二十七話 情愛
解は揃った。ルナを呪縛から解き放つために、必要な解が。
揃った以上、後は開くだけ。心の奥深くにある、扉を。本物のルナがいる心の扉を開くだけだ。
自分を分裂させた俺だから、ルナの苦しみをルナ以上に理解出来る。
だから、俺が開ける。隠れたルナに、幸せを享受させるために、今ここで。
四歳のままではいずれにしろ、精神が破綻する。精神と肉体の齟齬は必ず矛盾を生じさせる。
三日の間ですら、小さな齟齬が既に生じているのだ。ルナ自身が齟齬を感じ出したら、さらに状況は悪化する。
勝負は早い方がいい。
意識を取り戻しても四歳のままの変わらぬルナを見て、決意した。
「……とうさま? あれ、わたしねてた?」
「少しな。大丈夫、もう大丈夫だ」
不安そうなルナを落ち着かせるため、最後の抱擁をした。
ルナの生存本能。彼女のお蔭で最後の解がわかった。
生存本能というと嘘臭いが、身体の意思、といえば分かりやすいかも知れない。
不思議なもので、どんなに自殺したい人でも腹は減る。
己の意思がどんなに死を望んでも、身体だけは常に生を望む。
寝ている間に自殺した、そんな記事は読んだことがない。
どんな状況でも生命は生きたがる、脳とは違う。
そんな身体の意思が暴露を始めたのは、俺を見定めた結果だと信じたい。最初に嘘をついたのも俺を試すためだと思う。
己が脳を救ってくれるかどうかを、試したんだ。
身体の願いに応えよう。本来のルナを呼び覚まそう。
「ルナ、さよならだ」
こうなることを、四歳のルナは感じ取っていたのかも知れない。意識を取り戻してからずっと、不安げな表情で俺を見ていたんだ。
「とうさま?」
「ごめんな。最初にも言ったけど、俺はお父さんじゃない。お前が求める本当のお父さんは、別なんだ」
「なんのこと? とうさま、なにしゃべってるの?」
「分からなくていいよ。ただ聞いててくれればいい。ルナの奥にいる、本来のルナは聞こえているはずだから」
「とうさま? ……わたしを、けすの?」
奥歯に力が込められる、その質問はキツい。覚悟していたとはいえ、言葉が心を締め付ける。
十一歳のルナが望んで成った四歳だ。抵抗はするだろう、だが抵抗はするということは、届ている証でもある。
傷ついて奥に隠れた、ルナの心に。
だから、躊躇いはない。
「消す。だから最初に言っただろ、さよならって。でも勘違いしないでくれよ、お前が憎くて消すんじゃない。お前との三日間も、間違いなく楽しかった。幸せだったと言ってもいい。お前みたいな娘を生んで、エルバさんはさぞ幸福だっただろうよ」
「とうさまやめよう。わたしこのままでいい」
「駄目だ」
逃げようと立ち上がったルナの手を、しっかりと掴む。
「痛いよ!」
「それは心が痛いのか? 握り過ぎて痛いのなら謝る。どっちだ?」
返答はない。返答しないことは何よりの答えだ。
「ルナ、よく聞くんだ。お前は自分を否定した、でもそんなルナを俺は尊敬する」
立ち尽くすルナの視線に合わせ、中腰になって続ける。
「今の質問でも分かるように、ルナは嘘をつくことを拒んだ。それはルナが真面目だからだ。しかも真面目だけじゃない。ルナは十一歳なんて年齢でありながら頭が良すぎると思うんだ。俺は言葉を覚えるため必死に勉強したから分かるよ。ルナの言葉使いは丁寧だし、語彙も多い。だから分かる。ルナが努力家だということも。だから病んだんだよ。真面目な努力家ほど心を病みやすいんだ」
「ちがう! わたし、まじめなんかじゃない!」
ルナは視線を合わせないように、目を閉じながら首を振っていた。
「違うもんか。お前が心を病んだのは本来褒められるべきことが、報われるべき努力が、フィオを想うお母さんには届かなくって、傷ついたのが原因だ」
「ちがう!」
俺がしていることは、間違ってるのかも知れない。そう思うほど、ルナは苦しそうに俺を見てくる。
けど、迷っていては何も救えない。
「違うのか? じゃあなんで四歳なんだ? 四歳なのはフィオが生まれる前の、限界の年齢だからだろ?」
「もうやめてください……シュウさん」
! ここからだ。止まってはいけない。
「当たりだな。四歳の途中でフィオが生まれたんだもんな。すごいなルナは、四歳からお母さんに姉としての献身を求められながら、こんなに真っ直ぐ成長したんだから。ルナ、お前はすごいよ。両親を失ってからも残った愛情だけで生きてきたんだから、しかもフィオにまで分け与えながら。そんなこと、俺には絶対真似出来ない」
子どもの成長において、親がどう思おうと愛されない子どもは辛い。どれほど豊かな生活であろうと、愛の無い生活は子どもにとっては地獄なんだ。
そんな地獄を体験したルナだから、俺も決めた。幸せにしてやると。
ルナの顔を両手で挟み、視線逸らせないように、固定する。
「ルナ! 帰って来い! お前は俺が愛してやる! 婚約者だろうと、兄としてだろうと、父としてだろうと愛してやる! エルバ以上に愛してやる!! だから帰って来るんだルナ!!」
……ようやくだ。ようやく、想いが届いた。
「本当、ですか?」
何年、我慢していたのだろう。ひたすら自分を律し続け、我慢していた涙。
震える瞳からぽろぽろと、止まることを拒むように流れ続けている。
「約束する。ルナが望む限り、俺はそのままのルナを愛するよ」
終わったと思い、中腰だった姿勢をゆっくり伸ばした。けれど、ルナは頑固だった。
「でも、だめです。私はフィオを幸せにしないと……、それが母様の願いなんですから」
「まったく」
再び、ルナの顔を両手で挟み、切り札を伝えた。
「なら、エルバさんの願いはどうなる?」
「父様の、願い?」
「バリエノが聞いていたんだ。エルバさんの遺言を、最期の決闘を前に。きちんとルナのことを想っていたよ」
本当に何も知らなかったようだ。瞳孔が開く程驚いていた。
一言一句間違わないよう、正確に伝えた。
「フィオレを残して死ぬ私を許して欲しい。マーレも病弱で長くはないだろう。だから愛しい娘、ルナ・シエッロに、私の遺言を捧ぐ。己の人生を歩むように、と」
遺言は言葉だけで、媒体は何もなかった。
「……そんなの、嘘ですよ」
「嘘じゃない! その証拠に、ルナの氏を俺は知ってるじゃないか」
森の民は誓約を怖れて、フルネームを教えることは滅多にない。だからといって、証拠としては足りない。さすがにこれで駄目なら、あとはもう……。
「父様の遺言が本当でも、やっぱりだめです。私、いっぱい迷惑を掛けてます。シュウさんだけじゃない。ベラさんにおじい様、何よりフィオに。私、間違ってばっかりなんです。妹に劣るお姉ちゃんなんです、だから」
力押ししかない。
「いい加減にしろ! エルバさんも言ってるだろ! 自分の人生を生きろって! 一回しかないんだぞ人生ってのは! 間違ったことがなんだってんだ! ルナとフィオの人生程度、俺が背負ってやる! だからいい加減、素直になれよ!」
憎しみ以外、本気で怒ったことはなかった。
他人のために本気で怒ると、涙が出ることを初めて知った。
「もういいだろ。俺が全部背負ってやる。俺にはもう何もないんだ。地球であろうと、ここであろうと。俺には何もないんだ。だからルナを助けたいんだ。子どもは俺にとって、笑顔でいてくれるだけで幸せなんだ」
想いは伝えきった。切り札である、エルバさんの遺言も使った。
それだけで良かったのに、最後は俺の余計な願いまで口にしていた。
「本当に、私で、いいんですか?」
「? 何のことだ」
最後の辺りは感情で喋っていたから、どのことなのか即答できなかった。
「……愛してくれるんですよね?」
「……ああ、もちろん! 兄としてだろうと、父親としてだろうと、何だっていい」
発言のどこにも嘘はない。
「なら……夫としてもですか?」
昂っていた感情が、一気に揺り戻された。
「それは……」
「嘘、だったんですか?」
冷静に考え、すぐに答えは出た。本当に夫としてなど、求めるはずがない。お父さんと小さい娘さんでのやり取りで有名な、お父さんのお嫁さんになりたい現象だろう。
「嘘は言わない。夫だろうと構わない。けど、ルナが大人になるまで結婚はしないからな」
この返しなら大丈夫。ルナは大人になるまでに、間違いなくいい男を見つけてくれる。俺はそれまでの、疑似恋愛の夫役に過ぎない。
「大人……、はい、分かりました。シュウさん、約束ですよ」
「ああ。約束だ」
俺にとって、一番の気掛かりは終わった。ルナの瞳には輝きが戻った。まだまだ小さな輝きだけど、今はそれで十分だ。
安心したのもつかの間、視線逸らしたルナの視界に、現実が飛び込んでいた。
泣き跡は残っていたものの、爽やかな笑顔だったのに表情は固く、どんどん赤み帯びている。
「ルナ、どうした?」
どうかしてたのは、俺のほうだった。
本来のルナに戻ったのだから、恥ずかしくなって当然なんだ。
悲鳴を上げながら背を向け、お湯に隠れてしまった。
悲鳴は俺に対してというよりも、自分に対して上げてるようだ。と、冷静に分析している場合ではない。
悲鳴が聞こえた以上、彼女がやってくる。
現に、走る足音が届いていた。
無言のまま、風呂場の戸板を一気に開けられた。
怒り、鬼のような形相のベラさんが現れた。
弁解は、聞いてくれそうもない。




