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回収班班長

 傭兵かと思えばクフラ商会の人間だったか。

 ヒユムは顎を砕いた男を見下ろしながら、自分の稚拙な企みが上手く行っている事を把握した。

 襟首に留められた四枚翅の狼を模した徽章を引き千切り、それを乱雑に投げ捨てる。

 徽章は湿った地面のどこかへと落ちた。

 後はそれを誰かが発見してくれる事を願うばかりだ。

 ヒユムは首筋に埋め込まれたスイッチを入れて顎を砕いた男を見る。

 煩い線が見えない事を確認して、スイッチを切る。

 顎を砕いた男が副脳を持っていなかった。

 副脳を持たない者の処理はヒユムに一任されている。

 ヒユムとしてはこの哀れな男を殺してやりたいが、この所回収班の欠員が絶えない。

 ヒユムはポケットから針を取り出すと、哀れな男の首に刺した。

 体液に反応した針は一時間程で溶け、男の脳を侵すだろう。

 見上げた夜空は男の行く末を案じするかの様に真っ黒だった。

 それは何の変哲も無い夜空だと言うのに。

 ヒユムは男を引き摺り裏口を潜る。

 男がうろついていた場所から数歩で宿屋に偽装した拠点である。

 クフラ商会がこの場所を特定する未来が近い事を予感し、ヒユムは若干口の端を釣り上げた。

 次の瞬間耐え難い頭痛に足をよろめかせ、引き摺っていた男は床に放り出された。

 ヒユムは奥歯に仕込んだ気付け薬を噛み潰した。

 強烈な苦みに思考が乱され、頭痛は収まった。

 ヒユム達回収班の頭には厄介なモノが埋め込まれている。

 それは博士に対する害意に反応して頭痛を与えるのだ。

 大抵の者は狂って死ぬか諦めて従う。そんな中でヒユムは例外中の例外だった。

 ヒユムは迂遠な害意が見逃される事を発見し、こうして密かに不利益を呼び込んでいる。

 攫った者の死体が発見される様に仕向け、貧困街の有象無象と並行して報復や調査が行われる様な者を攫う。

 そうやって数年の時間を掛けて公衆警察や広域傭兵組合を巻き込み、今新たにクフラ商会をも巻き込めた。

 ヒユムはそんな万感の思いを胸の内に押し込み、努めて平静を装って哀れな男を引き摺る。

「新しい検体だ。副脳は無い」

 受付で居眠りしていた女を叩いて起こし、哀れな男を引き渡す。

「ああ、回収班候補っすか? 態々調達して来るなんて班長仕事熱心っすね」

 受付が寝ぼけ眼でそう言った。

 新しい検体がこの偽装宿を探っていた者だったと話さない事は博士に対する害意と判断されなかった。

 女の勘違いを正す事無くヒユムは何も奥へ下がろうとした。

「あ、班長。博士が呼んでましたよ?」

 背中に不愉快な言葉を浴びせられて、ヒユムは憮然とした表情で立ち止まる。

 そんなヒユムの横を女が哀れな男を引き摺って、ひらひらと手を振って奥へと消えて行った。

 ヒユムはなるべく感情を殺して、二階へと上がって行く。

 二階は偽装された部屋が並んでいるが、それらはいつだって満室だ。

 偽装を隠す気を微塵も感じられない偽装宿だが、博士はその辺りの運用を気にする事は無い。

 博士はいつだって世俗の雑事に興味は無いのだ。

 あるのは研究に対する興味のみで、他人は全て検体予備軍なのだ。

 ヒユムは一番手前の部屋の扉を開けると断りも無く中へと足を進めた。。

 ああ、今日は悲鳴が聞こえない。

 濃い血の匂いに顔を顰めながら、ヒユムはそんな風に思った。

 その部屋は魔術によって外部と隔絶されている。

 音も匂いも漏れない。

 壁際には幾つもの生首が並んでいて、その全てが生きていた。

 生きてはいるが、意識も人格も無い。それでいて常に何かの魔術を詠唱している。

 生首は全て装置なのだ。

「これは不良品だ」

 博士は一人の検体の前でそう言った。

 女の検体は裸で台に拘束されて、鼻と口には管が挿入されていた。

 鼻の管からは意識を奪う気体が送り込まれ、口の管からはゆっくりと栄養液が流し込まれている。

 それは二日前に攫って来た女だったが、未だに頭部が身体と繋がっていた。

 珍しいと思いながらヒユムは首のスイッチを入れた。

 四方八方に煩い線が見える。それは女の頭部からも見えた。

「……副脳はある様に見えますが?」

 首のスイッチを切り、ヒユムは博士に尋ねた。

 稀に攫った後に副脳が壊れてしまう者がいるのだが、そんな訳でも無い様だ。

「不良品と言うかね、誰かが手を加えた後だった様だ」

 博士はそう言うと、女の頭部に医療ナイフを振り下ろす。

 ナイフの先端は音も無く女の皮膚に受け止められた。

 ナイフは切っ先が僅かに突き刺さったのみだった。

「外皮の少し下に組成不明の膜が存在している。骨よりも遥かに高い硬度を有していて切開が困難だ。脳と声帯の処理が出来ない以上これは不良品だ」

 博士は詰まらなさそうに肩を竦めた。

「恐らく、僕とは別分野に特化した博士の検体だなこいつは」

 博士の言葉にヒユムは激しく動揺した。

「博士は……博士だけなのでは?」

 ヒユムの問い掛けに、博士はそう言えば説明していなかったなと前置きして博士と言う称号について簡単な説明をした。

 博士とは人体を利用した特異な技術を開発した者を指し示す称号であると。

「まあ、複数の博士に接する機会がある者は稀だからね。僕も他の博士は二人しか知らないが、この技術はそのどちらの物でも無さそうだ」

 そんな説明にヒユムは安堵しつつも歯痒い思いであった。

 この博士が居なくなればヒユムを縛る技術は喪失するであろう。

 しかし、この博士が居なくなっても、他に博士がいるのだ。

 どうせどいつもこいつも碌な人物で無い事は間違いが無かった。

 ヒユムは頭痛を誘発しない様に思考を振り払い、平静を装う。

 同時に自分を納得させる。

 成せる事を成す事が大事だと。

 出来もしない事を考えない様にしつつ博士を見る。

 視線が合ってしまい、僅かに目を逸らした。

 博士の見た目は普遍的な標準種であったが、その視線は不気味であった。

 それは決して人に向ける視線では無い。

 見られているのに、自分を見てはいない。

「長時間水に沈めるとかすれば多分死ぬと思うから、適当に処分しておいて」

 ヒユムの表情等一切気にする事無く、博士は暢気に部屋を出て行った。

 ヒユムが何を考えていようと、博士に害意を抱く事は無いのだから当たり前の行動なのだが、ヒユムはそれが腹立たしい。

 そんな感情も胸の内に抑え込んで、ヒユムは女に視線を向ける。

 まだ子供なのに運の無い奴だとヒユムは心から同情した。

 ヒユムは女をしげしげと観察する。

 その肌はどこを見ても普遍的な標準種のそれにしか見えず、触れてみてもその印象は変わらなかった。

 回収班がこの女を攫って来たと言う事は、少なくとも打撃は有効のだろう。

 刃物が通用しないと言う点以外は特に害は無いのかも知れないと、ヒユムはそう判断して鼻と口に挿入されていた管を引き抜いた。

 そうすれば程無く意識が戻るだろう。

 殺す前に意識を戻してやるのは情けか拷問か。

 いずれにせよヒユムとしては少し話が聞きたかった。別の博士とはどんな人物なのかを聞き出したかった。

 話を聞き出すのに裸のままと言うのは少し印象が良くないかもしれない。

 攫って来た時点で印象等良い筈も無いのだが、ヒユムはその事には思い至らずに掛ける布を探した。

 部屋の隅に置かれているずた袋をその身体にかけてやる。

 ずた袋は不要になった身体を詰める為の物で、子供の小さな身体を覆い隠すには十分な大きさがあった。

 ヒユムは女の横に立つと、その顔をじっと見下ろした。

 整った美貌だと思うのと同時に、人形の様だとも思った。

 どこか、造り物臭い。

 先程まで見えていた全身にしても、傷や痣は見受けられなかった。

 ヒユムが頭の中を弄られているのと同じように、この女は身体の表面を全て弄られているのだろうと、ヒユムは無感動にそんな事を思った。

 他人に対する仕打ちでは動かない程その心は錆びている。

 自分の境遇等はもう今更である。

 破落戸として生きるのも、博士の検体として生きるのも、大した差等ありはしない。

 そうやって十数分程造り物の顔を眺めていると、女が意識を取り戻した。

 薄い呻き声を漏らしながらゆっくりと目を開く女に、ヒユムは語り掛けた。

「気が付いたか? お前にには少々聞きたい事が……?」

 言葉の途中でヒユムは首を傾げた。

 女の目が憎悪に塗れた力強い眼光を放っていたからではない。

 自分の身体に何かが突き刺さる感覚に、ヒユムは首を傾げた。

 ずた袋から白い物が生えていた。

 それが伸びた腕だと気付くのにヒユムは数秒の時間を必要とした。

 腕の先端はヒユムの腹部を貫いて反対側に突き抜けていた。

 次の瞬間、腕はずた袋の下に勢い良く引き込まれた。

 ヒユムの腹から飛び散った血肉がずた袋に赤い模様を描き、女のもう片方の腕がずた袋の中から飛び出した。

 ヒユムがそれを掴む事が出来たのはただの偶然である。

 無意識に動かした手が、首を貫く寸前で女の腕を掴んでいた。

 伸びているのだと、ヒユムは直感的にそう理解した。

 腕の構造はそのままに、引き延ばされている。

 ヒユムの眼の前で指が圧縮押される様に縮み、直後に射出される様に伸びた。

 その指を首の皮を削られながらも辛うじて回避する。

 ヒユムは掴んだ腕を放し、無様に転がりながら続く追撃を避けた。

 先程引っ込んだ腕が一瞬前までヒユムが居た場所を通り抜ける。

 ヒユムはずた袋を掴み女から距離を取る。

 腹部の穴からはぼたぼたと血が零れるが痛みはあまり感じない。

 頭痛以外の痛みは認識しにくい様に頭を弄ってあるのだ。

 ずた袋を剥いで距離を取れば、女の攻撃は大した脅威にはならなかった。

 伸ばす前には縮めなければならないその攻撃は、縮む瞬間を見る事が出来れば回避可能である。

 加えて距離が開けば尚更。

 実際、足と腕が襲って来たが回避は容易であった。

「……殺してやる!」

 不利を悟った女が殺意を滾らせる。

 ヒユムはそれをただ羨ましいと思った。

「俺はヒユムって言うんだが、お前は?」

 ヒユムは感情の赴くままに声を掛けていた。

 名を尋ねられた女は訝しげな顔をしながらも、その名前を短く告げた。

「……キヒ、か。いい名前だな」

 本心からそう言って、ヒユムはキヒに背を向けて逃げ出した。

 背中に呆けた視線を感じたが、部屋の扉を開く時にはそれは殺意の束になっていた。

 ヒユムが部屋を転がり出るのと同時に、キヒの腕がその背中を掠めた。

 一方キヒの喚き声は魔術に遮られて届かない。

 ヒユムは床に転がったまま足で扉を閉めた。

 魔術に遮られて何の衝撃も伝わって来ないが、扉の内側をキヒが攻撃している事を予想しながら、腹部の穴を抑えてヒユムは立ち上がる。

 敵前逃亡は博士に対する害意と認識されない事に感謝しながら、受けた指示を外的要因に妨害されて遂行出来ない事も博士に対する害意と認識されない事に感謝しながら、ヒユムは治療具を求めて数歩よろめき、少し口の端を持ち上げる。

 その直後に耐え難い頭痛に襲われて床に倒れたヒユムは、少し嬉しそうであった。

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