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襲撃者

 キヒは布を巻き付けただけの恰好でぶらぶらと歩き回っていた。

 その視線は行き交う人々へと向けられている。

 辺境であるナナタ領だが、人口密度は低く無い。

 連領連合内では人口増大が大きな問題となっている。

 その影響は辺境においても人口の多さと言う点で体感する事が出来る。

 ただ、辺境においてそれは比較的軽微な問題ではある。

 中枢領と異なり、辺境において人は容易く死ぬ。

 原因は害獣であったり人の犯罪であったり様々だが、放っておいても人は死ぬのだ。

 その関係もあり辺境には中枢では見る事の無い施設が存在する。

 孤児院である。

 公的な孤児院の主な経営母体は広域傭兵組合や公衆警察であり、その他にも反社会組織が密かに運営する非合法な孤児院も多数存在すると言われている。

 孤児院に収容された者は運用母体が欲する人材へと成長する事が強制され、その意向に沿えない物は放逐されるか、或いはいつの間にか居なくなる。

 ぶらぶらと歩き回っていたキヒは、そんなどこにでもある孤児院の一つを見付けて足を止めた。

 そこは公衆警察の運営する孤児院であり、収容者は一様にカーキ色の制服に身を包んでいた。

 キヒは郷愁と怨嗟を混ぜた瞳でそこをじっと見詰めていたが、ふっと目を逸らすと逃げる様に走り去った。

 キヒもまた孤児院に収容されていた時期があった。

 その孤児院は今も存在しているが、収容される者も管理する者も全てキヒの知らない者に入れ替わっている。

 キヒの知る者は皆死んだ。

 皆、殺された。

 その時の事を思い出して、キヒの顔が恐ろしく歪む。

 その顔を隠すかの様に、人を避けながらキヒは走った。

 建造物と建造物の隙間を縫うように走り、壁を駆け昇り、屋根から屋根へと跳ぶ。

 ダラダラの施術で人の筋肉より遥かに頑丈な繊維を備えるキヒにとって、曲芸的な身の熟しは歩くのにも等しく容易な行為であった。

 キヒはその身体の殆どがダラダラの開発した繊維によって強化されている。

 しかし万能と言う訳では無く、極端な温度差や強い衝撃には耐えられない。

 加えてそれらの繊維が被った損傷は、ダラダラによって補修する以外に復元する方法が無い為、頑強でありながら非常に繊細と言う特徴を有している。

 その為不用意な運動は控えるべきであるのだが、キヒはその内に発生した衝動を抑える術を持っていなかったし、抑える気も無かった。

 屋根から屋根へと飛び回りながら、キヒは全身タイツさんに抱えられてダラダラと邂逅した日の事を思い出した。

『困っている子供、居た』

 十七指を備えた腕が二対と、五つの瞳。

 見た事も無い異形に不安を感じたキヒが全身タイツさんの顔を見上げたると、そこにはそんな文字が表示されていた。

 全身タイツさんに背負われた男が漏らす呻き声を聞きながら、キヒには文字が何だかとても無感動な様に見えていた。

 表情の無い全身タイツさんから感情を読み取る事は出来ないのだが、キヒは漠然とした感覚で全身タイツさんの冷酷さを感じたのだ。

 背負われた男が垂れ流す血液が全身タイツさんの体表を伝い、キヒの服を汚した。

『この子を助けよう。望みを叶えよう』

 全身タイツさんが表示する文字はキヒを救済する内容なのにもかかわらず、キヒはそこに優しさを感じ取れなかった。

 全身タイツさんが表示するそれらの提案に対して、ダラダラは嘆息すると声を発した。

「君はどうしたい?」

 その漠然とした問い掛けに対して、キヒは何も考えずに答えていた。

「殺したい」

 躊躇する事無く口を吐いて出た自らの願望に、キヒは酷く動揺した。

『殺そう!』

 全身タイツさんはそんなキヒに対して全面同意する文字を表示し、ダラダラは長く息を吐いて腕の一本掲げた。

 落ち着けと言わんばかりのその腕は全身タイツさんに向けられた物であり、別の一本はキヒの頭を撫でていた。

 ダラダラ自身の頭部を抑える別の一本とは異なり、自身の頭を撫でるその一本にキヒは人間臭い温かさを感じた。

 そして残りの一本は床に叩き付ける為に投げ捨てられた男を受け止めていた。

「まあ、いいけど」

 どこか投げ遣りなその言葉によって、キヒはダラダラの庇護下に置かれる事が決定した。

 それらはキヒがダラダラと契約を交わし、看板娘となった日の出来事でもある。

 そんな記憶も、煮え滾る感情も、走り続ける事によってやがて希釈される。

 見知らぬ路地裏に降り立ったキヒは、茫洋とした瞳で空を見上げた。

 灰色の空はどこまでも広く、キヒの衝動もまた平常心によって希釈されてどこまでも広がっていった。

「……殺したい」

 何を?

「……殺したい」

 誰を?

 キヒは最初のそれよりは幾分か躊躇の含まれるその願望を言葉にして、とぼとぼと歩き始めた。

 殺したい。そんな感情の捌け口として明確な者は三人居たが、もう居ない。

 二人は全身タイツさんに首を食い千切られて、残りの一人はダラダラが工房の奥に引き摺って行ったのを最後に、皆キヒの前から消え去った。

 殺したい。その感情の捌け口として辛うじて輪郭がある者は消え去った男達の背後にいたであろう者。

 キヒの収容されていた孤児院を襲撃させ、キヒの家族を奪わせた者。

 名前も顔も知らない、そもそも存在しているのかも分からない。

 それでも、ナナタ領内で人攫いが横行していると言う事実にキヒは希望を感じていた。

 公衆警察より手酷く、領主より迅速に、広域傭兵組合より的確に、人攫いの元凶を見つけ出さなければ。

 そんな焦燥感がキヒの中で発生し、波紋と共に広がって希釈された。

 どうやって? どうやってそれを成すのか?

 そんな事はキヒに分かる訳も無い。

 ダラダラとの契約を思い出して、それによって鈍ろうとする願望を鼓舞するかの様にキヒは呟く。

 殺したい、と。その声は掠れて弱々しく、しかし憎悪に塗れていた。

 茫洋と空を眺める。

 空の様にキヒの心は広がって希釈される。

 空の様な心の内でダラダラと交わした契約を反芻し、そしてふと思い至る。

「ひょっとして……」

 言葉にしかかって、呑み込む。

 ひょっとして。ひょっとして私は死にたくないのだろうか?

 形を得ようとしていたその疑問は広がる事も無く、かと言って輪郭を見出す事も出来ず、耳にした風切音に呑まれて霧散した。

 思考が確立されるより早く、キヒは前転しながら攻撃を回避していた。

 キヒが居た空間を棍棒が横薙ぎに通り抜け、棍棒を振り抜いた男は思わぬ空振りに眉を顰める。

 前転の勢いをそのままに反転したキヒは男を見て一瞬動揺し、しかし直ぐに思考を戦闘時のそれへと切り替える。

 キヒは武器を取り出そうとエプロンのポケットへと手を伸ばし、舌打ちと共に後方へと飛び退いた。

 その手には武器を握られていない。

 それもその筈だ。キヒは現在メイド服を着ていない。当然武器の収められたポケットは存在しない。

 両手で地面を掴み、四つ這いの姿勢で男を見据える。

 棍棒を振り抜いた男は未だ空振りと言う結果を呑み込めず、立ったままだった。

「そんなガキ相手になにしくじってんだよ間抜けだなあ」

 棍棒を持った男の後ろにはもう一人別の男が居た。

 ニ対一とはあまり愉快な状況では無い。

 メイド服が無くとも常人離れした運動能力を内包しているキヒだが、メイド服が補助無ければ未熟なガキでしかない。

 キヒは自らを奮い立たせようと湧き上がる殺気でその心を満たそうとした。

 しかしその殺気は、後頭部に与えられた痛烈な打撃と共に意識の底へと沈んで行った。

 キヒの背後で三人目の襲撃者が何かを言ったが、キヒにその内容を知覚する余裕は無かった。

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