集められた人達
ネハが傭兵組合の支所へと立ち寄ると、そこはいつもに増して込み合っていた。
「よう、ネハじゃねえか」
ネハが込み合い具合を遠巻きに見ながら帰ろうかと振り返ると、そこに見知った顔があった。
「おう、ああ、おう。久しぶりだな」
「……また俺の名前忘れやがったな」
ネハは考えが足りないが、記憶力も足りない。
「あー。うん? お前その胸当てなんたら工房の奴か?」
武器防具なんぞは大抵の場合どこかの工房が作っているのだから当たり前の言葉だが、ネハを良く知るその男はそんな事を一々指摘していたらきりがない事も知っていた。
「あ? そう言うお前も重繊維工房の鎧じゃねえか?」
二人の防具にはそこそこ大きい文字でシシル重繊維工房と記されていた。
何でこの文字見てなんたら工房とか曖昧な発言が飛び出るのかと、ネハを良く知る男が半眼で問うが、当のネハもなんでだろうなと首を傾げた。
それはそうとと、ネハは露骨に話を変えつつ壁際を見遣った。
「今日は壁依頼が人気だな」
壁依頼は報酬が少ないか危険度が高いかのどちらかであり、窓口斡旋のみでは放置依頼となりそうな依頼ばかり集まると言うのが常識である。
「それがよ、クフラ商会が太っ腹な依頼出してるらしいぜ。なんでも人攫いを吊し上げる為の頭数集めでよ、基本報酬が通貨で1000単位だってよ」
通貨だあ? とネハが素っ頓狂な声を挙げた。
周囲の視線が二人の方へ一瞬だけ向くが、それは大声に反応しただけであって直ぐに逸れて行く。
「仮銭や領地貨幣じゃなくて通貨か? ってか俺通貨なんて触った事ねぇぞ」
ネハは呆れた様な感心した様な顔をして壁際を眺める。
わらわらと壁際に集る人達は通貨目当てさと、知り合いの男は口の端を持ち上げた。
「でも通貨なんてそこらの工房や飯処で使えるのか?」
そもそもネハは通貨1000単位がナナタ領でどれ程の価値を持つのかも分かっていない。
「どこでも商会に持ち込めば領地貨幣に両替してくれるらしいぜ。仮銭と同じでいくらになるのかは両替してみないと分からんらしいが、他領にも持ち出すのに税が掛からんらしいぜ」
その説明を聞いたネハはそりゃ便利だなと言って悪い笑みを浮かべたが、何がどう便利なのかはあまり分かっていない。
「それはそうと、その壁依頼ってのはどんな内容なんだ?」
まあ、一介の登録傭兵や破落戸にとって重要なのはどちらかと言うとそちらの方だ。
内容を問わなければ依頼なんぞ掃いて捨てる程ある。
報酬も重要だが、結局の所その依頼が手に余るかそうでないかが一番重要なのだ。
「ああ、なんでも人攫いがクフラ商会の誰かに手を出したらしくてよ、その関係者を皆殺しにするらしい」
俺等は言われた通りに殺せばそれでいいらしいぜと、知り合いの男は悪い笑みを浮かべた。
そりゃ簡単な話だなとネハは淡泊に呟いた。
第二種傭兵とは大抵こんな考え方をする連中ばかりである。
「まあ、俺もちょいと依頼受けに――」
周囲の騒がしさに吸い込まれた様に、男の声が不自然に途切れた。
ネハが知り合いの男を見遣ると、男は表情を消して茫とどこかを見詰めていた。
誰もがそうなっている訳では無く支所内は変わらずがやがやと煩い。
訝しげにネハがその視線の先を追うと、そこにはソレが居た。
すらりとした美脚、薄く引き締まった腰、控えめながらも優雅な曲線を持つ胸、小振りな顔。
立ち姿はソレを美術品だと思わせる程すらりと美しく、気品すら漂う。
全身タイツさんがいるぞと、誰かが誰かに言った小さな声が、ネハには妙にはっきり聞こえた。
全身タイツさんはネハが以前に見た時同様、頭頂から爪先までが白かったが、腹部には模様が存在していた。
それはぐにゃぐにゃとうねった細い線が何本も並んでいる模様だった。
ネハは前に見た時にそんな模様はあったかなと首を傾げて、知り合いの男の方へと視線を向けると、男は爽やかな表情でこっちを見ていた。
「ちょっト用事が出来たわ」
ネハはその爽やかな表情に違和感を覚える。
その男の名前は未だに思い出せない。
どこでどの様に出会ったのかも思い出せない。
だが、ネハに話し掛けて来る様な相手は十中八九破落戸なのだ。
破落戸は大抵その様な女受けの良さそうな顔をしないし、そんな破落戸をネハは知らない。
「だかラ俺はもう行かなければ……」
続くその言葉の後半はネハでは無くここでは無いどこかへと向けられていた。
視線もまた既にネハを見ておらず、壁の遥か向こうを見ている様であった。
「おいっ……」
背を向けてすたすたと去って行く知り合いの男へ声を掛けようとして、男の名前を聞けていない事に今更思い至る。
知り合いであろうその男は人と人の間を通り抜けて去って行き、ネハはどうするべきか思い浮かばなかったために視線を壁の方へと戻した。
ネハが名前も思い出せない男についてこれ以上考える事は無く、重要なのは儲けの大きそうな壁依頼の方だった。
ついと壁際へと歩き始めたネハの肩に別の肩が当たったが、ネハはそれすら気にする事も無く壁依頼の方へと歩いて行った。
ネハと接触した女はネハの方を一瞥したが、特に歩みを止める事も無く全身タイツさんの元へと歩み寄った。
「本日はどの様な要件でお越しでしょうか?」
女がそう問い掛けると、全身タイツさんは顔だけを女の方へと向ける。
『イイ、さんでしたか?』
特徴に乏しい標準種の女に向けられた顔には文字が表示された。
「一度会っただけですのに覚えて頂いていらした様で光栄です」
イイは全身タイツさんに作り物の笑みを返して浅く一礼した。
『キヒを探しに来たの。三日前から返って来てないから』
イイは全身タイツさんが表示した文字を読んで僅かに眉根を寄せた。
前触れも無く人が消え去るのは人攫いを連想させるが、相手は規格外の看板娘である。
そうそう簡単に攫われるとは思えない。
人探しの依頼をご所望でしょうかとイイが問い掛けると、全身タイツさんは文字を消した顔をふるふると横に振った。
『十分集まったから』
何が? とイイが聞く前に、全身タイツさんはその身を翻すと支所を去って行った。
その後ろ姿を見送ったイイは、左手を顎に添えて思案する。
「報告するべき、か?」
誰にも聞かれる事の無い呟きを漏らして、イイは支所の奥へと消えて行った。
全身タイツさんが支所に現れてから去って行くまでの時間は僅かに数分であったが、その間に不自然な言動と共に支所を去って行った数名の傭兵に関しては誰も気に留めない。
だからイイは、全身タイツさんがナニを十分に集めたかを気にする事は無い。