごめんなさい』
だ、そうだ。
二人が見えなくなるまで、視界に映る限り見送った。
梯子のような階段を上がったところで蓋が閉まり、見えなくなった。
檻にへばりつきながら見ていると、残されたじいさんが話かけてきた。
檻から先にある木製の小さな机と椅子に、じいさんは微笑みながら座っていた。
机の上には蝋燭があり、蝋燭の灯りが牢で唯一の光源だ。
光源に照らされるじいさんの顔は、どこか暖かみを感じ嫌いではなかった。
髭と髪で顔が隠れ、表情が読みづらい。
腰の曲がり具合や動作から八十歳は越えていそうだ。二人に似た服装をしているけれど、地味だし下が違う。袴のように見える。
どことなく日本の服装に近い。二人の姉妹の服装も、スカートではあるが着物に近かったかも知れない。
共通点が多いことから、耳と翼の違いはあっても同じ部族なのだろう。と結論付けた。
この人と話せれば、現状を把握できるのに……。
もしかしたらと思い、視線を合わせ念じてみたが何も起きなかった。
「だよなぁ」
じいさんは俺の独り言を聞いて、顎髭を撫でだした。
ゆっくりと四回髭を撫で、二回拍手を鳴らす。注目しろと言わんばかりに。
視線を向けると、ジェスチャーをしていた。
手を口に持っていき、手を鳥の嘴みたいに動かしている。
ものまねか?
何かを訴えているのは分かる。けど、鳥ってなんだよ?
腕を組んで考えてみた。
そもそも鳥なのか。念のため、羽ばたく動作をしてみる。
じいさんは右手を顔の前で振っている。違う、ということだろう。
鳥じゃない。鳥じゃないなら……。喋れってことか?
「伝わらないのにか?」
腕組みをやめて、喋ってみた。
それだ、と指をさされた。
指をさすのはマナーとしてどうなのだろう。という個人の感想は捨て去り喋り続けた。
どういう意図なのか反応をみるため、貶したり褒めてみることにした。
「じいさんのジェスチャー分かりづらい」
とか。
「立派な耳だな」
と、交互に繰り返すも反応はない。ただ聞いているだけだった。
「言葉の壁、か」
でかい壁だった。だが手掛かりはある、フィオがいれば通訳をしてもらえるからだ。
どかりとその場に座り、あぐらをかいて後頭部を掻きむしった。
泣かせて謝らせ、あの子に頼る。なんとも情けない話だからだ。
だいたいまた来てくれるかどうか……。
下を向き、深い溜め息をついていた。
顔を上げると檻越しとはいえ、じいさんが目の前にいた。
間近にいる俺を見据え、丁寧にゆっくりと喋りだした。
「ニ、ホン、ジン?」
日本人、と言ったように思えた。
「……は?」
「ニ、ホン、ジン? ニッ、ポン、ジン?」
疑いようがない。日本人かを尋ねている。
壊しかねない勢いで檻を掴んでいた。
「日本を分かるのか!」
少し驚いたあと、また同じことを聞いてきた。
一言一句も変わらない言葉は、何より雄弁に知らないということを物語っていた。
日本人という質問に答えるため、力なく頷いた。
じいさんは日本人と分かると、俺一人残して上へと帰ってしまった。
一人になり、頭をフル回転させる。
どう解釈すればいいものか。日本人、という単語だけを知っていた。何処で誰から教わったのか、疑問は増えるばかりで一向に解決しない。フィオから聞いたことだけが頼りだ。
ここは異世界でフィオの家。じっちゃんとお姉ちゃんとベラという人と暮らしていて、両親はいない。
他の人は嫌い、でもおにいちゃんは好き。キラキラしてたから好き。などと実用性がない。
どっと疲れが出てきた。
つまりは何も分かっちゃいないから。
藁の上で、大の字に寝てみる。牢屋だというのに、けっこう広い。キングサイズのベッドくらいはあるな。
……考えるべきことは山ほどある。あるはずなんだけれど、眠い。
眠いし腹も減った。五日は何も食べていない。水だけは飲んでいたけれど、それだって二日前だ。いくらなんでも限界だろう。
食えないことはあった。仕合に勝てなくて、何も与えられずに三日間を過ごすこともあった。
飢えて、相手を喰いそうになるぐらい。
あの時に比べたらまだ平気だ。っていうより、あと二日はいけそうだ。
何か違う。そう思った。
飢えまでは達していないのだ。一日何も食べてない程度の空腹感。実際は五日なのにだ。
――体質が変わったのか。
思いを巡らせていると、鼻を香ばしい匂いが刺激する。
蓋が開く音がして、誰かが降りてきているようだ。
立ち上がるのも面倒で、寝ながら首だけを持ち上げ覗いていた。
フィオとじいさんが鍋を持って来てくれた。
「フィオ」
来てくれるとは思っていなくて心が弾んだ。立ち上がり檻の前まで行き、屈む。
瞳を見つめ大丈夫なのか? と念じる。
『うん』
と、頭に直接文字が浮かぶ。
甲高い金属の音とともに、二人は中に入ってきた。
『これ、たべて』
フィオは持っていた鍋を突きだしてくる。子どもが手にしていたから普通に見えたけれど、俺が持つと小さく見えてしまうくらいの土鍋。
勝手に熱いと思っていたが熱くはない。
受け取ると、待ちきれないとばかりにフィオが鍋の蓋を開けてしまった。
ほのかに湯気が立ち、毎日見ても飽きない穀物が姿をさらけ出した。
鍋の中には、お湯に溶けながらも形状は残しつつ、自らが浸かるお湯を白く濁らせ俺を待つ。白米だ。
正確にはお粥だが。
『たべて』
フィオから木製のレンゲのようなものを渡され、遠慮なく頂いた。
単純極まりない食品。だからこそ旨さがはっきり現れる。塩加減は調度良く、何より火傷しない温度に冷まされているのが素晴らしい。
病人を気遣ってなのか量は足りないが、それが正しい。絶食が続いた状態からは、気をつけずに食べると死んでしまう。
ゆっくり食事量を増やさないといけない。
「ごちそうさま」
一、二分で食べ終わり土鍋に蓋を戻した。
礼を言おうとフィオに視線を移すと、土鍋を見つめていることに気づいた。
「フィオ?」
急激に反応し、首を左右に振りだした。
……分けてあげればよかったな。
食事が終わり、何故この二人なのかよく分かった。
じいさんは檻の入り口のすぐそばで腰を下ろし、じいさんの隣にフィオが座る。
こうして俺とじいさんの、フィオを頼った会話が始まった。
フィオの通訳によると、じいさんの名前はアルテといい。村の長だそうだ。
ここは村長の家の地下牢、俺がここに入れられたのは保護が目的と言っている。
村の住民は全員、俺とは違う人種だけで構成されている。
翼の人種、翼人族。
耳が特徴的な耳長族。
小柄な小人族の三種族だそうだ。
村の目的は外交だ。この世界で最も人口の多い種族である、人族との外交こそが。
三年前に外交は失敗に終わった。失敗、つまりは争いだ。
だから俺がいるのはいろいろ不味いらしく。アルテは、俺を匿うために檻に入れた。
すべてはアルテの友人が鍵だった。
その友人は俺と同じ、地球からの来訪者だそうだ。
「本気かよ……」
『まじかよ、まじかよ』
一気に情報を受け取り「本気かよ」の連呼をしすぎ、フィオが気に入ってしまった。
日本人か? という質問をしたのも、友人からの依頼だそうだ。友人自体は日本人ではない。その友人は、自分のことを多くは語らないそうで、年齢や外見も分からないらしい。
「外見が分からない?」
『かめんしてるって』
「なるほど、で名前は」
『マスケラ』
マスケラという人物は何故日本人を助けようとしたのか、答えは一生得られないかも知れない。
マスケラとアルテが知り合ったのは、六十年前の話だからだ。当時すでにマスケラという人物は、三十歳は越えていたそうだ。
……死んでるな。仮に生きていたところで会ったとてどうすることもできない。百歳近いご老体なのだから。
アルテ曰く、なんでも出来る人。とのことだ。
出身国は不明だが六十年前といえば、世界が戦争やら冷戦やらでゴタゴタしていた時代だ。そんな時代の人間が他国の人間を助けるだろうか。
……どうでもいいか。助けてくれてありがとよマスケラさんそう思い合掌し、見上げて祈りを捧げた。
話もそろそろ限界のようだ。フィオが眠そうだから。
ただ伝えているだけのフィオ。難しい話や分からない話なんて眠くなるだけだ。それでもフィオはよくやってくれた。
何時なのかは分からないけれど、ずっと通訳していたのだ。
アルテもフィオを心配し、今日は終わりにしようとしている。
『さいごになってごめん。ワシのまごをたすけてありがとう。れいがしたいけど、おねがいごとはある?』
「願い事って」
帰る場所はない。目的もない。だから迷うことはなかった。
あぐらをやめて正座し直し、額をつくまで頭を下げた。
「俺に、言葉を教えてくれ」
翻訳の間、頭を下げ続けた。
肩を触られ頭を上げると。
静かな眼差しのアルテが、口元を緩ませていた。
『いいよ。だって』
契約は成立した。




