三話 出会い
何も分からなかった。
この人たちは、何。
鎧の人は街の住人で間違いない。ごろつき、と呼ばれる街人だ。
その人がどうして私を襲うのだろう。
フィオをなんで殴ったのだろう。かけがえのない、私が大好きな妹を。
フィオが殴られ、とっさに私もごろつきを叩いていた。
にやにやしながらごろつきは、私を叩き返した。
叩かれ、倒れるとごろつきが覆い被さってきた。
気持ち悪かった。目付きと呼吸と、なにより手つきが。
私の服を剥ぎ取ろうとしてくる。
助けてと空に祈った。だったらあの人は、空の使者なのだろうか。
そうとは思えなかった。闇の使者。それなら納得できそう。
黒く見たことのない材質の服装をし、黒い瞳に黒い髪をした。獣のような人。
言葉はわからないけれど、怒っていることだけはすぐに伝わった。
私を助けようとしていることも。
けれど、使者の動きは遅く、切られてしまった。
やられてしまったと思い、眼を逸らした。
ゆっくり片方ずつ、視線を戻してみた。
切られた使者は平気だった。それどころか切った側。ごろつきが痛み訴えている。
「えっ……」
私は固まっていた。
使者は、同じ人族でありながらごろつきを、――噛み殺してしまった。
恐怖でしばらく動けなかった。
視界には、苦しそうにうごめくなにかと、死んだように動かない使者が映っていた。
うごめくなにかが動きを止めた頃、私はようやく動けるようになった。
「……フィオ」
妹は無事だろうか。殴られて怪我をしているはず。きっとわんわん泣いている。そう思った。
泣き声はしていなかった。
立ち上がってみると、すぐにフィオは見つかった。
頬を腫らし泣きながら、使者の上に覆い被さっていた。
「……フィオ?」
うつ伏せに倒れるその背中で涙を擦るフィオ。
どうしてしまったのか。急ぎ駆けよった。
「おねえちゃん……おにいちゃんをたすけて」
「だめよ。フィオのほっぺを治さないと」
「あたし、がまんできる。おにいちゃんはだめなの」
「でも。お姉ちゃんは、一回しか魔法使えないから。フィオを治さないと」
「おねがい! はやくしないと、なくなっちゃう」
こんなに必死なフィオは初めてだった。
なくなってしまう。
フィオは特殊な目をしている。普通では見れないものを観れる眼を。
断りたかったけれど断れなかった。私はこの人を見捨てた、なのにこの人は助けてくれたから。
その上フィオのお願いではやるしかない。フィオがここまで言うのなら、きっと悪人ではない。
――あの表情は、見間違いだ。
「もうっ。分かったわよ」
泣いていたフィオの顔が、晴れていく。
フィオの隣に座り、使者の背に手を添え、唱える。
「霊よ。言霊に導かれ。彼の者を癒し給え。迅速回復」
使者の傷口はあっという間に塞がった。青く、不健康な肌にも健康な血色が戻っていた。
「これで満足?」
「ありがと。おねえちゃん」
そう言うとフィオは使者の手を掴み、引っ張る真似をしだした。
「おもーい」
「……なにしてるの?」
「つれていくんだよ?」
「だめよ!」
怒鳴ってしまった。魔法を一回使っただけでこれだ。
怒鳴られると泣いてしまうフィオ。なのに、今日は違った。
「やだもん!」
強い意思の前に、私が折れてしまいそうだ。
急がないといけない。街人を捜しに誰かが来るかもしれない。
深いため息をついていた。
「お姉ちゃんが運ぶから、フィオは村に返っておじい様に言ってきて。他の人はだめだよ」
瞳を輝かせ、元気いっぱいの返事をくれる。
「うん! いってきます」
腫れた頬のことを忘れているのだろうか、嬉しそうに走っていった。
ここからなら、フィオの足で半刻とかからず着くはずだ。
私は私でここから少しでも遠くへ離れないといけない。この人を引っ張って。
また、ため息をついていた。
フィオが引っ張り、可笑しな姿勢になっている彼の手を握る。大きくゴツゴツした石のような手。
もうすぐ冬がくるのに、なんて薄着なのだろう。
使者を引き摺り、不安はどんどん増していく。
引き摺ると、服が捲れてしまう。そうして肌が出てくると見てしまう。
異様に傷だらけの腕を。
腕だけではない。顔以外は、見える肌全てに傷がある。
やはり、助けるべきではなかったのだろうか。
ここまでやっておいて、いまさらだ。境界線も近く、そこまで行けば引っ張ることもできなくなる。
境界線まででいい。自分に言い聞かせ。彼を引き摺り続けた。
誓約による境界線は、見えるわけではない。
何かの目印もない、敗者に定められた絶対の境界線。
私たちが誰かを連れていくことはできない。
だいたい、この辺り。
あと少しで私は、彼を連れている限り動けなくなってしまう。はずだった。
……可怪しい。
境界線はすでに越している。なのに、身体は止まらず彼を引っ張り続けている。
分からない。
疲れ、息もとぎれとぎれで考えもまとまらない。
ここまでくればきっと大丈夫。ちょっと休もう。
気づけばもう、夕暮れだった。
「フィオ。大丈夫かな」
半刻以上経っている。何かあったのだろうか。
どんどん考えは悪い方向にいってしまう。もう、ここまででいいのでは?
そう思った時だった。
私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ルナ様ー!」
屈んでいたせいで、草に隠れてしまっていた。
立ち上がり、手を振りながら信頼できる彼女の名を叫んだ。
「ベラさーん!」
私に気づき、安堵の表情を浮かべ走ってきた。
走る姿に無駄がない。背中にフィオを乗せているのに、軽快な足取りも格好良い。身体にぴったりの革の服も、彼女の細さを際立たせる。
今はフィオの下敷きになっているけれど、そうでなければ白くて長い髪が風になびいていただろう。
珍しい色黒の耳長族だけれど、私はベラさんが好きなのだ。
「ルナ様。ご無事で何よりです」
颯爽と私の前に立ち、目線を合わせるために腰を低くしてくれる。
「お怪我はございませんか?」
嬉しそうな表情が、私の頬を見て一変する。
目を見開き下唇を噛み、そばで寝ている彼へと視線を移す。
「この男がやったのですか」
冷たい声音だった。
普段の優しいベラさんとは違いすぎて、私は答えられなかった。
「ちがうもん! おにいちゃんはたすけてくれたの!」
フィオはベラさんの背中にいるのに、大声で叫んでいた。
エルフはただでさえ五感が鋭い。あんな耳元で大声をだされては堪らないだろう。
左目を閉じながら身をくねらせている。
フィオはそのすきに、背中から降り彼を守るように立ち塞がった。
「申し訳ございませんフィオレ様。先程話して頂いていたのはこの男のことでしたか」
ぷくっと頬をふくらませ、フィオはベラさんを睨む。
痣が綺麗になくなった。そのほっぺたで。
「ベラさん。フィオを治してくれてありがとうございます」
「いいえ、ルナ様。当然のことをしたまでです」
そう言うと、再び彼へと視線を移す。
「……ここは既に境界線の内側のはずです。ルナ様。何をされたのですか?」
私が訊たかったことだ。ベラさんも知らないとなるとやっぱり、おじい様に頼るしかない。
「私にも分かりません。引っ張り続けていたら、こうなっていたとしか……」
返答を聞きベラさんは、私たちと彼を見比べ。ゆっくりと空を仰いでいた。
宵闇の空を。
「お二人の恩人なのですね」
ぼそりと呟き、ため息をついていた。
「私がお運びします。お二人とも私に付いてきてください」
彼の前で仁王立ちしていたフィオは、あっさり態度をかえ。
「ありがと。ベラ」
満面の笑みを浮かべていた。
ベラさんは男性が嫌いだ。何より、人族の男性が。
触った途端ベラさんの手は、鳥肌になっていた。
「……大丈夫ですか?」
顔を覗くと、眉を寄せ固まっていた。
大丈夫ではなかった。
「一つ。提案してもよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう」
「……フィオレ様かルナ様。来た時のように私の背にいてもらえませんか?」
男性嫌いの代わりに、ベラさんは極度の子ども好きだった。
フィオを背中に乗せ。彼の両手を後ろ手に引っ張り、村へとようやく帰ってきた。
辺りはすっかり真っ暗だった。
問題はここからだ。人族を連れて村に入れば、たちまち騒ぎになってしまう。
あたふたしている私と違い、ベラさんは月明かりを確めていた。
「これなら丁度いいですね。ルナ様も私の身体に触れていて下さいまし」
「あ、はい」
「霊よ。言霊に導かれ。我に触れ。我が触れる者たち。その光を屈折せよ。可視光偏向」
ベラさんの口元から出た光が、私たちを包む。
「お二人とも、決して私からお手を離さないで下さい」
「はい」
見えていない私たちを気遣ってなのか、それとも彼を引き摺る音を消すためなのか、ベラさんはゆっくり歩いている。
どちらも含めた行動だろう。
魔法の力で、私たちは見えなくなっている。
同じように、私たちも見えなくなった。術者であるベラさんを除いて。
いつも歩いている村が、とても長い道のりに思えたころ、景色は元に戻っていた。
朝。こっそり出てきた。おじい様の家であり村長の家に。
こんな人を連れて、帰ってきた。