五十話 細身
この時はまだ、――俺と青葉が戦うことになるなんて思ってもみなかった。
青葉が生きていてくれた。
それがとにかく嬉しかった。
訊きたいことや話したいことは山程ある。けれど、そんなものは彼女の現状の前では、どうでもよかった。
青葉は細すぎる。
武術を使う者として、相手の体重や身長は一目で分からなければならない。
だから、青葉の身長に対し体重が足りないことは、すぐに分かった。
百五十三センチの身長に対して、青葉の体重は、三十キロ以下だ。
彼女の枯れ枝のような手足を見ていると、涙が溢れてきた。
「シュウ兄、痛いよ……」
「ごめん!」
強く抱き締めすぎたようだ。
「いいよ、シュウ兄。気にしないで」
そんな身体でありながら、俺を気遣う青葉に、なんと声を掛ければいいのだろうか?
いや、そんなことは後回しだ。
「……青葉、ごめん」
「どうしたの? シュウに……。あぅっ!」
俺は断りなく青葉を抱き上げ、走り出した。
「……シュウ兄、恥ずかしいよ」
「だから謝っただろ?」
抱き抱えたまま、人目も気にせず町中を突っ切り、この町一番の宿へと走った。
町の中で唯一、四階立てをした高級宿を目指して。
煉瓦と高そうな石で出来た立派な外観、ドアを蹴り開け入った中も、高そうな調度品が多くあった。
「いかが致しましたか? お客様?」
従業員に至っては格好も対応も、完全にホテルマンのようだ。
ドアを蹴り開けた俺に対し、礼節を失わないのだから。
「泊まりに来ただけだ。受け付けはどこだ?」
「あちらでございます」
完璧過ぎて、感情が有るのか疑いたくなる。
受け付けの前で青葉を降ろし、金を出すために小袋を取り出すと、支配人のような白髪のじいさんが青葉の宿泊を断ってきた。
「失礼ですがお客様、お連れの方の宿泊は、お断りせざる終えません」
「……あ?」
その言葉が俺に対してなら、なんとも思わなかっただろう。
青葉に対しての発言だからこそ、俺はキレかけていた。
「奴隷のお連れ様は、とうホテルではお断りしております」
「奴っ!!」
ぶちギれる寸前の俺を、青葉が服を引っ張り止めた。
「……仕方ないよ。見てよ、ぼぅの格好。ボロボロなんだよ? 泊めてもらえなくって、当たり前だよ」
腕を広げ、自分の姿をさらけ出す青葉。
それを見た俺の頭は、一瞬で冷却された。
受け付けの机に、思いっきり頭を叩きつけた。
「……彼女は奴隷じゃありません。大切な人なんです。訳あって今はあんな格好ですが、すぐに服を着替えさせて綺麗にします。宿泊代は倍値でも構いません。だからどうか、彼女だけでも泊まらせて下さい!」
机に頭を叩きつけたまま、懇願した。
「……事情も知らず大変失礼致しました。お詫びと言ってはなんですが、お代は半額で構いません。では、お部屋へご案内致します」
支配人は俺たちの前を歩き、部屋へと連れていく。
「ありがとうございました。それと、食事もお願いしたいんですが」
青葉のためとはいえ、慣れない敬語は若干疲れる。
「かしこまりました。どのようなお食事をご希望で?」
「栄養価が高くて、消化に良さそうなものを」
「かしこまりました」
支配人には、感謝してもしきれなかった。
部屋に案内されるまでは。
「こちらで御座います」
支配人がドアを開け案内した部屋は、通常の宿泊所としてはあり得なかった。
丸形のベッドに枕が二つ。ランプは下に有り、灯せばムードが漂いそうだ。
やたらと大きな鏡まで有る。
「では、ごゆっくりと」
支配人がドアを閉めようとしたので、手を滑り込ませ止めた。
「チェンジで!」
「ここ以外のお部屋は空いておりません、ご容赦下さい」
ドアが閉まり、こんな部屋で二人きりになってしまった。
俺が高い宿を選んだ理由は三つ。
青葉と落ち着いて話をしたかったこと、青葉の身体では、柔らかい敷物がないと痛むこと。
なにより、滋養のある食事をとって欲しかったから。
なのに。
こんなことになるとは思いもしなかった。
食事までお願いした以上、出ていくわけにもいかない。
「シュウ兄」
ドアの前で動かない俺に、青葉は声を掛けただけ。
だけなのに、無駄に緊張する自分がいる。
「ど、どうした青葉?」
「シュウ兄は。やっぱりすごいよ」
青葉は部屋に関して、なんとも思っていなかった。
それどころか、不幸にした張本人である俺を、褒めていた。
「ぼぅも言葉は分かるけど、シュウ兄みたいにはしゃべれないよ。それにシュウ兄は、ぼぅみたいなのを、こんな立派なホテルに泊まらせてくれるんだもん。……昔からぼぅは、シュウ兄に助けてもらってばかりだね」
青葉の笑顔と言葉に、俺は我慢できなかった。
「……青葉。俺のせいで苦労したのに……。ごめん、ごめんな……」
年を取ると涙脆くていけない。
「どうしたのシュウ兄? なんで泣いてるの?」
心配した青葉は俺に近寄り、背伸びをしながら頭を撫でてきた。
「落ち着いてシュウ兄。ぼぅはシュウ兄のせいだなんて思ってないよ。ぼぅたちはシュウ兄に助けられたんだよ」
青葉を助けるつもりだったのに、救われたのは、――俺だった。
俺が立っていると青葉は座ろうとしなかった。
この部屋はベッドの他に座る場所が無いので、仕方なくベッドに腰かけた。
青葉は俺が座ると、隣にちょこんと座った。
暗くなったからランプに火を灯したが、そのせいで部屋のムードはかなり可怪しい。
俺は馬鹿か? 何を意識してるんだ?
「……シュウ兄? ドア、ノックされてるよ?」
ノックの音にさえ気づいてなかった。
気を取り直しドアを開けると、メイドさんがキャスター付きのワゴンの前で待っていた。
彼女は一礼して部屋に入ると、ワゴンを置いてすぐに出ていった。
持ってきたワゴンには、銀の食器に盛られた高そうな料理が、二人分並んであった。
牛乳のようなもので煮込まれたパンと、野菜がたくさん入ったスープに、ソースの掛かった厚切り肉。
食事を優先することにした。
青葉は美味しいと言いながら食べてくれたが、ほとんど残していた。
その上、全てを平らげた俺より、食事に時間が掛かっている。
「ごめんねシュウ兄。こんなにすごいのを頼んでくれたのに、ぼぅは食べきれなかったよ……」
「いいんだ。食べたくなったらすぐに言えよ。また頼むからな」
ワゴンを部屋の奥に持っていき、俺は青葉の隣に戻り本題に入ろうとした。
彼女がどうしてこうなったのかを。
訊きたいことは山程ある。
年齢のことはもちろんだが、何より訊きたいのは。
――あの骨は、誰だったのか。
無人島にあった骨は一つだ。青葉がここにいる以上、どちらかの骨なんだ。
可能性の有る二人の名は。
京道若葉と、泉アント。
京道若葉と京道青葉は双子である。だから俺は二人とも男の子だと、勘違いしたのかも知れない。
もう一人の泉アントは、二人より年上で日本人とインドネシア人のハーフだった。
二人のうちどちらかが、あんな場所で朽ち果てたことになる。
俺は訊かなければいけない、いけないが……。
あれは誰の骨だ? などと、青葉には訊けそうもない。
目の前で死んだのかも知れないんだ。青葉のことを考えると、簡単に訊けることじゃない。
そう、思っていた。
「シュウ兄はどうしてここに?」
青葉は俺を見つめながら、思ったことを訊いてきてしまったようだ。
「……俺は」
動揺した俺を、青葉は見抜いてしまう。
「……もしかしてシュウ兄も、あの島に連れていかれたの?」
誤魔化すことは出来なかった。
「……そうだ。あの島から、俺はここに来た」
「……じゃあ、じゃあさ。シュウ兄は、アン兄のあれも知ってるの」
苦しかった。
青葉が精一杯、震える声で喋っていたから。
だから、俺は彼女を抱き締めて言葉を遮った。
「……もういいよ。もう十分だ青葉。辛かったよな。アントが死んで苦しかったんだよな。それ以上は喋らなくていい。今日はもう休もう」
抱き締めた青葉を、ゆっくりとベッドに寝かしつけた。
「……シュウ兄。ごめんなさい。ぼぅはね、助けられなかったの」
青葉は横になりながらも、両腕で自分の顔を覆ってボロボロ泣いていた。
次第に嗚咽が酷くなり、青葉はバスルームに駆け込んだ。
「青葉!」
青葉のことを考えると、どうすべきか迷ったが。
不安には勝てず、バスルームのドアを開けた。
青葉は食べたものをすべて、吐き出してしまっていた。
――外傷後ストレス障害。
PTSDと呼ばれている。
俗に言ってしまえばトラウマだ。
「……ごめんなさい。シュウ兄がせっかく、ごちそうしてくれたのに。ぼぅは、全部……」
堪らなかった。
怒りなのか、悲しみなのか分からない。
行き場の無い感情が、俺の中で渦巻いていた。
「いいんだよ青葉。食べ物なんていくらでも用意するから、食べられるようになったら、いくらでも食べればいい」
「ほんと?」
振り向いた青葉に、俺は無言で頷いた。
青葉をベッドに運ぶと、すぐに眠ってくれた。
青葉の寝顔を眺め、俺は決意した。
必ず、立ち直らせる。と。
そう思うと、頭の中に白隠の顔が浮かんできた。
「話させろ」
そんなことを言われた気がした。
音がして目が覚めた。
どれくらい寝たのだろうか? 深夜なのは間違いない。
辺りは静まりかえっていて、その音はとても響いていた。
水漏れに近いが、時おり、軋むような音もする。
青葉を起こさないように、音源を探そうとして気づいた。
青葉が居なかった。
俺に気づかれず、青葉は消えていた。
一気に目が冴え、汗が吹き出した。
音はバスルームから聞こえ、部屋のドアも半開きだった。
バスルームのドアを、破壊しそうな勢いで開け見てしまった。
「……シュウ兄。……見ないで! ぼぅを見ないで!!」
絶句した。
声を出したくても出せなかった。
青葉の周りには血溜まりが出来ていて。
血溜まりの『元』を、青葉が食べていたから。
青葉はバスルームで、人を食べていた。




