二十四話 精神
シュウさんに抱きつかれた時、びちゃり、と濡れた感触がした。
私はてっきり、ベラさんを助けている間に着いてしまった血だと思っていた。
そうじゃなかった。
私がフィオの居場所を尋ねると、シュウさんは肯定し、案内するため立ち上がったように思えた。けど。
立てなかった。
立ち上がる途中でふらふらと、後ろに向かって倒れていった。
シュウさんでも転ぶんだ、なんて軽く思った。けど起き上がってこない。
名前を呼びながら、急いでシュウさんの元へ向かった。
近づくと私を見つめる瞳は震え、定まっていなかった。
「シュウさん、どうしたんですか!?」
もっと近くで確認しようと膝を突き、知ってしまった。
女袴の膝が、赤く染まった。
血だ。シュウさんからも血が流れている。
「シュウ、さん?」
返事がない、それどころか反応もなくなっていた。
流れ出る血のもとを突き止め、おそるおそる上着をめくってみた。
お腹に四つ、切り裂かれた跡があった。
「嘘……」
シュウさんは普段から黒い服着ている。だから……。ううん、それは言い訳だ。確かに分かりづらいけど、もっとよく見ていれば気づけたはず。
心のどこかで、シュウさんは死なないような気がして見逃したんだ。
狼狽えている間も、血は流れ続ける。
どうすればいいのか分からない。頭が混乱していく、さっきはシュウさんがいて指示をしてくれたから、冷静でいられた。だけど今は誰もいない。
「シュウさん、どうすればいいですか?」
もちろん返事は返ってこない。どうすればいいのか分からない。
だって私は、魔法を一回しか使えないから。
使ってはいけないと、おじい様に厳命されている。仮に使っても回復力は落ちる。
迷っている私の元に、フィオがやって来た。
「……おねえちゃん」
女袴の裾をぎゅっと掴み、両目には涙をこらえて。
「おにいちゃんがきえちゃったの」
伝えた途端に、我慢していた涙をぽろぽろとこぼしてしまった。
「消えたって何? フィオ、どういうことなの?」
涙を拭きながら答えてくれた。
「おにいちゃんのもじがきえたの。なにもあたまにでてこないの」
「そう。でもお姉ちゃんもう魔法使えないの」
「そう、なの?」
笑顔の似合うフィオの顔が、凍りついていた。
「……ごめん。ごめんね」
胸がぎゅっとした。
「いいもん! ベラにおねがいする」
「だめ!」
急ぎ、フィオの腕を掴んだ。
「そんなことしたらベラさんが死んぢゃうでしょ!」
びくりと肩を震わせフィオは大声で泣き出した。
フィオがお願いすれば、ベラさんは無理をする。無理をして魔法を使ってしまう。
今のベラさんでは危ない。
血と骨は回復に時間が掛かると、おじい様は言っていた。
術者の腕前が高ければ関係ないとも。私の腕前は低い、ベラさんに無理はさせられない。
フィオは泣きながらシュウさんに駆け寄り、傷口を寄せて必死に閉じようとしていた。
フィオはすぐに行動している。諦める様子がまるでない。私は迷い混乱して何もしていない。
私はやっぱり、だめなお姉ちゃんだ。
言いつけがなんだというのか、精神が壊れたっていい。フィオがあんなに想っている人を、失えない。
ベラさんなら死ぬ、私なら死ぬことはない。答えは決まっていたんだ。
「フィオそのまま押さえてて!」
「おねえちゃん? ……いいの? いちにちいっかいなんでしょ?」
「いいの。もういいの。シュウさん、大切でしょ?」
涙を流しながらも、フィオは笑って頷いた。
私はいい。心が壊れたって、死ぬわけじゃない。
「霊よ、言霊に導かれ、彼の者を癒し給え。迅速回復」
私から出た魔法光が、シュウさんへと入っていった。
傷口がゆっくり塞がれていく。四つある傷の、一つだけ。
「そんな!」
真ん中の一番大きな傷は塞がった。傷口はあと三つ。
ベラさんの時とは全然違う。ベラさんは一回で素早く治った。
シュウさんが治った傷は一つ、治りも遅い。
なのに、私を襲う反動は大きい。
精神の何かが消えていく。やる気というか、何というか。それさえもどうでもいい。
おじい様が止める理由。これが魔法の反動。
あと三回。私は、魔法を使おうと思えるのだろうか?
シュウさんを助けたい。だからやるしかない。
再度魔法を唱える。
塞がる傷口は一つ。
あと二つ、だけど唱えたくない。私はどうして人族を助けるのか分からない。
「おねえちゃん。おねがい」
「うん……頑張る」
フィオのためなら仕方ない。
もう一度、同じ。
傷口は一つ。
分からない。なんで助けるのか分からない。
私は最初、この人を見捨てたのに。
死んでもいいって思ってたのに。今度は助けたいなんて、自分のことながら笑いたくなる。
「おねえちゃん、もういっかいだよ。おねがい」
フィオのお願いだ。
……だから何なんだろう。そもそもなんで私は頑張るんだろう?
お母様はフィオが大切で、私はいらないみたいだった。
でもお母様はもういない。どんなに頑張っても、お母様は私を抱き締めてはくれない。
お父様ならどうだろう?
お父様ならきっと、褒めてくれる。
よくやった、と褒めてくれる。頑張れば、彼方の国でお父様が褒めてくれる。
なら死んだっていい。
最後の傷に、魔法を掛けた。
傷口は塞がらなかった。
半分くらいだけ、塞がった
もう何もしたくない。
なのに、フィオが私の手を握り懇願してくる。
妹、可愛い妹。シュウさんを大好きな可愛い妹。
あれ? そういえばシュウさんって、私に何か言ってたような気がした。私をどうするって言っていた。たしか、助ける?
私は妹のためなら何だって出来るのに、可笑しな話。今だって私はフィオを。
重く感じている。
だめ、もうだめこれ以上はだめ、私が壊れる。壊れてしまう。
考えるのは止めよう。心を空っぽに。
魔法光がシュウさんの身体へ入り、お腹の傷は四つとも治った。
なんとか間に合った。思い出したくないこともいっぱいあった。認めたくない想いもたくさん……。私、何をしてるんだろ?
全部、忘れたい。
そんな私を、フィオが抱き締める。
ありがとうと何度も言って。
嬉しいけど、今はやめて欲しい。
私はだらしなく座った。正座の姿勢から、脚をずらしてお尻を地面につけた。
お尻が濡れる感触に、疑問が浮かんだ。
血が止まっていない?
「フィオ、どう? シュウさん戻った?」
首は横に振られた。
「ねぇフィオ? シュウさん転がせる?」
「わかんない。けどやる」
そう、と返事をし見守った。
フィオが懸命にシュウさんを転がし、うつ伏せにした。
「やっぱり……」
背中にも四つ、切り裂かれた傷があった。
もうどうでもいい。
ただ魔法を唱えてしまおう。どうせ、死んだほうがいいんだから。
だらりと手を伸ばし傷口に触れる。
触れた手を、誰かが掴んだ。
「よくやったねルナちゃん。あとは任せてくれ」
アーツ長だった。
「アーツ長、遅いです」
何も考えていない私の発言で、アーツ長の口元が引き攣ったような気がした。
「……ごめんなさい」
「いいんだ。この惨状を見ればだいたいの察しはつくよ」
アーツ長の言葉は聞こえている、けどよく分からない。
「アーツおじちゃん早く、おにいちゃんを治して」
呆然としながらも、フィオの言う通りだと思う。
魔法光が一度光り、シュウさんの傷は消えた。
見ていたはずなのに、ここから先はよく覚えていない。
シュウさんは間に合ったのだろうか? どうでもいいと思いながらも、ほんの少し気になった。
「アーツ長。どうですか?」
シュウさんを触っていたアーツ長に訊いた。
シュウさんの様子を訊いたのに、アーツ長は私を心配そうに見つめていた。
「寝むるんだルナちゃん。シュウなら、たぶん大丈夫だから」
「たぶん。ですか。それと、寝るんですか?」
アーツ長は困った顔で私を見て、呪文を唱えた。
魔法光が私に入ってくる。
「眠るだけだよ。安心して」
不安そうに私を見つめていた。
私は、不安に思われるような子どもじゃないのに。
私は妹に劣る、要らない子なのに。
辛い。
どうせ要らないなら、ずっと眠っていたい。




