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悪魔と天使のモノローグ  作者: 無名凡才
26/71

 二十六話 涙落


 戸板は開かれた。

「とうさま、ルナもはいる」

 開かれたが。

「……あ、うん」

 問題無かった。

 男の子とそう変わらない。

 胸も胸とよべるほどあるわけでなし、ほんのり膨らんでるだけ。太れば男でも余裕だろう。

 女性らしく発育していたら、さすがに興奮したかも知れないけれど。

 取り合えずルナに関しては、アレが無いだけ、と自分にいい聞かせられる。

 例え肌が透き通るほど綺麗でも、髪がキューティクルで女の子らしくても、子どもは子どもだ。性対象ではない。

「どうしたの?」

 独り頷いている俺に、後ろで手を組み顔を覗き込むよう聞いてきた。

「ん? ルナは可愛いなと思って」

 適当に誤魔化したが、可愛いというのは本当だ。嘘はついてない。

「ほんと!」

「本当、本当」

「じゃあ、ルナのことすき?」

「好きに決まってるだろ」

「ほんとに! わたしもだよ、とうさま!」

 嬉しそうに、笑顔で跳び跳ね始めた。

「ルナ、危ないからやめなさい」

 言った途端すぐ、足を滑らせていた。

 抱き締めるよう受け止めればよかったのだが、裸のルナを抱き締めていいものかと、(わず)かとはいえ躊躇(ためら)った。その僅かな差のせいで、無傷とはいかなかった。

 滑り。後ろに倒れていくルナの左手を掴んで、頭を石の壁にぶつけるのは止められた。 

 けれど、ルナはバランスを取ろうとした右手を、壁にぶつけ擦りむいてしまった。

 中指と薬指の第二間接から、血が(にじ)み出てきた。

「いたい。とうさまおてていたい」

「…………ルナ?」

 泣きそうな表情を浮かべ、傷口を見せてくる。

 子どもらしい、当然の行為だ。

 本来なら傷口を見てやり、安心させてあげるべきなのだが、出来なかった。

 可怪(おか)しいと、固まってしまったから。

 ルナは現在、精神年齢とはいえ四歳だ。四歳の子が、血が出る程の擦り傷を負ったら泣くだろう。

 痛いと言い、声を上げ(わめ)いたりして涙する。

 ルナは違う。ルナは、泣きそうになるだけ。

 三日間ずっとそうだ、フィオと喧嘩しようと泣くことはなかった。

「ルナ? 痛いんだよな?」

「うん……。いたいのはやくとって」

 痛さを訴えてくるその表情は、演技などとは思えない。なのに、涙だけは落ちてこない。

 これは、どういうことなんだ?

「とうさまー!」

 傷口に対し俺が何もしないせいで、ルナが抱きついてきてしまった。

 泣かないことばかりに気をとられ、痛みを訴えるルナを(ないがし)ろにしていた。

 駄目なとうさまだ。

 ルナをゆっくり引き離し、優しい口調で伝えた。

「ごめんな、俺は治せないんだ。だから、手を出してごらん」

「こう?」

 細く小さな手が、傷口を見てと差し出される。

 差し出されたルナの手を、対照的にゴツい手で下から支えるように握る。

「よく見せてくれ、痛いのはここだな」

 (わざ)とらしく、色んな角度から傷口を見て感想を述べた。 

「痛かったな。こんなに痛いのに頑張ったな、偉いぞルナ」

 子どもが痛みを訴えるのは、共感を求めているからだ。

 実際に治せるのならそれに越したことはない。

 俺は残念ながら治せないので、精一杯ルナに共感し、頭を撫で(なぐさ)めもした。

「まだ痛いか?」

「いたい。いたいからもっと」

 表情は悲しみから、微笑みへと変化していった。

 落ち着いてから、髪を洗ってとせがむルナの髪を洗い。

 とうさまは長い髪が好きなの? などという質問から始まった会話を楽しみ、洗い終え湯船に足を入れた。

 湯船に入るまでが、とても長い道のりに感じた。

 ちなみに髪の長さとか気にしないので、ルナは長い方が似合うと答えた。

「ゆっくりな。それと手はお湯にいれるなよ」

「はーい」

 最初に俺が風呂に入り、立ったままルナの手を握りエスコートする。

 ルナはまだしも、フィオはこの風呂に入れるのか心配になる高さだ。

 ……跳んで入るのか?

「とうさま、ざぶーんってして」

「ざぶーん? 溢れさせろってことか?」

「あふるさせろってわかんない。おみずがざばーんってなるのやって」

 間違いないな。

「ほらいくぞ!」

 肩まで浸かり、水を溢れさせた。

 その程度できゃっきゃっと喜んでくれるルナ、子どもらしい。それが一層差をつくり、泣かないことに拍車をかける。

 考えてしまい、俺は次第に黙りこんでいった。

 このまま引きずりたくない。

 十一歳のルナなら拒絶されるだろうが、四歳のルナならあるいはと思い、仕掛けることにした。 

 遠慮せず、ストレートに訊いた。

「あのさルナ」

「なあに、とうさま?」

 ルナはくるりと向きを変え、嬉しそうに俺と向き合う。

「手を怪我した時、なんで泣かなかったんだ?」

 微笑みは一瞬で消え失せ、落ち着いた表情に変わった。

 感情を失ってしまったような、無表情に。

「泣いたら、駄目なんだよ?」

 たどたどしい口調は消えていた。四歳とは思えない、かといって十一歳のルナでもない。

 俺が聞いたことすらない、とても暗い声だ。

「お父様だから言うけど。泣いてる(ひま)なんて私にはないの、妹に劣る私は泣かないの。泣いても、お母様は抱き締めてはくれなかったもの。それよりもフィオのために、何かしていれば褒めてもらえたの。だから私は泣かない。泣いたら、私はきっと壊れてしまうから」

 淡々と喋る瞳は(うつろ)で、何を見ているのかさえ定かではない。

「お前はなんだ?」

 思ったことを口にした。

 本来のルナでも四歳のルナでもない。なら彼女は、俺が教え生まれた存在。

「シュウさんと同じだよ」

 別人格、なんてな。

「無理無理そんなの。お前はルナだ、別人格じゃない」

 言い切る俺を、ルナは(にら)んでいる。

「声は暗いけど口調が変わってない。もっと言うなら性格だって変わってない。別人とは、とても言えないな」

 その証拠に、ルナは決して襲ってきたりはしない。

 新しい人格が生まれたのなら、新たな人格は必ず本来のルナを守ろうとする。俺のようにルナを(あば)こうとする人間を、許しはしない。

「反論もしないし、図星か? なら今の独白(モノローグ)は、ルナな救難信号ってわけだ。助かったよ、ルナの生存本能さん」

 俺の意見を聞き終えると、ルナは睨むのをやめ、真っ直ぐ立ち上がった。

「何も知らないようで、何でも知っているのねシュウさん。あなたはやっぱり、可笑しな人」

 言い残し、ゆっくり俺に向かって倒れてきた。

 今度はしっかりと抱き締め、受け取った。

 意識はないようだが、問題は無い。静かに呼吸をしている。

「色々ありがとよ。お前の(あるじ)は必ず、幸せにしてやるから」 

 久々に独り言を言い終えると、ルナは意識を取り戻した。  

 眼をこすりながら起きたのは、四歳のルナだった。

 

タイトルの涙落(るいらく)は造語です。落涙(らくるい)を逆さにしまして、落ちない涙という意味合いで、タイトルにしました。

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