四十六話 金銭
目覚めると暴力がそこに有った。
――アンナが隣で寝ている。しかも、裸で。
声が出そうになるのを押し殺し、ベッドから転がり落ちて急いで部屋を出た。
ギリギリだ。
俺は理性を振り絞り脱出した廊下で、壁にもたれながら頭の中をルナでいっぱいにした。
ルナの泣き顔を想像しただけで、欲情は薄れる。
滾りが収まるまで考え続けたせいで、愛娘に会いたくてしかたがない。ルナだけじゃなく、フィオにも。
無理なことは分かっている。それでも会いたいと思ってしまう。
壁に寄りかかりため息をついていると、剣を持ったデュバルが部屋から出てきた。
「これはシュウ殿。お早うございますね。しかし、何故通路にいらっしゃるので?」
「よく分からないけど、部屋にアンナがいたから逃げてきた」
デュバルはすぐに頭を下げ謝罪した。
「アンナは酒に酔うと人肌を求め、部屋に侵入してしまうのです。女人嫌いのシュウ殿には不快でしたでしょう。誠に申し訳御座らん」
女人嫌い? 勘違いなのだが、そういうことにしておいた。
「頭を上げてくれ。ところで、デュバルはこれから稽古でもするのか?」
「はい。よろしければシュウ殿も如何でしょう?」
気分を紛らわせるには、運動こそ最適だ。
俺はデュバルに付いていき、宿舎の裏でデュバルと手合わせをした。
この世界の住人は、素手での戦いが好きなようだ。
デュバルは剣の使い手でありながら、何度も素手で挑んで来る。
勝敗を分かりやすくするために、極力投げ技で対応していると、起き上がりながらデュバルが会話してきた。
「流石ですね。魔物を仕留めたその闘技、某では何をされているかも分かりません」
「ありがとよ。デュバルもなかなかいい線いってるよ」
デュバルの型は、掴むことも視野に入れたボクシングのようだった。不得手な格闘戦でありながら、的確に急所を攻め、重心を崩そうとしていた。
あきらかに、誰かから習得した動きだ。もしやと思い訊いてみた。
「もしかしてその格闘技術を教えたのも、マスケラさんなのか?」
「よくお分かりになられましたね。ですが、マスケラ様は運動が苦手であったそうで、あくまで伝えただけで御座います」
本当に何者なのだろうか?
「しかし。折角習った技術もシュウ殿の前では形無しです。こうもポンポン投げられては、ジュニア様に笑われてしまいます」
「ジュニア?」
「はい。今は亡き、マスケラ様のご子息です」
「子どもがいたのか!?」
冷静に考えれば当たり前のことだった。俺が出会ったどの人族も、地球人となんら変わらないだから。
結婚し子どもを産んでも不思議はないのだ。
――俺には考えられないことだが。
「ではシュウ殿。もうひとさし」
「あ? ああ。提案なんだけどさ。剣を使ってもらってもいいか?」
「はい?」
「デュバルは剣士だろ? 剣がない剣士に勝っても意味が無いからな」
侮辱をするつもりはなかった。無かったのだが。侮辱に聞こえたのだろう。
「某の闘技では、物足りないと仰られるか……。いいでしょう。お相手致す」
機嫌を損ねたデュバルは剣を抜き、物騒なことを告げてくる。
「切らぬ所存では御座いますが、手元が狂った場合はご容赦下され!」
いい終えると同時に、デュバルは両刃の剣で突いてきた。
切る切らないの問題ではない。刺さる。
刺突は厄介なんだ。刃の向きに注意しなければ、躱したところで切られてしまう。
刃が横なら下に、縦なら左右に躱す。これを繰り返し反撃の準備をする。
するのだが。間合いが遠く反撃が難しい。
だから、剣を掴んだ。
「なっ!」
驚いた隙をつき、蹴り足をデュバルの目の前で止めた。
「そこまで!」
知らず知らずのうちに熱くなっていたらしい。ケイオスとアンナが来ていることに気づかなかった。
ケイオスが動き出すより早く、彼女が怒りながら向かって来た。
「二人とも何を考えているのですか!」
怒るアンナを見て、ケイオスは止まった。
「特にシュウ様! なんて戦い方ですか! 怪我をしたらどうするんですか! 法術師は多くないのですよ! って聞いてます!」
朝の出来事が脳裏をよぎってしまい、俺はアンナを見れなかった。
「まったく! 手だってこんなに怪我してるじゃないですか! デュバル! シュウ様の治療分はあなたに面倒みてもらうわよ!」
「待ってくれアンナ、この傷はデュバルじゃない。俺自身が馬鹿をしてつくった傷なんだ。デュバルは悪くない」
「えっ?」
アンナは俺の手を取り、傷の状態を確認しだした。
「ちょっ!」
手を引っ張ってみたが、がっちり握られていて離れなかった。
「暴れないで下さい。まったく、無茶し過ぎです。治療致しますので、大人しくしていて下さい」
アンナは呪文を唱え、傷を治してくれた。
真面目なアンナを見たお蔭で、色欲は色褪せていった。
「……呪文は一緒なんだな」
「森の民とですか?」
「ああ」
「それはおそらく。意図的に共通語の呪文しか使わなかったか、詠唱者が神言を伝授されていなかったかの、どちらかでしょう。」
嬉しい知らせだった。
少なくともルナだけは、俺に嘘をついていないと分かったから。
嬉しく思っていた俺に、非情な現実が待っていた。
「ではシュウ様。お代のお支払いを?」
「……お代?」
「なんーて冗談です。シュウ様が法術を頼りに戦っているようでしたので、戒めるつもりで言ってみたのですが……。シュウ様? どうか致しましたか?」
驚いたまま固まった俺を、三人は不安げに見つめていた。
そりゃあ動けなくもなる。
金銭など、一円たりとも所持していないのだから。
「そうでしたか。ですが心配には及びません」
ケイオスは小さくも頑丈そうな小袋を金庫から取りだし、俺の手に握らせた。
数分前。俺は三人に無一文であることと、緑大陸の生活に貨幣が存在していなかったことを告げた。
ケイオスがそれは丁度良かったと、俺を自室に案内し今に至る。
「これは?」
「我が国の貨幣です。中をご確認下さい」
俺は中を見る前に突き返した。
「もらう理由が無い。この貨幣の価値は知らないが、これは税金だろ? 誰かが苦労した金を、金が無いくらいで貰えない」
ケイオスは驚いたあと、嬉しそうに理由を話し出した。
「これはシュウ殿が倒した魔物の報酬です。魔物は討伐対象であると同時に、貴重な鉄でもあります。ご安心してお受け取り下さい」
「鉄が、貴重?」
「左様です。鉄は魔物からしかとれない、貴重な金属です。しかもシュウ殿は鉄のほとんどを損なっておりません。正直に申せば、これでも少し足りないくらいです」
受け取らない理由は無く、俺は突き出した手をゆっくり戻した。
「ありがとうケイオス。大事に使わせてもらうよ」
おそるおそる中を確認してみた。
中には銀貨が一枚と銅貨が一枚。残りは二十枚の金貨だ。
額は知らないが、大金だということだけは分かった。
貨幣の価値を知らない俺に、ケイオスはおおまかな説明をしてくれた。
銅貨=百円。
銀貨=千円。
金貨=一万円。
といったところだ。
「大事なのは交渉です。シュウ殿は文字をご存知無いのですから、せめて数字だけでも知っておいて下さい」
ぼったくる商人がいるようで、ケイオスは丁寧に説明してくれたのだが。
数字は、日本と同じだった。
世の中には識字率というものがあり、日本ではあり得ないことだが、世界では喋れても書けない人が大勢いる。俺は喋れるが書けない設定のため、驚くわけにはいかなかった。
数字を教えてくれたケイオスに礼を言い。出発の準備に取りかかった。
といっても、荷物は彼らが用意した衣服と通行証だけ。
準備を終えた俺は、最後に村の人たちに挨拶をし、もう一つの洋風建築を訪れた。そこは法術師のアンナが、病院の代わりとして使う施術院だった。
アンナに別れを告げると、法術を頼らないよう散々注意された。
途中で骨折をした村人が訪れたため、アンナとはそこでお別れになってしまった。
ケイオスとデュバルが待つ村の入り口へ行くと、可怪しな馬がいた。
身体は通常の馬なのだが、顔だけは鷹。訂正しよう、鳴き声も鷹だ。
二人が言うにはこの馬はヒポという種類らしく、帰巣本能が高いらしい。なので、俺が目的地である港町カロッドに乗って行っても、自力で戻って来るらしい。
ヒポを乗りこなせるか不安だったが、赤飛より乗りやすかった。
二人に礼を言い、俺はリンガをあとにした。
ヒポは速く、暗くなる前に港町のカロッドに辿り着いた。
カロッドはシャイタンによく似た町並みで、石と煉瓦が目立つ造りをしている。シャイタンより遥かに、規模も建築物も大きい。
ヒポから降り軽く尻を叩くと、ヒポは来た道を戻っていった。
町に入ろうとすると門番に止められたが、ケイオスからもらった通行証を見せれば問題なかった。
町中には案内板やら、至るところに文字があるがやはり俺には読めなかった。
道行く人に港を教えてもらい、早速緑大陸に帰るつもりだったが。
――駄目だった。
乗船所で話を聞き、唖然とした。
「兄ちゃん。緑大陸への渡航は七日も掛けて行くんだ。しかも兄ちゃん以外に行きたい奴は居ない。最低でも金貨百枚は無いと話にならないよ」
金欠。
そんな理由で、俺は帰ることが出来なかった。




