四十話 フィオレ
赤飛は走り続けてくれた。
そのお蔭で、夜になる前にシャイタンが見えた。
余裕は無かった。太陽は水平線に差し掛かっていた。
シャイタンは籠城も視野に入れ造られた街だ。城門のような門が有り、容易くは入れない。無論門番もいる。
作戦もクソも無い。
「ルナ、赤飛を頼む」
「え?」
しがみ付いていたルナの手を掴み、馬上の上を後ろから前へと移動させた。大剣を振り回すように半円を描いて。
軽いルナだからこそ出来ることだ。危なくないように細心の注意をはらっていたが、ルナの翼は小さく折り畳まれていた。
「ごめんな、赤飛は任せた」
ルナに手綱を託し俺は赤飛から飛び降りた。
真っ直ぐ門へと駆け出し、門番へと詰め寄る。
門を開けさせる。従わなければ――殺すまでだ。
「何者だ! 貴さ、ま……」
威勢がよかったのは最初だけだ。
俺が何者か分かった途端、二人の門番は悲鳴を上げた。
「丘の怪物だー!!」
一人は逃げ出し、一人は腰を抜かしていた。
動けなくなった門番の胸ぐらを掴み、詰問した。
「おい! 俺が来る前に女を通しただろう!? そいつはどこに向かった!」
助けてとしか言わないので、笑ってやった。
泣きながら、門番は居場所を告げ門を開けた。
街の中の通路は石畳になっている。馬の蹄ではキツく、何より目立つ。兵士が来ては面倒になると思い。
門番に赤飛を預け、ルナを抱き抱え走りだした。
門番は言っていた。
女は港に向かった。女が乗っていた馬の背には荷物があり、白い翼が見えた、と。
前に潜入していて良かった。迷わず街を走り抜け、最短で目的地に到着した。
煉瓦と石を精妙に組み合わせ、人力のみで造り上げたような港だ。
魔法の力は使っているのだろうけれど。
漁業用の港なのだろう。小舟が多く、大きい船などはない。多くの船には布がかけられ、隠れるのに最適だった。
あの女はどこかに潜んでいる。
しらみ潰しに見ていく覚悟はあるが時間が無い。太陽が沈めば逃げられる可能性が飛躍する。
「シュウさん、あれ!」
ルナを連れて来たのは正解だった。
抱き抱えられたルナは俺とは反対側に気を配り、ズレを指さしていた。
魔法に不慣れな俺では見抜けなかっただろう。
僅かに空間が歪み、ズレていた。
歪んだ空間は移動していき、波止場の先にある、煉瓦造りの建物に消えていった。
建物のドアは風に煽られたように開き、閉じられていない。
急ぎ建物に向かった。
可怪しな建物だとは思っていた。
波止場の先に、一件だけ建てられているのだから。
それだけじゃない。近寄ると、最悪の臭いが鼻を刺激した。
腐臭。
嫌な予感しかしない。
建物の手前でルナを降ろし、強い口調で命令した。
「ルナはここで待ってろ」
「嫌です!」
「ルナ! この先は不味い! この臭いで分かるだろ!」
「臭いがなんだって言うんですか!」
俺の手を振り払い、ルナは建物に入ってしまった。
「馬鹿!」
追いかけ、ルナの視界を覆った。
ルナは悲鳴すら上げず、口を開いたまま立ち尽くしていた。
ルナの眼を覆うまで、たった数秒のはずだ。
たった数秒で、ルナは心を見失った。
檻に閉じ込められたまま、衰弱死した亡骸。
枯れ枝のように痩せ細った四肢なのに、お腹だけが異様に膨らみ死にかけている子ども。
隣の檻から、息絶えた亡骸を狙う獣。
誘拐、人身売買、密輸、奴隷。
頭に浮かぶ単語はどれも、存在不要ものばかり。
ルナは利口だ。大人よりも頭がいい。けれどこの現実は、子どもには耐えられない。
俺だって、ルナがいなければここまで正気ではいられなかった。ルナがいるから正気を保ち、ルナを外に追いやれた。
開け放たれていたドアを閉め、向かい側にある出口へと走った。
……被害者たちを見ないように、全力で。
出口の先には何も無かった。
積み荷を運搬するようなスペースがあるだけだ。
「シュウさん! 海です! 歪んでます!」
ルナが大声で、建物の向こうから教えてくれた。
眼を凝らせば分かる。光を屈折させ、隠れている何かが。
「見つけた!」
辺りに有るのは小舟ばかり、見えづらかろうと関係ない。
追い付いてみせる。
上着を引きちぎり、海へと飛び込んだ。
一瞬、心臓が凍りついた。
寒さにやられそうになりながらも、それでも泳ぎ身体を暖めた。
息継ぎの瞬間にルナが見える。何かを訴え、俺の正面を指さしていた。
指し示された正面を見ると、隠すのを止めた小舟が姿を現していた。
小舟からは、俺を見つめる人物がいた。
見覚えのあるその人物には、歯が無かった。
俺を見つめる表情は殺意に満ち、今にも飛び掛かってきそうだ。
実際そうしたかったのだろう。けれど、彼女は小舟の船頭と揉めていた。
彼女だと分かり泳ぐ動作が止まっていた。
「シュウさーん!」
遠くからの叫び声で我に帰る。
またもルナは俺に何かを教えていた。
指し示すその方向からは、突如としてタンカーのような、木造の大型船が出現していた。
「……そんなのありかよ」
金属製ではないというだけで、大きさも迫力もタンカーと変わらないだろう。
大型船が出現した途端。小舟から青白い光が、魔法光が点った。光は小舟周りの海へと消え、速度を上げた。
「くそっ!」
距離が開いたことで、小舟の積み荷が見えた。
積み荷の脇から出ていたんだ。
横たわる――白い翼が。
「フィオ!!」
大声を出しても返事は無く、暴れる様子もない。
俺は都合良く考える。誘拐なんだから殺されてなどいないと。
速度を上げた小舟には届きそうもない。
距離は離されていき、小舟はタンカーの元へ辿り着いた。
それでも俺は泳ぎ続けた。
港から離れ、ルナが港に居るかどうかも分からなかったが、ルナならきっと大丈夫だ。そう思い。覚悟を決めた。
フィオを助けるまでは泳ぎ続けると。
泳ぎ近づいていくと、タンカーからスピーカーを使ったような声が響いた。
声は野太く荒々しかった。
「おいおい、尾けらてるじゃねえか」
小舟とタンカーが揉めていた。
小舟の声は聞こえもしないが、タンカーの声は一方的に聞こえてくる。
「小遣い稼ぎで身を滅ぼすなんざアホがやることだ」
可怪しなことになっていた。
「死んで詫びろ!」
泳ぐのを止め、凝視した。
タンカーの甲板から、魔法光が点っていたから。
魔法光は空中で炎に変わっていき、小舟に向かい、放たれた。
呆気にとられていた。
海の上で、小舟から火柱が上がっていたから。
「フィオーーーーー!!」
頭より先に身体が動いていた。泳法もクソもない。ただ泳ぎ続けた。頭の中はフィオでいっぱいだった。
何の罪も無い、ただの少女であるフィオが燃やされた? 間違いだ。絶対に間違いだ。フィオが燃やされる理由は無い。
燃やされていいのは俺だけだ。
視界に再び、魔法光が映った。
光は空中で土に変わっていく。土の塊が形成され、小舟へと向かい。
「やめろーーーーーーー!!」
落下した。
海に潜り、淡い希望を抱いた。生きていればなんとかなる。港にはルナがいる。生きてさえいれば。と。
俺の視界に、焼き焦げた細い腕が見えた。
――終わった。
泳ぎを止めれば、身体は勝手に浮かんでしまう。
水面に出ると、野太い笑い声が響いていた。
「…………てやる」
絶望は消えた。代わりに俺の中は全て、ドス黒いものが支配していた。
俺はあいつの気持ちを理解する。
「……殺してやる」
憎しみ。
「ぶち殺してやる!!」
それだけが、俺を生かす全てだった。
タンカーに向かい泳ぎだし、襲撃した。
喚いて叫びながら船の底を殴りまくった。
笑い声が響く。
「おい、兄ちゃん。壊せそうか?」
びくともしなかった。
それでも俺は船底を殴り続けた。ふやけた拳から血が出ようとも殴り続けた。
あいつとは交代せずに。
これは俺の憎しみだ。歯を鳴らしたりはしない。あいつでは意味がない。俺は俺のままで、奴を殺す!
……でなければ、フィオに顔向け出来ないから。
「おら! 野郎共出航だ! あの客も丁重に運べよ」
奴が命令すると、波が動き出した。
船底に居る俺を荒波が襲う。
船は波を動かし進んでいた。魔法の力なのだろう。俺ごと辺りの水流を操作し、沖合いに出てしまった。
陸はどこにもない。
それでも俺は力の限り殴り続けた。
二日間殴り続けた俺は力を使い果たし、止まってしまった。
俺はフィオの幻覚を見ながら、タンカーのそばで海を漂い続けた。
薄れていく意識のなか、青空は残酷なまでに綺麗だった。
一章 了




