三十八話 叱責
パン、と。清々(すがすが)しいくらい綺麗な音がした。
ルナが、俺を叩いたから。
タイガが命令を聞いたことで俺は安心した。落ち着きを取り戻し、最初にまずルナの全身を確かめだした。
もちろん怪我の確認のために。
最初こそ恥ずかしそうに俺の作業を止めていたが、必死さが伝わったのだろう最後は諦めていた。
「あの、シュウさん。一つ訊いてもいいですか?」
「ごめん。明日になったら何でも聞くから今は我慢してくれ」
やるべきことは他にもあったからだ。 ルナには家の奥にある俺の部屋に行ってもらった。
死体を見せないためとはいえ、俺の部屋で申し訳ないと思う。
次に、タイガを庭に連れ出した 。
タイガは人を殺したが食べてはいなかった。とはいえ、人の味を覚えた可能性は捨てきれない。
「ここで待ってろよ」
と、庭に出て伝えたところ欠伸をして寝てしまった。
タイガの心配は無いと分かった。
最後に、俺は廊下の掃除を開始した。吐き気を堪えながら掃除をしているうちに、気がつくと朝を迎えていた。
丹念に手を洗いフィオの様子を覗きに向かう。襖を少しだけ開け観察したところ。
フィオは豪快に寝ていた。将来は大物になる。
心にゆとりが出来たところで、ルナが待つ自室に向かう。
普通に襖を開け部屋に入ると、ルナは寝ていなかった。布団は敷いておきながら、布団の上で体育座りをしていた。
俺が来たと分かり太股に埋めていた顔を上げ、睨んできた。
「どうしたルナ。寝てて良かったんだぞ?」
返事をしてくれない。
ルナの正面にしゃがみ、どうしたのか再度尋ねてみた。
「……シュウさんは、タイガが来なかったらどうしてたんですか?」
機嫌が悪いようだ。
俺としては上手くいった過去のことだから、どうでもいいと思っていた。
けどまぁ、茶化していい空気ではなかった。
「……あのまま刺しただろうな。刺して、ルナが助かるように動いたさ」
実際に考えていたこと。来ない可能性だってあった、嘘は何もない。
無言のままルナはゆっくり立ち上がり、俺に平手打ちをした。
「シュウさんのバカッ!」
さすがに避けたりはしなかった。いや出来なかった。
俺のために、怒っていると分かったから。
「……私だって嫌なの。シュウさんが私を守るように、私だってシュウさんに死んでほしくないの」
「でも」
「でもじゃないです!!」
びっくりした、驚いて尻もちをつくくらいに。
こんなルナは見たことがない。一緒に暮らし始めて分かったが、ルナは本気では怒ったりしないんだ。でも、今は本気だ。
一生懸命、泣きながら怒っている。
「シュウさんが大事なように、私にだって、フィオにだってシュウさんは大事なんです! 親なんです親以上なんです! なのにシュウさんはいつもいつも! 自分の命をなんだと思ってるんですか!!」
何度も何度も、ルナは頬を叩いてくる。
こんな暴力は始めてで俺は黙り込むしかなかった。
「シュウさんにまで死なれたら、今度こそ私、壊れちゃうもん……」
暖かな暴力は止まった。
ルナは俺のうえに倒れて、声を上げて泣いた。
泣き止まない彼女の背中を擦りながら。
正解かどうかは知らないけど、心に思ったことを伝えた。
「ありがとな、ルナ」
ルナを寝かしつけ、俺はアーツの元へ向かった。
アーツに殺されかけたことを報告すると、彼はすぐに行動に出た。
「シュウは二人のそばから離れないでくれ、今回はボクが出る。なに、手荒なことはしない。君みたいなことはボクには出来ないからね」
アーツは早朝にもかかわらず、出立の用意を始めた。
「暗殺なんて汚い真似は、他に打つ手がないからやるんだ。ボーグも、これで終わりだ」
これ。が切り札になるらしい。
暗殺者の生首が。
事実なら、吐き気を堪え取りに戻った甲斐がある。
荷物を携えアーツとともに村の外へ。
アーツが口笛を鳴らすと森の中から、一頭の馬が走ってきた。
黒光りする美しい毛並みをした。一角馬。
族長になったことで俺にも与えられたが、まだ乗れないでいる。春までには乗りこなしたいものだ。
ちなみに珍しい種類ではない。森の奥なら割りといるらしい。
馬に乗り、アーツは街へと旅立った。
アーツが無事帰って来た頃、雪が降りだした。
雪は降り積もり、街と村の行き来を阻害した。
冬の間は平穏だった。平和な時を、俺はたくさんの思い出を作った。
ルナに叱られ、フィオに遊ばれ、幸せな日々を送った。
夢のような日々だった。
間違いなく、俺の夢になっていた。
人が願う、夢に。
ルナがいてフィオがいる。それが何より幸せだった。
春を迎え、幸せは脆くも崩れさる。
悪魔と天使には、別れが待っていた。




