十話 意地
取り残されてから三十分は経過していた。
手首の脈を数え、雑把ではあるが時間は分かる。
三十分前。
怯えるベラに、アルテはなんらかの魔法をかけ眠らせた。
眠らせたベラを俺が抱き抱え武家屋敷に運ぶ。アルテから謝罪をされながら。
六畳の畳の部屋にアルテとベラを残して縁側に戻った。 縁側には俺と同じく取り残されてしまっていた、ルナとフィオとが居た。
三人で縁側に並んで座り、話をした。
先程の戦いは何が起きていたかとか、他愛もない話から自然とベラの話題になった。
俺はルナからベラの事情を教えてもらった。
「ベラさんは長い間奴隷だったんです。なんでも、女性特有の奴隷とか」
「……なるほどね」
憎むわけだ。
俺自身は直接関係ない。関係ないが、それは俺だけの話だ。
ベラはそう思わない。
彼女が無人と呼ぶ、人族と同じ外見の男だ。
憎むべき敵なんだ。異世界から来たとか、ベラには関係ない。
暗い顔になっていた。
「おにいちゃん。いたくない?」
戦いの話を楽しそうに聞いていたフィオが、心配そうに訊いてきた。
「ん? ああ、平気だぞ」
「あたしのせい?」
「なにがだ?」
「あたしがけがさせないでっていったから、こうなったの?」
「違うよ。フィオがお願いしなくても俺は同じことをしてたよ」
優しく、フィオの頭を撫でる。
「ベラさん大丈夫でしょうか。やっぱりまだ戦うんでしょうか?」
二人ともベラを心配していた。
二人には俺がどう映っていたのか少しだけ気になるぐらいに。
「たぶん。続けるんじゃないか。そのための話し合いでもしてるんだろ」
俺の一言をルナは継続したいと受け取ったのだろう。
「……今度は殴るんですか?」
子どもとは思えない、真剣な面持ちで訊いてくる。
なのに俺は、質問に対して笑ってしまった。
やっぱり俺は敵役で、ベラの無事を願っているとそう感じたから。
けれどなんとなく、ルナという子が知れた気がして嬉しかった。
だから、フィオとの癖で頭を撫でてしまっていた。
「なにするんですか!」
「ごめん。つい」
顔を真っ赤にして立ち上がり、こちらを向きつつ離れていった。
そんな行動を見せられ、言葉を漏らしてしまった。
「……俺のこと、嫌いか?」
訊くつもりはなかった。
憎まれているのは俺ではない。頭では分かっていても、次々と態度に出されては自信も揺らぎ、声に出してしまった。
答えはすぐには返ってこなかった。
赤い顔色が落ち着いたころ、彼女は答えてくれた。
「人族は嫌いです。でも、シュウさんは違います」
その返答に、俺は固まってしまった。
「今日の戦い方を見てそう思いました。シュウさんはベラさんを傷つけないようにしてました。だから」
離れた距離より少し近寄りまた頬を紅く染め、続きを喋ってくれた。
「シュウさんだけは、信じてみようと思います」
言い終えると、顔を隠して隣に座り込んでしまった。
俺はどうしていいか分からず、お礼だけ言って脈を数え続けた。
フィオもそんな俺を見てニコニコしているだけだった。
二人との会話は楽しく、あっという間に三十分が経過した。
後ろから障子の開く音が聞こえ。
「待たせてすまんな」
と、二人が姿を見せた。
アルテと、目を閉じたまま立ち尽くすベラ。
ベラはアルテの後ろにいた。
口を紡ぎ眉間に皺を寄せ、納得いかないような表情を浮かべて。
これから言われるであろう結末を予感させるように。
「じっちゃん。まだたたかうの?」
そんなこととは露知らず、幼いフィオは単刀直入に聞いてしまう。
フィオの問いに対してアルテは申し訳なさそうに、ベラへと視線を移した。
それだけで十分だった。
アルテは何を言おうとしてるのか、そんなものはベラの表情を見た時から分かっていた。
ベラの不戦敗。そんなものは認めない。
ルナとの会話が俺を決断させた。
「さ、続きだ」
立ち上がり、ベラを誘う。
「ほら、早くしろよ。今度は本気だすから」
フィオ以外、全員目を丸くしていた。
「良いのか?」
アルテが戸惑いながら確認してきた。
「中途半端は嫌いでね。その女から私の負けです、って聞きたいんだよ」
自分でも安い挑発だと思う。安い挑発だが、ベラには丁度よかったようだ。
裸足のままベラは庭に降り、歩きながら。
「……礼は言わない」
と、素通りしていった。
ベラを追い、縁側から十メートルの位置へ移動する。縁側にいる観客に見えるよう、横に対峙しあった。
辺りは暗く、屋敷からの薄明かりだけが照らしていた。
すぐさまベラは拳を握り構えた。素人丸出しの構えを。
ボクシングのようであるが、ボクサーなら決してしないような構え。隙だらけで防御はまるで考えない構えだ。
対して俺は構えず、質問を口にした。
「そんなに人間が憎いか?」
本人からも直接聞きたかった。
ベラの表情から感情が失われていく。
「憎い」
返事に迷いはなかった。
だからこそ俺も迷わない。
ベラに手を翳し、宣誓した。
「汝の誓約を解除する」
俺の宣誓にベラは困惑し、観客は騒いでいた。
「誓約を解くなどと。貴様正気か? 私が貴様を殺さないとでも思うのか」
ベラならあるいは、俺を殺すかも知れない。
それこそ凶器一つで簡単に。
魔法ならもっと簡単かも知れない。
だからといって、意思は曲げられない。
ベラを睨み、言い放つ。
「お前を救ってやる。殺す気で来い」
「……救うだと?」
しばしの沈黙の後、弾けるような音を立てて拳が鼻を潰した。
潰れた鼻から鼻血が滴り、呼吸がしにくい。
「寝ぼけたことを!」
頬骨に衝撃が走る。
「人族が何をほざく!」
肋へ強烈な一撃。
「貴様に分かるものか!」
文句とともに、次々と繰り出される拳。
全身にダメージが蓄積されていく。
細く小さい拳は面積が狭く威力が一点に集中され、当たりどころが悪いと骨を折られた。
「だから、なんだ」
自分を叱咤するための言葉。誰にも、俺を殴るベラにも聞こえないであろう独り言。
連打の一つ一つは鋭く。負傷した身体へ、さらなる負傷を与えていく。
素人の喧嘩術とたかをくくった攻撃は、感情という名のエネルギーが上乗せされ、かくも強力に化けていた。
皮膚を打つ音と、ベラの乱れた呼吸と、観客の言葉。こんな状況でもはっきり聞こえるものだった。
「おじい様あのままじゃ死んじゃいます。止めてください!」
「ならん」
「そんな」
「ルナよ。あれは意地のぶつかり合いなんじゃ。止める理由にはいかん」
アルテはよく分かっていた。
止められては困るのだ。だからルナたちに向かって拳を構えた。
通じるのか疑問だったが、その拳の親指を真上に立てて意思を示した。
続ける意思を示したのに、攻撃は止まってしまった。
「何故防がない!」
避けることも防ぐことも一切しない俺に、ベラが怒ってのことだ。
返答のため指で片方の鼻穴を塞ぎ、鼻血を吹き出す。
地面へと、粘りけのある血が噴出する。
反対も吹き出してから、ベラに視線を合わせた。
「さっき言っただろうに……」
こういうことは言葉にすべきではない。ないのだが、このまま立ち尽くされても困る。
「怨みも憎しみも俺にぶつけていい。ぶつけて気が済んだら認めて欲しい。こんな人間もいるんだってな」
「貴様に何が分かる」
「さっきも言ってたな。それで思い出したんだけど、俺も奴隷みたいなもんだったんだよ。だから救ってみせる」
ベラの表情は曇っていた。
「貴様は何がしたいんだ。私を救う? 人族が私に何をしたか知っているのか?」
「教えてもらったよ」
「なら分かるだろう。貴様と私は違う。男に、私の気持ちを知ることは出来ない!」
「そうかもな。だから好きにしろ。殺されたっていい。お前の気が済むまで殴り続けろ」
「私を、馬鹿にするなぁぁ!」
全身痣だらけにされていた。
呼吸するだけでも痛い。肋骨が折れている証拠だ。
折れた箇所を殴られ激痛が襲う。
折れた箇所も切れた傷口も、ベラには関係ない。
手当たり次第殴り続けている。
鬼の形相とはこのことだろう。歯を食い縛り、肩で息をしながらも殴る手を止めない。
俺も馬鹿だが、ベラも馬鹿だった。
なにせ魔法を使わないのだ。疲れを癒すこともせず、懸命に殴り続ける。
どんなに弱々しくとも。彼女は殴り続けた。
何分経過したのだろう。
意地のぶつかり合いと、アルテは言った。
甘かった。ベラの闇は深く、意思は強い。
目の前の女性は折れそうもない。弱り果てても、俺への攻撃を止めない。
終着点が見えない俺は、折れそうだった。
疲れからベラは弱っていく。
女性という、守るべき対象が弱っていく。
痛みなら耐えられるのに、耐えられなかった。
負けてしまえばいい。そう思いもした。
わざと負けるなど出来はしない。プライドの高いベラのことだ。人間嫌いを悪化させてしまうだろう。
ならば一撃だけ、ベラを止めるため暴力を振るおうと決心した時だった。
ベラが振りかぶると俺達の間に、小さい何かが怒りながら割って入って来た。
「おしまい!」
俺に翼を向けて、小さい天使が仁王立ちしていた。
咄嗟の出来事に、ベラの手元が狂う。
やって来た天使へと向かう拳。
ベラの頬を叩くため準備していた平手を変え、向かってきた拳を掴んだ。
「フィオ! 危ないだろ!」
怒る俺を無視して、フィオは言葉を続けた。
「ベラのまけ! ベラはいろがなくなってるもん」
いろ? 俺には伝わらなかったが、ベラは違ったようだ。
俺に拳を掴まれたまま、その場にへたりこんだ。
そのままフィオを見つめ、フィオに対して語りだした。
「仰る通りです。私の負けです」
フィオに語りかけるベラの表情は穏やかだった。
少しだけ俺を見て、口元を緩めたように思えた。
掴んでいた拳から、力が抜け離れていった。
「じゃあ、おしまいね!」
「はい。おしまいです」
フィオは振り向き。
「やったね。おにーちゃん」
満面の笑みをくれた。




