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博士

 黒い鞄を持った白服と白いマスクの優男。

 博士を発見した第二種傭兵達は迂闊だった。

 確かに、目に見えて武器と判断出来る様な物を所持していない博士に対して即座に攻撃をしろと言うのは酷な話だったかも知れない。

 ひょっとしたらまだ頭部を切除される前の犠牲者なのかも知れないと考えるのは自然な事だったのかも知れない。

 それでもその第二種傭兵は不用意に近づくべきでは無かったのだ。

 せめて反撃しにくい姿勢を取る様に指示するべきだったのだ。

 何にせよそれは全て結果論である。

 最も接近した第二種傭兵は両目に医療ナイフを捻じ込まれ、喉を切り裂かれた。

「……ふむ」

 博士はのた打ち回る第二種傭兵から即座に関心を失った。

 医療ナイフが眼窩の奥で頭蓋骨を割り脳に達した感触を得ていたし、喉の傷も相当深かったからだ。

 脳と声帯に傷がついてしまっては博士の検体に成り得ない。

 二人いるのだから一人を無駄にするのは仕方が無いと博士は割り切り、もう一人には針を打ち込んだ。

 二人目の第二種傭兵が身体の制御を失ってその場に倒れた時、博士の関心は既に別の所へ向いていた。

 階下で戦闘が行われている音がしていた。

「……ふむ」

 博士の判断は素早かった。

 黒い鞄から小箱を取り出すと、それをかちかちと弄り回す。

 然程複雑ではないが偶発的には起こり得ない操作を終えた小箱を、博士は再び鞄へと仕舞った。

 階下からこの世の物とは思えない叫び声が三つ聞こえた。

「既に十二人消耗していたのか」

 侵入した集団は手練れだなと、博士が階下の様子に関心を向けていたのはそこまでだった。

 階下からは怒号と悲鳴と破砕音が聞こえていたが博士はそれらに関心を持つ事は無く、ゆっくりと歩いて偽装宿から脱出する事に成功した。

 博士が関心を寄せる事の無かった階下の騒動は、外の見張りを全て偽装宿の中へと誘い込むのには十分だったからだ。

「赤き熱の塊」

 偽装宿の外へと足を踏み出した博士は白衣のポケットから煙草を取り出すと、白いマスクの下でぼそぼそと詠唱する。

 煙草の先端にゆらりと青い炎が灯った。

 博士は紫煙を堪能する事も無くその煙草を背後へと放り投げると、鞄から小瓶を取り出してそれもまた背後へと投げる。

 小瓶は割れて橙色の粘ついた液体が周囲へと飛び散る。

 その液体は瞬く間に蒸発して、煙草を火種に炎へと変容した。

 火柱が偽装宿の壁を舐める様に黒い夜空へと昇り、ごうごうと燃え盛る炎の熱気が博士の背中を加熱する。

 当然博士はそれらの全てに関心を抱かない。

 炎の音に紛れて偽装宿の中から破壊音が聞こえていたが、怒号と悲鳴はもう聞こえない。

 炎に背を向けた博士の脇を三人の傭兵が走り抜けた。

 博士は反射的にその内の一人を殴り飛ばし――追撃せずに一目散にその場を離れた。

 殴り飛ばされた傭兵は即座に立ち上がると、脇目も振らず炎へと突進して行く。

 まるでそうプログラムされたかの様に。

 博士は炎に照らされた傭兵の瞳をしっかりと見ていた。

 それは博士が良く知る瞳の一つ。

 感情の無い、制御された人族の瞳だった。

 幸いにも博士は誰にも邪魔される事無くその場を走り去る事が出来た。

 一方、炎に飛び込んだ傭兵達は最初の一人が肉片となって飛び散った。

 全身が焼け爛れた男が折れた左腕で殴ったのだ。

 もう一人は飛び散った仲間と焼け爛れた男を一瞥しつつ、速度を緩めずに奥へと駆け抜けた。

 焼け爛れた男の右腕は脇を通り抜ける傭兵には当たらなかった。

「コ……」

 音として成立しない言葉を口から吐き出し、代わりに喉から肺へと侵入する熱気が更なる火傷を齎す。

 男はほんの十数分前までヒユムと言う名で呼ばれていた人族だった。

「コ……」

 焼け爛れたヒユムは頭痛と火傷の痛みに顔を顰めながら、ゆらゆらと前へ進む。

 その脇を博士に殴られて突入が遅れた三人目の傭兵が駆け抜ける。

 ヒユムは三人目も殴り飛ばそうとしたが、動かした筈の左腕は肘から先が無かった。

 三人目もまた一人目と同様に速度を落とさず奥へと走り抜けようとしたが、天井から燃えた建材が落下して三人目を押し潰した。

「コロ……」

 男が偽装宿の外へ出ると、そこには僅かな野次馬しか居なかった。

 ヒユムはそれらの野次馬を視認すると同時に猛然と襲い掛かる。

 クフラ商会が雇った者達は事前に周辺の住民へ最低限の警告を行っていた。

 それは扉に外へ出ない様に警告する旨を記した紙板を扉の隙間に差し込んだだけの簡単な物だったが、クフラ商会の紋章とナナタ領民の気質が合致して十分な人払い効果を齎した。

 偽装宿から火の手が上がった事で、堪らず飛び出してしまった隣接する建造物の住人十数人程が哀れな犠牲者となった。

 野次馬を全て肉片へと変えたヒユムはその両腕を失っていた。

 ぐちゃぐちゃになった両腕からはぼたぼたと血が落ちる。

 その背後で一筋の光が天へと昇った。

 光は緑色の煙をなびかせながら黒い空へと昇って行き、音を起てずに炸裂した。

「……ス」

 ヒユムは首を後ろに回してその光を見ていたが、しばらくすると前を向いてふらふらと歩き始めた。

「生存者かい?」

 唐突に聞こえた言葉に、ヒユムは声が聞こえた方へ視線を向ける。

 そこには白い何かが二人存在していた。

 それは五つの瞳と十七指を備えた腕を四本持つ異形と、爪先から頭頂までが白い女だった。

 ヒユムが博士の仕掛けによって強要されている衝動は目に映る人族を破壊する事。

 しかしながらヒユムの僅かな知性が疑問を呈する。

 あいつらは人族か、と。

『早く助けないとキヒが燃えちゃうよ!』

 全身タイツさんが焦った様な仕草でそんな文字を表示した。

「自分で行けばいいじゃないか」

 ダラダラが腕の一本をひらひらと振ってそんな事を言うと、全身タイツさんは文字を変化させた。

『それじゃあ私が燃えちゃうよ!』

 要するに、自分が助けに行くと言う選択肢は無いと言う事だ。

「三人も居るんだから誰かが連れて来るさ、その内」

 ダラダラは面倒臭そうに全ての肩を竦めた。

 その時点で、ヒユムの知性は取り敢えずダラダラだけを人族と認定した。

 ヒユムは獰猛に吠えながらダラダラに突進する。

 焼け爛れた声帯は人族の物とは思えない恐ろしい雄叫びを発し、ヒユムは弾丸の様にダラダラに衝突した。

「あー、これは脳を改造されているのかな?」

 ダラダラは四本の腕でヒユムの身体を受け止めていた。

 両足からはそれぞれ七本の支脚が展開され、地面をがっちりと掴んでいる。

「シシル、首を切り落とせ」

 ダラダラが残念そうにそう言うと、ヒユムの首が足元に落ちた。

 ヒユムの身体は頭部を失っても尚力を緩めなかったが、ダラダラは力任せにそれを持ち上げると、燃え盛る偽装宿へと投げ飛ばした。

 ヒユムの身体が二階の壁を突き破って炎の中へ消えて行った。

 ダラダラは一本の腕で額を拭う仕草をしつつ細く息を吐き出すと、別の腕でポケットから黒い布を引っ張り出した。

 そこへ炎の中から一人の傭兵が出て来る。

 傭兵の左半身は酷く焼け爛れていて一目で重症だと分かる。

 その傭兵は両腕にキヒを抱きかかえていた。

 キヒもまた酷く焼け焦げていたが、その様相は傭兵のそれとは大きく異なっていた。

 一言でいうなら焦げ肉と炭の違いである。

 傭兵がどこか水っぽい焼け目であるのに対して、キヒは黒くなって崩れかかっている。

 腰から下は燃え落ちてしまったのか存在しておらず、左腕は肘から先が、右腕は肩口から先が同様に存在しない。

 顔面もその殆どがぼろぼろに崩れていて表情を判別する事は不可能だ。

 だが、喋る事は出来た。

「殺したい」

 はっきりとした憎悪の乗った、聞き取り易い声であった。

「殺す相手を見つけた。とっとと修復しろ」

 キヒの言葉に対して全身タイツさんが文字を表示する。

『殺そう!』

 相変わらず酷く無責任な煽り文句に、ダラダラは深い溜息を吐く。

「なるべく急いでやるけど、すぐには無理だからね?」

 言い含める様にそう言ったダラダラは黒い布でヒユムの頭部を包んで小脇に抱えると、傭兵の頭部に一本の腕をかざす。

 布が擦れる様な軽やかな音と共に、傭兵の頭部から糸状の何かが顔を覗かせる。

 それは生きているかのようにうねうねとのた打ち回りながら、ダラダラの掌へと刺さり潜って行った。

 糸を抜かれた傭兵は動力を失ったかのように生命活動を停止する。

 元より生きていられる身体状態では無かったのだ。

「二人は回収不能か」

 何の感情も灯らない、ただ確認するだけの発言をしたダラダラはその場を後にする。

 その後ろを真っ黒なキヒを抱えた真っ白な全身タイツさんが追い駆け、後には火傷を負った傭兵の死体だけが残された。

 その夜、クフラ商会の私兵団と傭兵組合を通して集められた兵力は大規模な作戦を展開していた。

 クフラ商会は集めた人員と私兵団を幾つもの部隊へと編制し、それぞれ別の場所へ強襲を仕掛けさせたのだ。

 強襲地点はナナタ領内に存在する管理者の曖昧な建造物全てであり、その大半が人攫い事件とは無関係な非合法組織の拠点だった。

 とばっちりを受けた非合法組織が無数に蹂躙される中で、博士の拠点も幾つかが破壊され、クフラ商会はそれなりの成果を得る事が出来た。

 そして博士の拠点を強襲した一握りの者達は、そこで発見された犠牲者達の末路に怒り悲しみ恐れ戦いた。

 それら無数の強襲の中でただ唯一作戦が失敗した強襲地点、強襲部隊が全滅した偽装宿の前で一人の男が黒焦げの死体で発見された。

 登録証から判明したその死体の身元は四等級の第二種傭兵であったが、その傭兵はクフラ商会からの依頼を受けていなかった。

 その傭兵が何故その場に居たのかはクフラ商会と傭兵組合には分からず、結局その傭兵は運悪く戦闘に巻き込まれた者として処理された。

 そうやって、ネハがその男に名前を聞き直す機会は永遠に失われた。

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