四十四話 魔物
目の前で恩人を殺されておきながら、俺は恐怖していた。
一歩ずつ後退り、距離を取る。そんな自分が情けないと思う。でも。
俺は死ねない。
言い訳にしかならないのは分かっている。でも、俺は死ねない。ルナに会うまでは、絶対に。
俺は奴が怖い。
未知だから。分からないから怖いんだ。
熊や虎とやった時とは勝手が違う。何を防ぎ、どこを攻めるか。知っているということは、対処が可能なんだ。
奴は違う。
勝ち方が分からない。どう戦えばいいのかも分からない。打撃は効かず、掴まれれば終わる。とても戦える相手ではなかった。
だから、俺は逃げた。
奴は白隠の死体から流れ出る血を浴びながら、遊んでいた。
その隙に逃げた。
弱肉強食の掟さえ忘れて。
掟は奴にも当てはまる。
ガシャガシャと音を立て、奴は俺を追ってきた。
幸い村は目の前にあり、奴の動きは遅い。
村に行けばなんとかなる。と、甘い考えでいた。
村人が見え助けを求めようとしたが、彼らもまた、恐怖に囚われてしまった。
俺の後ろから迫る奴を見た村人たちは、悲鳴を上げ逃げ出した。悲鳴を聞きつけ増えた村人たちもまた、次々とパニックを起こし我先にと逃げている。
他の人たちなど関係ない、自分が助かるんだと。
パニックの村人の中には当然、子どももいる。
訳が分からない子どもは、最悪の行動に出た。
奴の進路上で立ち止まり、泣いてしまった。
村人たちのパニック、子どもの危険、俺は少しだけ冷静になれた。でもそれだけだった。
子ども。見殺し。ルナ。
フィオ。誓い。約束。
冷静になった途端、記憶が走馬灯のように駆け巡る。子どもが危険だというのに俺は、迷ってしまった。
踏み出せないでいる俺に、奇跡が起きた。
「シュウ」
夢だと思った。
「……白、隠」
瞬きをした次の瞬間、目の前に白隠が居たんだ。
半透明で、今にも消えてしいそうな白隠が。
「約束を果たせ」
それだけを残し、白隠は風のように消えていった。
一言だけ。
十分だ。たった一言が、俺を変えた。
俺は、白隠の意思を継ぐ。
覚悟を決めたその時から、恐怖を感じなくなった。
俺は泣いてる男の子の前に立ち、背中越しに話しかけた。
「もう泣くな。おじさんがすげぇものを見せてやるから」
恐怖に怯え動く身体と、恐怖を克服した身体は、何もかもが違っていた。
あいつに代わるまでもない。
「見ててくれ、白隠」
この世から旅立ったであろう彼に向け、俺も一言だけを残し、駆け出した。
村には入れさせない。
走り接近する俺を、奴は掴み掛かってきたが遅すぎた。胴体を掴むように振るわれた腕。その豪腕を跳躍で飛び越え、飛んだ勢いをそのままに、顔面へ飛び蹴りを食らわせた。
蹴りは、真っ当に奴の顔面に当たったが。
「ちっ」
着地後は即、バク転とバックステップで距離を空けた。
金属音が鳴り響くも、ダメージは皆無だった。
けれど報酬は有った。
身体の構造だ。
奴には首が無い。頭と身体が外骨格で繋がっているせいだろう。
弱点は観察さえすれば、次々と分かっていった。こんな奴に恐怖し、白隠を見殺しにした自分が情けない。
奴の関節は稼働域が狭く、死角が多い。速さで翻弄すれば、俺が捕まることは無い。
「オオオォォォォォ!!」
自分の弱さを掻き消すように、咆哮をあげながら、奴へ連打を仕掛けた。
スタイルはボクシング。運足を生かし、着実に重い一撃をお見舞いしていく。
死角から殴ることを徹底し、ダメージが有る場所を捜す。フックとストレートを繰り返し、決定打を探し続けた。
奴の反撃を掻い潜り、俺が一方的に攻める形にはなっていたが。
先に悲鳴を上げたのは、俺の拳だった。
岩を殴り出来た傷が、再び裂けてしまった。
愚かな自分が忌々(いまいま)しい。
悔しいが後退した。
攻撃の手を休めた俺を、奴は追いかけもせず見定めるように凝視するだけだった。
両目で俺を見ていた奴は、次第に片方の目を、子どもに移していった。
笑うように空気音を鳴らし、奴は、俺に背を向け走りだした。
「てめぇ!!」
怒りが込み上げる中、奴の後頭部に走る亀裂を見つけた。
「あれは……」
脳裏には、岩を押し倒す白隠の姿が蘇る。
「ありがとよ。白隠」
奴の背中を追い掛け走った。
奴に止めを刺しに。
のろまの奴は、簡単に追い付かれ背中を差し出した。
俺が奴に抱きつくと、なんだといわんばかりに不思議そうに、二度空気音を漏らしていた。
密着した俺は両腕は奴の胴体に回し、勢いよく後ろへ倒れ込む。かなり重いが奴の身体はバランスが悪く、膝裏を崩してしまえば簡単だった。
地面に橋を掛けるように、俺は奴を投げ伏せた。
ジャーマンスープレックス。
プロレスで使われるこの技は、場所を選べばかなりの殺傷力だ。
ここは荒野、石や岩などごろごろしている。コンクリートなどより遥かに質が悪い。
加えて奴の自重。
金属の外骨格であろうと、ひとたまりもない。
無論、油断はしない。
反動を利用し、抱きついたまま奴の頭に立ち。
「もう一丁!」
言葉とは裏腹に、何度も何度も奴の頭を砕くまで投げ続けた。
投げる度に、鐘のような音が響いていた。
息を荒げながら、見下ろした奴の姿は。清涼飲料水の缶を潰したように、頭の形が変わっていた。
俺は奴から離れ、白隠の元へ歩きだした。
無惨だった。
俺は泣きながら、彼の身体を集めた。
彼の身体を集めていると、声がした。
「もしよろしければ、お手伝いさせて下さい」
振り返ると、三人の騎士がいた。
彼を探す俺の高さに合わせ、屈みながら声を掛けてくれた女性と、二人の男。
三人とも銀の甲冑を身に纏い、甲冑の胸には剣の紋章が刻まれていた。
観察しながら何も言わない俺に、彼女は自己紹介を始めた。
「わたしはアンナと申します。シアット王国の民を守るために、各地に派遣された正式な騎士団です。どうか、わたしにも白隠さんを弔わせて下さい」
アンナと名乗ったショートカットの女性の眼は、今にも泣き出しそうだった。
「私はケイオスと申します。アンナは特に白隠殿を慕っておりました。彼女だけでもどうか、手伝わせてやって下さい」
三人のリーダーだろうか。他の二人は二十代くらいの年齢だが、この人は四十代くらいに思える。
「某はデュバル。加勢もせず、頼みごとをする無礼は承知の上です。お許し頂くためなら、某は首を差し出しても構いません」
最後の一人は女性なんじゃないかと思うほど、綺麗な男だった。
自己紹介をしてくれた三人に、俺も軽く挨拶をし彼らの頼みを聞き入れた。
彼らに手伝ってもらい、俺は白隠と最後の別れを告げた。
土に埋まり逝く彼の顔は、笑顔だった。