四話 牢獄
目の前で、俺が殺されていた。
十歳くらいの子どもが馬乗りになり、何度も俺をナイフで刺している。
俺はぴくりとも動かなくなり。死んでしまった。
ナイフの子どもはゆらりと立ち。死んだ俺ではなく、俺自身へと向き直り。
「なんでお前なんだよ」
飛び起きた。
心臓が高鳴り呼吸は乱れ、汗までかいていた。
生きた心地がしない。周囲を見廻し夢だと分かり、ようやく安心した。
安心してから、ここが全く知らない場所だと気づいた。
一目で岩肌と分かる壁が、上と左右と前にも及んでいる。
後ろには蝋燭の灯りと、檻。
太い木材を十字に組合わせ出来た檻だ。
床には藁が敷き詰められ、絨毯の役目を担っている
「牢獄……。なのか」
飛び起きたせいなのか、隣にこんもりと藁の山ができていた。
横から純白の翼を生やした山が。呼吸で肺が動くように、静かに動く藁の山。
その翼には見覚えがあった。
色んなことがありすぎて、何がなんだか分からない。
どれが夢でどれが現実なのだろう。汗を拭った掌を見ると傷が無い。
「は?」
スマホを潰し出来た傷跡が分からなくなっていた。
左肩。記憶通りなら剣で切られているはずだ。右手で肩を撫でてみるも、やはり傷跡すらなかった。
死ぬかと思った身体の不調も治っている。訳が分からない。何が夢で何が現実なのか。
頼るべきではないし頼っても仕方ない。けれど他に知る術がない。
ゆっくりと、隣に出来た藁の山を払ってみる。現れたのはやはり、銀の少女だった。
気持ち良さそうに寝ている。けれど起きてもらわないと。
「ごめんな」
こちらを向きながら横向きに寝ている少女の肩を、優しく揺すった。
寝言のようなうめき声を出し、片目を開いた。
起きている俺を確認すると、目を擦りながら少女は起き上がってくれた。
目を擦り終え呆然と見つめ、にっこりと太陽のように笑う。
胸が締めつけられるのを感じ、まともに少女を見ていられない。
そんな俺を無視して少女は顔を近づける。
観念し、彼女に目合わせた。彼女の銀色に輝く瞳と。
吸い込まれそうになった。実際、何かが往き来したと思う。青白い、光のような何かが。
「今のは?」
思わず訊いていた。他に訊くべき多くの質問も忘れて。
微笑みながら少女は、首を傾げるだけだった。
記憶を遡り思い出す。この子とお姉ちゃんとの、知らない言語の会話を。
「俺の言葉。分かるかい?」
傾げた首を反対側へ移すだけだった。
駄目か。
両手で自分の髪をかきあげ、精神を落ち着かす。
何が大事なのかを考える。
一番確認したいこと。ここはどこ。今は一番ではない。君は誰。それも違う。
現実がどうか。……それが一番だった。
間違いなく現実だといえるのは、撃たれるまでの記憶だけ。
施設の連中ならば、夢の操作くらいはできそうだ。麻酔で眠らされ、現実の俺は人体実験をされているのかも知れない。
などと、思考の渦に囚われていた。けれど思考は無理矢理閉じられた。
『だいじょうぶ?』
脳に直接文字が浮かんだ。
少女を手繰り寄せ、抱き抱えながら周囲を確認する。
俺と少女以外に誰もいない。そもそも今のは、耳を通って聞こえたのではないと思う。
聞こえる音はせいぜい、藁から出るほうきで掃いているような音だけだ。
誰もいないことを確認し少女を解放すると、文字の出所が判明した。
『どしたの?』
また脳に文字が浮かんだ。子どもが発しているような、ひらがなばかりの文字。
自然と少女へ視線を移す。
君なのか?
言葉に出したわけではない。彼女の瞳を見つめ、思っただけなのに。
『そうだよ』
返事が浮かんでいた。
六歳程の少女と見つめあう、という不思議な光景が続いた。
多くのことを訊いた。けれどやはり子どもだった、細かなことは分からなかった。
少女の名はフィオレ。ここはじっちゃんの家。そしてここは、死後の世界ではないということ。
今は、自分の愚かさを悔いている。
俺は死んだのかな?
フィオレを見つめ強く思う。
『へんなの。おにいちゃんいっぱいおはなししてるのに』
俺はほっとしていた。
何が楽しいのか。あぐらをかいてる俺の膝に手をついて、揺さぶったりして遊んでいる。
何気ないフィオレの行為。だからこそ、現実感が増した。
彼女の温かさや重さ、子どもらしい振るまいや無邪気さ。これが嘘であるわけがない。
さらなる確信を得るために、してしまった質問。
死んだらどうなるのかな?
フィオレの動きが止まり、俯いてしまった。
どうしたのかと、身体を折り曲げ顔を覗く。
口を少しへの字にし、悲しそうな表情を浮かべていた。
覗いた俺と視線を合わせると、答えてくれた。
『あのね。……木になるんだよ』
木?
『うん。おねえちゃんがいってた。あたしのおとうさんとおかあさんも、まだちいさいけど。おっきな木になってあたしをみまもるって』
馬鹿だった。フィオレの情報の中に、両親の話はなかったというのに。自分が訊きたいあまり何も気づいてやれなかった。
「ごめん」
謝っても、言葉で伝わるわけではない。でも言わないわけにはいかない。
フィオレはそっと俺を見て、大きく頭を振っていた。
言葉は伝わらない。でも気持ちは伝わってくれた。
『いいよ。ゆるしてあげる』
文字をくれると、くるりと向きを変え翼を生やした背中向けたまま、あぐらの上に座ってきた。
作り物ではない、たしかな翼が腹筋に当たっている。やがて全身の体重も預けてきた。
「ヤクシ……」
聞きなれない言葉の後。
『おやすみなさい』
と、眠ってしまった。
フィオレの体重と陽射しの匂いが心地よい。
身動きはとれないが寧ろ都合がいい。頭の中を整理したかった。
夢だと切り捨てたことが夢ではなさそうだ。
死ぬ直前に現れた孔、意識が飛ぶ前の幻覚か何かだと思っていたが、あの孔をワームホールと仮定しよう。するとどうだろう、辻褄が合っていく。
暗闇空間は移動中。知っていたワームホールの情報とは全く違うが、体験者などいるはずもない。次元や膨大な距離といった未知なる空間を越えるのだ。失われる感覚、感じられない時間。何も不思議ではない。
意識を失わなければ、何かとんでもないものを見れたかもしれない。
ワームホールの出口。それがここだ。これは自信がある。
小説で読んだ覚えがあった。
地球を侵略しに来た異星人の話を。異星人の最大の脅威、それは兵器や人間ではなく地球固有の微生物。
ウィルスだ。
免疫を一切もたない異星人は、ウィルスに殺されてしまう。という話だ。
俺の体調不良と一致する。
助かったのはフィオレが言っていた、魔法のお蔭だろう。
傷跡すら残さない回復力。それで俺の免疫がこの星のウィルスを上回った。うん。一応筋は通る。
……嫌な汗が出る。
慌ててフィオレの額へと触れた。
ボブに近い髪型をした銀の髪をどかし、天使のようなこの子に触れてしまった。
俺ごときが触れてはいけないと我慢していたのに。血に濡れた手で、この子を汚してしまった。
それでも確かめずにはいられなかった。俺の菌がこの子に感染したらと思うと、こうするしかなかった。
俺の発症までの時間はせいぜい数分間。フィオレはすでに数時間は経っているだろう。
熱はなく、脈も定期的だ。
大きく息を吐いた。何事もなく深く安堵した。
のけ反って、フィオレは俺を見つめていた。
勝手に身体を触られれば起きてしまって当然だろう。小さいとはいえ女の子、嫌われたのかも知れない。
『おにいちゃん。あたしとおねえちゃんをたすけてくれてありがと』
そう言い、また瞳を閉じて眠ってしまった。
干上がった大地に雨が降ったように、フィオレの言葉が沁みる。
何も考えられなかった。
歯を食い縛り、上を向く。
――何より欲しい言葉だったから。
奪い失うだけの人生だった、なのに感謝なんて。
「俺のほうこそ……、助かってくれてありがとう」
寝てくれて助かった。大人の情けない姿を子どもには見せたくない。俺を慕うフィオレにはなおさらだ。
静かに眠るフィオレの横顔をしばらく眺めていると。上のほうから、自転車のブレーキに似た金属音が聞こえた。
ここからは見えない檻の向こう。その先から梯子を降りるような足音がする。
フィオレに触れないよう彼女の前に腕を翳し、檻の先を睨む。
檻の先から現れたのは、やたらと耳の上部が長いじいさんと、あの時いたもう一人の天使だった。