十七話 弓矢
矢が心臓に突き刺さる。
そう理解った瞬間から、世界の全てが遅くなっていた。
久々の感覚。この感覚はたしか、ゾーンという名だ。
極限の集中状態が引き起こす現象。
死の危険が迫った時、脳が情報処理能力を十倍以上高め起こるらしい。
目的以外の余分な情報は次々とカットされる。今だって俺の眼は、色を認識しちゃいない。白黒の世界でゆっくりと矢が迫っている。
分かったところで手も脚もでない。ならばと結論を出した途端、世界はもとのスピードを取り戻した。
身体はすでに、実行に移していた。
振り向いてる最中に、心臓を目掛けて飛来している矢。
振り向いた反動で使えない手。足場の悪さを理由に回避出来ない脚。
だから、このまま振り向き続けた。
飛来した矢は、左肩へと深く突き刺さった。
……危なかった。この深さ、間に合わなければ心臓まで到達していた。
「いってぇな、さすがに……」
ようやく痛みが伝わった。
安心した途端これだ。
「シュウ! っクレイズ! 何をしている! 武器を使用した時点で貴様の敗北だ! すぐに姿を現せ!」
肩に刺さった矢を見た瞬間、俺のすぐ後ろにいたアーツは激怒していた。
激怒したまま矢が飛んできた方角を見つめ、睨み続けていた。
「負けじゃないっしょ? アーツ長」
言って、二十メートルほど離れた木の上からクレイズが降ってきた。
クレイズは肘から指までの長さ程の、小さな弓を持っていた。
「誓約はないですし、武器を使ったら負けなんてアーツ長は一言もいってないっすよねぇ?」
「守れっと言った!」
怒るアーツに対して、クレイズはニヤニヤしながら会話を続ける。
「いやー。守ろうとはしてんですよぉ。でもそこの人族が、ネーボをあんなにあっさり倒すなんて思ってもみなかったんで。オレこわくて、つい」
「巫山戯るな!」
俺を通り越し、クレイズへ向かうアーツの肩を掴み、止めた。
「いい。止めなくていい」
「シュウ!」
この時俺は間違いなく。
「止められたら、クレイズを殴れねぇだろ?」
イライラしていた。
ルールは破る、ネーボと共闘しておきながら助けようともしない。こいつに。
何より最初から、ルナがこいつを嫌がったのを見た時から。
「いいな。止めるなよアーツ」
アーツは固まったまま何も言わなかったが、俺を初めて見たような顔をして、見送った。
クレイズへ向かい歩きながら、右手で肩の矢を引き抜く。
抜いた矢を見ると返しがない、というより金属がない。木だけで作られた矢、だからあっさりと抜けた。
笑い声がした。
「ありがとよ無人! こうも予想通りいくとは思わなかったぜ。それどころか予想以上だ。あんたのばかっぷりはすげぇよ!」
笑いながらも、駆け出した俺を見てクレイズは樹上へと跳んだ。
翼人族の特徴、跳躍力と滑空能力。どちらも樹上でこそ本領が発揮される。
木の葉が邪魔でクレイズの姿は見えない。見えないが木の葉の揺れでどこにいるかは分かる。
どんどん遠くへ行くクレイズを確認していると、揺れる葉っぱから、矢が飛来してきた。
狙いは眉間。
「うぉ!」
前回とは違い、自由に動ける体勢なら躱せる。
とはいってもギリギリだ。
矢についている羽根が、頬骨の皮膚を切っていった。
「あの野郎……」
矢に意識を奪われている間に、クレイズは姿を消していた。
枝が三ヵ所揺れている。分かるのはそれだけだ。
三ヵ所とも眼を凝らしても、クレイズを見つけられない。
木の葉と影が遮り見づらく、クレイズの翼も茶色く、木の皮と似ていて目立たないのが原因だ。
揺れる枝だけが頼りだ。
揺れる枝同士の間隔は三、四メートル。
右から順に。
大きく縦に揺れる枝と小さく揺れる枝、最後に横に揺れる枝だ。
二本なら分かる。跳び跳ねているのだから、跳んだ時と着地した時の揺れ。
もう一本はなんだ?
三本を見比べ考えている間にも、矢は放たれた。
一番右端の、大きく揺れていた枝から。
狙いはまたも顔。右目だ。
前へ跳び、転がりながら回避する。
即座に構え、体勢を整えるも状況は同じ。
場所は変わったが、また三本が揺れている。
今度は真ん中が大きく縦に、右は小さく縦に、左は横に揺れていた。
同じ手は通用しない。
真ん中の大きな揺れへと走る。木を避けながらも最短距離で近寄る。
最後の難関。クレイズは木の上だということ。
捕まえるには、跳ぶしかない。
クレイズがいるであろう枝へと跳び、失敗した。
誰もいない?
しくじった……。
着地と同時に太股が、激痛を訴えた。
かはっ、と声と息が漏れ出す。
右足の太股には、深々と矢が刺さっている。
屈み、引き抜こうと矢を掴み、はっとした。
俺だったら、このタイミングでこそ仕掛けるから。
太股に刺さった矢を離し、右腕を顔の横に構え盾にした。
「がぁっ!」
直後、前腕を矢が射抜いた。
筋肉を締めていなかったら、貫通した矢は頭に届いていた。
歯を食い縛り向き直ると、またしても同じ状況だった。
揺れる三本の枝。
立ち向かうことはせず、一番近くにある木陰へと隠れた。
木の幹を盾代わりにし、屈んで身体に刺さった矢を引き抜く。
右の前腕に刺さった矢から順番に。
覚悟を決め、一気に抜く。
太股も同じように。
痛みはもちろんだが、抜く時のぬるりとした不快感が気持ち悪い。出血も増え、いいことが無いように思えるが。抜かないと行動に支障が出てしまうのだ、抜かないわけにはいかない。
前腕と肩はまだいいが、太股は出血が多い。
シャツを脱ぎ、太股に巻き付け縛る。これで出血はしばらく持つ。
問題は動作だ。
前腕と肩は痛むものの、支障は少ない。
太股は難しい。動かせるが、痛みから行動が鈍りそうだ。
思わず舌打ちをしていた。弓矢に対してこの脚は不味い。深く、ため息もついていた。
立ちあがり、盾にしている木にもたれかかり、上を見上げる。
何気ない行為だったが。
木の枝に矢が刺さっているのが見えた。
「これは」
偶然の発見ではあったが、枝が三本揺れる謎は解けた。
横に揺れる枝は、矢を当て揺らしているのだ。
なら二択だ。大きい縦揺れと小さい縦揺れ、どちらかに奴はいる。
活路を見いだし、早速行動に移す。
木から飛び出し前へ。
そう上手くはいかない。
「なんだと」
揺れ方が変わっていた。
右が小さく縦に、左は小さく横に揺れ、真ん中は大きく横に揺れていた。
これでは発見した矢の意味がない。
迷い。すぐに躱せる準備はしつつも、脚は止まっていた。
横揺れが二つ。小さい揺れなら分かるけれど大きくなんて、矢で揺らせるものだろうか?
違う。逆に考えるんだ。
縦には矢で揺らせない。同じような高さから射るのだから、必ず横方向に動く。なら右は確実に跳んだか着地をした場所だ。
二択に変わりはなかった。
対象を右と正面に絞り、向かってくる矢は最小限の動きで躱し、そしてクレイズを補足する。
この右脚では何度も跳ぶことは出来ない。確実に跳べるのは一回だ。
こちらからは攻めず、クレイズが動くのを待った。
躱し、走れるように姿勢を低くしていく。
その時だ。
左から弦を弾く、幽かな音。
低い位置から、左脚を矢が襲った。
「なっ!? くそっ! なんでっ!」
またもや太股に矢が刺さった。
最悪だ。両脚を封じられてしまった。
刺さった痛みで、左脚は膝を着いていた。
左で横に揺れる木と、正面で大きく横に揺れる木の間。その木陰から、クレイズは歩いて現れた。
俺が動けないと分かり、嬉しそうにほくそ笑み悠然と立っている。
「ごくろうさん。まんまと罠にはまったなぁ」
罠。確かにクレイズの言うとおりだ。俺はまんまと嵌まってしまった。
「さすがにあんたでも、両足をやられちゃあ動けねぇだろ? ああ、黙ったままでいいぜ。その姿勢が何よりの証拠だもんなぁ。ところで、なんであんたがそうなったか知りたいよなぁ、知りたいだろぉ?」
クレイズが現れてから、俺は一言も喋ってはいない。なのにクレイズは話をどんどん進めていった。
「あの三つの枝の揺れはよぉ。オレ自身と、この矢を使って起こしたわけよぉ。ここまではあんたも分かってただろぉ? でもよ、あんたは勘違いしてる。横揺れは矢だけで作ったんじゃねぇんだ、オレ自身でも出来るんだ。オレら翼人族はなぁ、もともと樹上で生活してたんだ。木の揺らしかたなんざ、自由に操れるに決まってるだろ? 分かるか? これが無人と翼人の差なんだ」
……なるほどな。三択に思考を囚われた時点で俺は失敗していた訳か。
「最後のは?」
俺の問いに、嬉しそうにクレイズは微笑む。
「ああ、あれな。左から正面に跳んで、正面から地面に跳んだ。後は地面から上に向けて矢を放って、右の枝に上手く当てりゃいいだけだ。簡単だろ?」
簡単、ではない。放物線を描いて矢を当てるとは。俺はクレイズの腕前を嘗めていた。それだけではない。俺は最初から油断していたんだ。二対一を許可し、武器を許可し。結果はこの様だ。
まったく、情けない。
だが、諦めはしない。このまま今度は、クレイズを油断させればいい。
俺とクレイズの距離は五メートル。三メートルなら届く。
「お前の言う通りだよクレイズ。俺は騙され、身動きすらままならない。けどな、負けは認めねぇぞ? ほら、男らしく堂々と掛かってこいよ」
俺の挑発にクレイズは、顔を歪ませ怒りを見せるも、乗ってはこなかった。
「オヤジからさんざん言われててよぉ。獲物は殺すまで油断するなってな」
クレイズは背中に手をまわし、矢を取り出した。
そうだ。これも油断の一つだ。ここはクレイズの親、バリエノが指定した場所だ。
可怪しいとは思っていた。
矢と弓をどこから調達していたのか疑問だった。
簡単だ。最初から用意していたんだ。この森のこの場所で、俺を――殺すために。
クレイズが矢をつがえ、引き絞る。
「そこまでだ!」
遠くからアーツの声がした。
アーツめ、止めるなと言ったのに。
「イヤだね」
クレイズは無視し、俺の眉間を目掛け、矢を放った。
飛来する矢。けれど怖くない。
放つタイミングも狙いも、全てはクレイズの手が教えてくれる。
なら出来る。
「てめえ!」
クレイズが吠えた。
彼の自慢の矢が、掴み取られたのだ。機嫌も悪くなるだろう。
まぁでも。それだけのことだ。勝ちに繋がるわけじゃない。
「むかつく野郎だ。じゃあ、これならどうだ?」
やばい。
クレイズは、矢を三本まとめて弓につがえた。
人差し指と中指。中指と薬指。薬指と小指の間に。器用に挟んだまま弓につがえ、引き絞っている。
遠くで、ルナとアーツの叫ぶような声がした。
音は遮られ、視界から色が失せていく。
ゾーン。
矢は、放たれた。
眉間と喉と胸を狙った三本が、ゆっくりと近づいてくる。
同じように、俺の腕も動きが鈍い。
迫りくる矢のうち二本は掴んだ。眉間と胸の矢を、左右の片手ずつで。
残るは一本。
喉を目指す矢は口で止めた。
大きく開き、全力で噛み締め。しくじった。
今日一番の油断。
俺は歯を、打ち鳴らしてしまった。




